今さら、浅田彰の「構造と力」です。ごめんなさい。多くの人が読み、語り、難しくて投げ出したりもしただろうし、よし「スギゾキッズ」になるゾ、と’80的に「ぞ」をカタカナにして決心した人も数知れないといわれるかはよく知らないが、「構造と力」。「構造と力」について論ずる? まだ何か論ずるべきことが残っているかのようなふりをして? とこの本の序文の冒頭をパロって独白したくもなります。実際このテキストは、村上龍の「限りなく近いブルー」のように一種現象として消化されてしまっている、というのは言いすぎですが、なんというか、もう「今さら?」的な、ホントにベタな感じがしますよね。山形浩生氏の指摘によると、この本の表紙でも6×4で計24個描かれていて、論の基調をなすらしい「クラインの壺」の喩えも、あまり適切ではないらしいし。
でもまあ、私がここでしたいのは、「論じる」なんて大仰なことではないんです。思想や批評の学習者としてまだunfledgedな若輩者の私は、この本で触れられているさまざまな思想家・批評家について調べたり、自分自身の立場からのコメントを加えて、この「構造と力」という難解なテキストを、読みこなし、要約してみようと思う次第であります。だからこの文章を読んだ方は、間違いがあったら遠慮なく指摘していただきたいし、また、これから「構造と力」を読もうという人の若干の助けにでもなれば、それも嬉しいなと。そんな感じの文章です、これ。
前置きが長くなりました。さっそく次節から「序に代えて」を読み進めていこうと思います。
話は浅田氏の現役の大学生に対する違和感に始まります。