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○●今回のお題○●
戦争の残した傷跡と私たちの生活

 このテーマを書くことを決めたのは、ある一人の人と話す機会があったからである。彼は、私の古い知り合いで、今年で75歳である。戦後50年を迎え、彼は、今の私と同じ年の頃、飛行機に乗り、また別の時には船に乗り、戦争に参加していた。彼は、軍人であった。そんな彼と、今まで顔を合わせ、話すことはあったけれど、ちゃんとした話をしたことはなかった。あの日、ゆっくりと話す時間を持てたこと。私にはとても大きな何かとなったような気がする。この場を借りてお礼を言いたいと思う。

 少し酔い気味だった彼といろいろな話をしているうち、海外の話になった時、ふっとハワイの近くまで行ったことがあるんだと言った。船で行ったんだと彼は続けた。

 50年以上前に勃発した戦争中、彼は軍人で、飛行士であった。そしてその場所を訪れた。食べ物も今のように種類が多くなく、選んで食べることができなかった。一日一日を生きていくことに精一杯だった。そのような時代の中、一生懸命生き抜き、若い時代を戦争と共に過ごした。そこにある思い出は、戦争から切ることのできないものであった。彼の20代は、戦争という入れ物の中にどっぷりと浸かった生活だったのである。
 
 戦争中の今では思い出となった話、大した食料もない中、貴重な食べ物の美味しさを噛みしめる喜び。それは、彼の中で、一生、存在し続ける思い出の一つであり、生の出来事である。人と人のいがみ合い、考えの違い、利益、そういったあらゆるものが複雑に絡み合い、人と人が起こす喧嘩の科学的なものが戦争である。彼はその戦争に間接的に、しかし直接関与した人物となってしまったのである。

 戦後50周年を迎え、戦争を知らない子供たちも当然のことながら多く存在する。私自身、生まれた頃には、祖父は他界していたし、祖母も幼い頃に亡くなったので、祖父母と話した記憶は全くない。また、中学校、高校の歴史の教科書には書かれていない、実際に行われた事件や事実が存在する。また、未だに政治家や総理大臣が、日本の中国侵略問題は侵略ではないと言ったりしている。こんなあやふやなことでは、事実は一体何なのだろうか・・という疑問が残ってしまう。

 「戦争は何故起こるのか?」。先日、教え子に聞かれた時、どう答えたらいいのか考えてしまった。子供からみたら、とても不思議なことなのかも知れない。戦争は、自らの利益や、相手への威嚇など自分たちのエゴの上に成立しているからである。そういうことが原因というのは、腑に落ちないかも知れない。

 私たちは歴史の事実を知る権利がある。「私たち人間は、過ちを犯すけれど、でも一度犯した過ちから学ぶことが出来る」。映画『アンナと王様』の中で、王がアンナに言う台詞でもある。犯した過ちを知らなければ、また同じ過ちを犯してしまうこともあり得る。そんなことはしてはいけないと思う。そのためにも、客観的事実を知らなければいけない。

 某小説を読んで、私はある日本の侵略行為に興味を持った。それは、私が中学、高校、大学と学んできて、全く聞いたこともない事件であった。妹の歴史の教科書を借りて調べてみたけど、書かれていなかったし、両親に聞いてみたけど、全く聞いたことがないと返事された。

 そこで、図書館に行き、一冊の本を借りてきて、読んでみた。そこには、その事件を実際に体験した方の生の話が描かれていた。日中と夜のすさまじい温度差の中で、食料もなく過ごした壮絶な日々。実際に、どうなってるのか全く分からず、ただひたすら戦い続けたことなど、私たちが全く知らないすさまじい出来事がリアルに書かれていた。

 そこから、私たちが知ってると思ってることほど、実際にはちゃんと理解できてないことが多いのではないかと考えるようになった。ただ私たちは、知っていると誤った認識をしているだけに過ぎないのではないだろうか。

 日本は高度成長期を体験し、世界でも有数の先進国となった。たくさんの物に溢れていて、経済的にも諸外国より裕福に生活している。お金は大切なものだけれど、でも、自らの利益・幸福を追求するだけでは、必ず壁に突き当たるし、諸外国からも孤立してしまう。また、意見の対立も起こってしまう。日本国憲法で、戦争の放棄を規定している世界的にも珍しい平和主義の国なのだから、ただ自分のことだけでなく、周りのことも見られるような余裕が必要である。そして、そのためにも孔子の言葉じゃないけれど、自分(日本)のことを知りたければ、相手(諸外国)のことを知らなければならない。そのためには、事実を知らなければならないのである。