- 学生時代
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東北地方の小都市で大学時代を過ごしました。やはり、今の自分の出発点はそこにあった感じがします。

学生生活

大学は家から出て東北にある地方都市の下宿生活だった。

高校時代までのどちらかというと内向的な生活、そして受験勉強の生活から開放されて大学では親元から解放された自由さもあって、できるだけやりたいことを積極的にやることを意識した。

大学に入ってしばらくして、専門課程の授業を受けて、この道は自分の道と違うと言うことを感じた。
当時も今も理工系全盛の時代で、どちらかというと数学が得意であった自分は工学部に行くことが当たり前になっていた。
しかし機械系も電気系もあまり好きになれず、その当時からもてはやされたエレクトロニクスの響きに引かれて電子工学科を受験したわけだ。
いっぽう、気持ちの片隅に文科系の方に進んでみたい要求もあり滑り止めに私立の経済学部もこっそり受けたのだが.
今考えると、丁度大学卒業のころオイルショックがあり、日本全国で就職難の時代となっていて、自分のような落ちこぼれでも工学部出身と言うことで入社できたのは良かったのかもしれない。
また運良く就職できたとしても文科系だと営業職がメイン。
一時営業に近い仕事をやってその大変さを思うと、技術職のほうがやはりやりがいもあり楽しい。

大学に合格すると、電子工学は当時最難関の学科と言うことで、自分の専攻学科を言うことはなんとなく自慢げな気持ちだった。

しかし、講義を聴いてみると、難解な高等数学、チンプンカンプンな教科書。講義も一方的でまるで判らず黒板に書いてある意味不明な数式をノートに写すのが精一杯で、苦痛な長い時間であった。 

結局最低限出席しないといけない実験を除き代返、代筆が可能なものはすべて同級生に頼み、実験レポートは友人の丸写し、試験も全て、再試験で、本試験時の模範解答を友人から教えてもらうことで臨んだ。

しかし、大学もそう甘くはなく、再試験で不合格な単位がたまって、専門課程に移る2年生のとき3年にあがれず留年となってしまった。
留年になっても友人の協力もあって卒業までに必要な単位は何とか取り4年で卒業はできたのだが。



そうした学生時代、ほとんど大学に行かなかった自分は文字通り日の入りと共に起き、日の出と共に寝ると言うまるで逆転の生活を送っていた。
目が覚めて夕飯(朝食?)を食べると、同じ下宿の誰かの部屋に行き、だべっているうちに何処かに飲みに行こうということになる。

お金は、家からの仕送りと、奨学金が毎月支給されたのがあった。
当時大学の授業料が年12000円。
月当たりだと、なんと1000円。奨学金は特別奨学生だったこともあり、月10000円。
下宿代と、昼食代は家からの仕送りでなんとかまかなえ、奨学金はほとんど、社会勉強代として遊び代として消えた。
特に学生時代、アルバイトもほとんどしなかった。
行きつけのスナックに飲めない酒を飲み、スナックのママや、お姉さんとのへたな会話を楽しむ。



それから、やはり女の子だ。

下宿の仲間と、同じ市内にある女子短期大学の女子寮に電話して、交歓会を申し込む。
今で言う合コンだ。
男性の数と、女子の数を合わせ、たいがいブラインドデートと言って、カップルを適当に決め、待ち合わせ場所だけ決めて、服装の様子だけ知らせる。
集合時間を決め、その間は即席カップルの自由時間。
集合先で各カップルのデート内容を報告しあいお茶を飲んで別れる。といった具合だ。
後で気に入った女の子がいたら個人的に電話をする。
今は、最初に皆で集まって、最後にカップルに別れるのが普通なのかもしれないが、昔はこんな感じだった。
しかし、交歓会で彼女を作ったという話も聞かず、あまり長続きしないのが普通だった。



また、よくナンパを目的にダンスホールにおめかしをして行った.
ダンス仲間は自分も含めAとSの3人。Aは当時アイドルだった野口五郎をもっといい男にしたような誰がみてもハンサムボーイで、自分も彼には勝てないなと内心思っていた。

Sも180mm以上の背が高く石原裕次郎を心棒する色男だった。
自分もそこそこ背は高く、ダンスが多少得意と言うこともあって結構ナンパには成功した口である。

しかしナンパといっても当時はダンスホールで親しくなった女の子とチークダンスに持ち込めたら成功で、帰りに家まで送ってあげ、電話番号を聞く位でその先に行くことは自分としては余りなかった。
せいぜい、後日映画を見に行く位で、これといった女の子がダンスホールに来る事がないからかもしれない。付き合い迄に行くことはなかった。
Sは結構、その日の内に最後まで行っていたようで、よく自慢話を聞かされたものだ。


そんな生活を続けていると、やはり学校の事は気になった。
今でも夢の中で、”最近学校へ行ってないな。授業何処まで進んでいるのかな?卒業できるのかな?後でまとめて勉強すればよいか“などと考えている当時の自分に戻ることがあり、目が覚めて、今は無事卒業して会社生活を送っている自分にほっとすることがある。
本当によく4年で卒業できたものだ。
実際の所、留年した時は半分以上4年間で卒業できないとあきらめかけていたが、一緒の高校から入学し、いつも代筆、代返をしてくれていた友人が”これを写せ”といって最低限必要な実験レポートを見せてくれたお陰だった。
卒業式のとき卒業証書に”工学士の資格を与える”と記載してあるのを見て、“これはやばい。何にも電子工学の事は知らない。留年して真面目に勉強し直そうか“と思った位だ。




彼女との出会い

ダンスホールに通っていた当時、Aがめずらしく女の子同伴でやってきた。
Aのハンサムぶりにひけをとらない可愛い女の子で本当に美男美女のカップルだった。
あんな女の子と付き合えたらなーと溜息混じりに自分とは関係のない世界だと二人の踊っている様を眺めていた。



それからしばらくたっていつものメンバー以外でダンスホールに行くと、あの時のAと一緒に来ていた女の子が、数人の女の子同士で来ているのをみかけた。
あの時の可愛いイメージとは、異なり大人っぽいイメージだったが、あの時の女の子であるのは間違いなかった。
女の子同士で楽しそうに踊っていたが、思い切って声をかけてみることにした。

“踊ってもらえますか?”

案に反して気軽に誘いにのってくれた。

踊りながら

“以前Aと来てましたよね”
と言うと

“あら、あの時来てたの?ダンスが面白いから友達誘って又来ちゃった。”
と答える。続けて

“A君は、高校の同級生で、久しぶりに会ったら、ダンスに行ってみないかと誘われてこの前来たのよ”
と話続ける。

“この前は、可愛い感じの様子だったけど、今日は大人っぽいかんじですね。お勤めですか?”
と言うと

“そうよ、君は学生?A君と一緒のときは、可愛い感じにまとめたほうがいいなと思って可愛くしたのよ”

“相手によって雰囲気を変えるんですか?”

“そうよ。当たり前じゃない。女の子は、常に釣り合いを考えるのよ”

“それじゃ、僕の時はどんなかんじになるんですか?”

“君の場合は、普通よ。”

“Aはボーイフレンドなんですか?”
と気になっている事を聞くと

“ノン。単なる同級生よ。君は一緒に踊るガールフレンドいないの?”

“実は、いないんです。”

“ここから誰か連れ出したらいいじゃない。”

思い切って

“それじゃ、君を連れ出しちゃおうかな。名前はなんていうの?”

“名前は、ないの。”
とあっけらかんという。

結局、ダンスホールが終わるまで二人で踊り、帰る頃になって聞いてみた。

“帰り、送りましょうか?”

“どうしようかな?遠いわよ。”

“遠いのは別に構いませんよ”と言うと彼女は一緒にきた友達を目で探していたが、一緒にきた友達にジャーネと言う感じで挨拶した。

心はやる気持ちで二人で外へ。
すっかり暗くなった夜の町を二人で歩いた。



“ねえ、名無しの権兵衛さん。名前教えてよ。”
と言うと

“皆な、チエって言うわね”

“チエって、あの智恵子抄の智恵子さん?”

“そうよ、キミは?”

“僕はミズノって言うんだけど。悪いけどキミっていうのはやめてくれる?”

“ミズノ君ていうのは、言いにくいわね。アナタにするわ。”

夫婦でもないのに“アナタ”は多少抵抗があったが“キミ”よりは良いと思ってあきらめた。
しかし“キミ”と同列の“アナタ”の響きだった。
彼女の家まではかなりあり、間抜けな事に自分がどこにいるか判らなくなってしまった。
そのことをチエに言うと、その後繰り返し言われる事になる台詞である
“アナタって駄目ね。”
と自分が判る所まで逆に送ってもらう始末だった。


これがチエとの出会いだった。




その後、教えてもらった電話番号に電話をすると、気軽に付き合ってくれた。
Aと同級生と言う事なので、1浪していたAに対して、現役の自分はチエより一つ下と言う事になる。
最初、自分が年下である事を知られないように精一杯大人ぶっていたが、すでに社会人であるチエにはかなわない。
いつか、チエに引っ張られるような感じになっていた。

喫茶店に座っても
“アナタはこっち”
と座ろうとしている席の反対側を指し示す。
怪訝な顔をして理由を聞くと、
“外から女の子を守るように、外の方向を見るように男性は座るのよ。
アナタって駄目ね。”
と言う。

 頼んだコーヒーにミルクを入れてやると

“そんなに入れて私を太らせる気?”
と怒る。

“せっかく入れてあげたのに文句言うな”
と言うと

“あたりまえじゃないの”
と切り返す。

そして社会人であるチエは、デート代もほとんど出してくれた。

チエがレジで払うのを後ろで待っていると

“私が連れて歩いているみたいでいいじゃないの”
と言う。

そんな彼女が、二人で歩いているとき、ふっと腕を組んで来るときがある。

そんな時、心の中はどぎまぎしているが、それを見破られないように平静さを装う大変さ。

そして帰りが遅くなり、夜遅く送っていくときは
“ねーおんぶ”
とねだる。

今思えば、おんぶしてあげればよかったのだが、その頃はとても恥ずかしくてできなかった。
“普通は、女の子がおんぶって言えば、男性は喜んでするもんだけどな”
と言う。

ある時急に道の真中で
“ねーキスして”
と言い出す。

“こんなところで変な事いうなよ”

“アナタって駄目ね”
といつもの台詞を言う。

チエにこんな状況で振り回されていると、自分からチエに何かを仕掛けるとゆうのができなくなってしまっていた。

“アナタ女性で一番大事なものは何か判る?”

“それはね。セックスよ。”

自分はどぎまぎしてしまって、
“あのね。キミの世界と、僕の世界は違うの。そんなこと気軽に言うなよ。”

“ね。アナタ。教えてあげるね。私、他の人と結婚が決まっている人と付き合ってたのよ”


何も言えなかった。

そんなこともあって、しばらく、つきあいは途絶えた。




忘れかけた頃、下宿に久しぶりにチエからの電話。

“どうしてましたか?”
となつかしい、そして忘れられない声が聞こえた。

“相変わらずですけど”
と言うと

“出て来ない?”
とお誘いの電話だった。

久しぶりに、心をときめかせて会った。

“アナタって冷たいわね”
開口一番に言われる。

“アナタと付き合い始めた頃とても楽しかったな”

“私のほうが年上だって事知ってた?”

“知ってたよ”

“なんだ。知ってたのか。”

そしてしみじみとチエは自分を見ると言う。
"社会人になったらアナタ変わるんだろうな。”

”君だって、おばさんになっちゃうんだろうな”

”私は30歳までしか生きないの。おばさんになってまで生きていたいと思わないわよ”

その日は夕方から雪が降ってきていた。


チエが話し出す。

“小さい頃ね。修道院の女の人達が、雪が降る町をと言う歌を歌いながら歩いていたのよ。
とてもきれいな歌だったな“

町の中を二人で歩いているとレコード屋から当時“ひまわり娘”として人気のあった伊藤咲子の歌が聞こえてきた。

“この歌。この歌。あなた覚えて置きなさいよ。私が好きな歌なんだから” 当時曲名は知らなかったが“好きなのに好きと素直に言えなかった”という物悲しい曲だった。
後で”乙女のワルツ”という歌であることを知った。


二人の付き合いは、結局自分が大学を卒業してからもなんとなく続いた。

結局、こちらから手を握る事さえできなかった事もあり、いつか友人のような感じになっていた。

”君が結婚しても、付き合ってくれる?”
と言うと

”当たり前じゃないの”
と チエの方から歩いているとき自然と腕を組んでくれた。



大学を卒業してからは、勤務先からは遠く離れた事もあり、年に数回しか会えなかった。

”アナタ、社会人になって自分の事少し変わったと思う?”

”多少、苦労したから少しは変わったんじゃないのかな。”

”アナタ、全然変わっていないわよ。”


その通り、あの頃から自分は未だに何も変わっていない。

くやしまぎれに
“まだ結婚しないの?”
と冗談半分に言うと

“ミズノ君がもらってくれるの待っているの”

思わず
“はっきり、言っておくけど、君と結婚する気はないよ”
と言ってしまう。

何故、あんなこと言ってしまったのだろう?
好きで好きでたまらなかったのに。


チエは冗談で何か返すかと思ったら、黙っていた。

それから会っていない。






自分の結婚が決まって、チエの事が気になって、数年ぶりに電話をしてみたら
" 娘は、結婚して家を出ました”
と母親。
現在の電話番号を聞いて、思い切って電話してみるとチエが出た。

“久しぶりね。”
と流石驚いた様子。

“今ね。ちょっと手が離せないのよ。ガキをね。お風呂から出したばかりなのよ”

すっかり、母親の声になっているチエの声を聞いて早々に電話を切った。

それが最後だった。


たまに出張等で大学時代住んでいた町に行くと“チエ”との事がまざまざと思い出され、昔に無性に戻りたくなる。


♪♪好きといえばいいのに いつもいえぬままに
月がのぼる小道を 泣いて帰った♪♪

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