闘病?記録

(おぼえ書)

1999年2月6日

事の起こりは不可解なメール
ダーのところにHからとても自暴自棄なメールがきた
「まちがえた」と訂正されたが
またしても2日ほど後送られた
「部屋の中メチャクチャ・・自分でやったんだけど・・
僕には借金が・・こうなる前にもっと早く死んでしまえばよかったの
に・・・動物殺した・・・」
そんなメールが来たよと1月30日午前仕事中にダーから入った電話。
胸騒ぎ・・警笛・・
昼休憩中大阪のHに電話するが出ない。行かなければ・・そう決意!
母に連絡する。動揺する母。
名古屋駅で待ち合わせて、新幹線に飛び乗る。
Hに何がおこったのか?
母が駅からかけた電話にはでたらしい、泣いたらしい。
とりあえず無事?でうちに居ることだけは確認できた。
夕方6時頃だろうか、Hのアパートに着いたのは。
扉を開け、母と私は絶句。狭い上がり口から部屋の中まで
色んな物が散らかっていた・・キャットフード、何かの説明書、
あきかん・・。そして・・
やっと座れるほどのスペースでPCを見ていたようだ。
ベットのふとんをひきずり、そのまま夕べも座っていたんだろう。
机には遺書のようなメモが貼られ・・昆虫用プラケースも散乱・・・
それようの土もこぼれている・・すさまじい。呆然。
どうやら連れ帰るより仕方無い感じ・・。
母と別居中の父に電話。私たち2人だけでは手におえないと判断した
ので。
大阪に住む母の兄に宿の手配を頼み、ホテルへ移動。
おじと話すH・・ぽつりぽつり・・やっぱり尋常じゃない。
でも借金のことは割としっかり把握してた。
感情、思い出が無い
働く気になるための借金
むなしい
Hの言葉はそのまま私にも痛みだった
まして母はどんな気持ちで聞いてたんだろう。

1999年2月7日

アパートをかたずけ、引越しの手配
その夜は車で来た父とH、母と私で部屋をとる。なんだか皮肉、
こんな形でばらばらの家族が集まった。
父、母、今後のことを話し合う。
父に大人と認められてない私は、かやのそと。

1999年2月8日

引越し
私たちは車で・・夜、自宅(私には実家)到着。

1999年2月9日

Yクリニックにかかる。
2週間ぶんのくすりが出される。
薬に頼ってごろごろしてください・・家族の方、励まさないで下さい。
先生の指示だ。

1999年2月11〜12日

気分のいい時、悪い時の差が激しい
以前どうり何もおかしくないジャンと思えたり・・

1999年2月14日

この日は日曜日。突然、母とHがやってきた。
どうも二人で話をしていて二人共々鬱にはまってないていたらしい。
私は半日で仕事を切り上げる。
近くの喫茶店でお茶を飲む。Hはダーと私は母と話す。
うちに来て一心にPCをいじるH。やっぱり好きなんだろうと
思う。帰りは車で送ることにする。
途中・・洋食屋で夕食をとることにするが
その店で急に泣き出すH・・・
切れた堤防のようだなぁと思った。
そして問題の月曜日・・・
 
1999年2月15日
朝8:30携帯電話が鳴る。
「薬、全部飲んじゃった。どうしよう・・?」
Hからだ。確か睡眠薬出てた・・・1週間分?
「頭がくらくらする・・」
妙に冷静になる。すぐにひかえてあったYクリニックに電話で
問い合わせる。
やっぱり胃洗浄の指示。1時間半車でかかる私ではまに合わない。
ちちに連絡、事情を説明して病院につれてってという。
父が母のアパートに着くまで
Hが眠り込んでしまわないよう電話で一生懸命Hと話す。
なんだかしどろもどろで、だんだん聞き取れなくなる声の向こうで
チャイムの音!父に違いない。
電話をきったあと、私もすぐに実家に向かう。
空の青さに涙が出る。
1泊入院になる。
11時ごろ母の職場に電話。昼からの仕事をキャンセルしてきた母。
母が出かける前に
「この薬全部のんでも死ねないね〜」なんて話をしてたらしい。
ショックが大きい母。無理も無い。
母:「何、悪いことしたんだろう・・こんな事になるなんて・・」
父は借金のことで名古屋へ。
入院付き添いは若い私が・・・。3時間置きぐらいにトイレにいくH、
そしてその度・・なぜココに居るのかなど話をしたがる。6人部屋、
寝静まった夜、身が縮む思い・・・・
とてもとても長い夜だった。
「あなたが大切な人が落ち込んだら」を読む。

1999年2月23日

FAX事件
いつものように早朝自宅を出て母のところへ
午前中Hを医者に連れていく。
「どうですか?」「何か気分がころころ変わります」
「薬を少しかえるので それでまたどう変わるか様子をみましょう」
PCはあまり熱中しすぎない程度に・・借金の話もかたずけ始めて
よいと許可がでる。
私はうちの家族(母・私・弟)の父への恐れとあきらめのある生活を
書いた手紙を渡す。直接的な答えは聞けず。
母のアパートに帰ると・・・
父から怒りのFAXが届いていた。
正月自分だけ呼ばなかった事・・今も自分はのけ者で金だけ
いいように使っている・・母も病気だ病院にかかれ・・
そんな内容だった。ふるえた・・・
手におえないと判断する。なにしろ彼は私を大人とみていないから
話をきくとはとても思えなかった。
それでダーに応援を頼む。来てくれる前に私も父にFAXを送る。
うちの家族には甘えるとこが無かったんではないかと切々と・・・。
ダーが来てから一緒に父のとこに行き随分話をした。
とにかく協力しあうと・・解ってくれたと思った。その時は。
FAXは母の目に触れれば逆上するのは目に見えてたので
私が持ちかえり処分した。
                    続く・・・

1999年2月25日

24日の夜電話をすると母の涙声・・・。
あぁ、まずいよね、また ふたりで鬱に入り込んでしまってる。
実家に向かいたいなと思い悩んだが、あいにく雨降り、車はダーが
使っていた。
それで25日にまた、電話してみる。
案の定、早くから起き出して夕べの続きをやっているとの事。
私もなんだか自信がなくて母の姉に母の事を相談してみたりする。
まあ、ひとまずは心配で仕事に行けないと言う母を諭し、母の家に向う。
11時少し前に到着。
なるほどカーテンを締め切り、薄暗い部屋の中、ベッドで寝ている。
これはポーズなのか?本当なのか?
かまわずにカーテンを思いきり開ける。目を覚ます。
うん・・・そんなに悪い感じじゃない。
話しを聞く・・・母が一緒に泣いてくれるのが嬉しいと。屈折した
甘えなのかな・・。つられて泣く母がかわいそうだねと言うと
「馬鹿だ」と薄ら笑いを浮かべる。わからない。
午後からごそごそしはじめる・・・
「パソコンでも触りに行こうかな・・」と私に向ってつぶやく。
父のところに一人では行きたくないのか、私が二つ返事で行くと
言うのを待ってるのか、なかなか行動にならない。
やっとのことで腰を上げたので、車で送り届ける。そのまま一緒に
居て欲しそうなHを父と残し、私は買い物に出かける。その方がHの
為かなと思い。2時間ほどパソコンをいじった様子。
携帯に迎えの催促が入り迎えに行く。
夜、母は会社の帰り、友達と銭湯へ。少し息抜きできたみたい。
うん、それでいいのと、少しほっとする。

1999年2月26日

早朝4時、Hがごそごそ起き出す。もう少し寝てなさいと母に言われるが聞き分けが無い
無い。じゃあどうぞ、ここでボーっとすればとこたつにいれる。何か話しが
したそうなH。それをなおも聴こうとする母。きりが無い。
母に目配せをし、私達はもう少し寝るからと寝る。
私にはよく聞えなかったが「俺が起きてるのに寝やがって・・・」と毒づいていた
様子。・・が、ほどなくいびきをかきだす。
6時ごろ起床。Hは「なんでコタツで寝てるの?」となんだか上機嫌。
ほんとうに覚えてないのか?ふりなのか?
どんどんわがままな要求はエスカレート。それが通らずに脅し毒づくのか・・・。
午後、父と借金の事で弁護士のところへ。
破産はできるが免責は受けれないようだ。まだまだメジャーじゃない不健康な心の
ことが理由、無理も無いことなのだろう。
帰りの車中「死んでしまいたかったのに」と泣き出す。借金の事なら大丈夫と父が
言うが、そんな事は関係無い、僕には何も無いんだと延々と続く・・・。
母のうちに帰ってからも不安定。母が帰ったら薬を奪い包丁を持って逃げるなどと
言う。僕は動物も殺したんだから何をするかわかんないよと脅す。
キッチンに行って包丁をとりだし眺める。ポーズ?
母のようには動揺しない私が歯がゆいのかな・・。死ぬのはいつでもできるから
もう少し医者にかかろうというと、うんと納得するのだが、また同じ事を言う
繰り返す。そして衝動が抑えられないと泣く。
では先生のところへ行きましょうとクリニックに行くが、残念ながら休診。
うちに帰ると母が夕飯の仕度をしながら心配そうに待っていた。
夕飯後、また始まる・・・。
ついに私が切れる。薬と包丁を本人の前に、「飲めば!切れば!
そのかわり119に電話するから死ね無いわよ!」と迫る。
いったんはひるんだのか止めるが、薬なら飲めると飲みだす。
ああ・・・まったく・・少し私が慌てる。「もういい、コレ持って
帰るよ」と薬をつかんで私は玄関へ・・・。
「ハッハッハッ・・・」笑うH。何がおかしいのだろう。
父のところに行くかと聞くとそれもいいかなと同意。泊まり支度をし
送り届ける。しっかり管理している薬をテーブルに全部置いたまま
「Hを信用しているから」と言う父。
ん?じゃあ私や母が信用してないってことか?
信用なんて言っても今のHには何の意味も無い事なのに・・・
解ってないよ・・・・。母の様子を見に帰り、ゆっくり話しを聞き
私は自宅に帰る。

1999年2月27日

朝、父に電話をして様子をきく。
やはり目を離した隙に薬を飲んだようだ。少しは理解してくれたか
父よ・・・。
夜10時ぐらいに携帯にメールがくる。「昨日は迷惑かけました」
たまらず電話をかける。もう気分が良いので母のところに戻ってる・・
薬を強いのに変えてもらった・・など話す。「もう来ないなんて
言わないで、また来てね」と。う・・・昨日は悪魔、今日は天使だ。
躍らされてる、ヤッパリ嬉しくて小躍りしたくなるけれど・・・
この状態も長く続かないことをよく解っていないとね。
明日は母とH二人で父のとこに引っ越す為の掃除をしに行くらしい。
母は大丈夫なのか・・・心配だ。

1999年2月28日

母に電話する。掃除に行きかなり疲れた様子だ。
母の話しだと、先日私が切れた事電話するまでかなり気にしていた
ようだ。朝起きてから「姉でも弟でもないと言った・・・怒って帰っ
っちゃった・・・」と泣いていたらしい。愛しい弟。
人ごみは、やはりHには負担らしい。顔色まで変わると母の話し。
今日は母の声も明るく安心する。
 

1999年3月2日

前日に父から電話をもらい 借金返済のことで家族4人で出かける。
Hは薬がよくききすぎているようで ろれつも回らず
足元もおぼつかない。
ATMで払えるものは全額払う。あとのものは電話で降り込み先
残額など 片っ端から調べる。ほぼ方がついた。
Hはつかれたのか いびきをかいて寝てしまった。

1999年3月9日

「農薬でも飲んで死んでしまいたい」と携帯にメールがはいる。
午後から父が出かけた間にカーマで農薬を購入したらしい。
 

1999年3月10日

朝、「気分が良くて農薬の事を母に告白した」と。
夜 実家に向う。
着いてみると なんだか父と母 金がらみでやな雰囲気。

1999年3月11日

通院日。
心理テストしてみて カウンセリングに方向で・・・と。
「何か方法はあるでしょう!」と言う明るい先生の言葉が
母と私の気持ちまで明るくする。

1999年3月15日

Hは父をキライじゃないと言う。でも余計な事を言う 多分自分の
思惑と違う事をいうと言う事かな
だから 一緒に医者に行くのをいやがる。
でも 今日は父と心理テストに行く。
私か父しか車がないから 私が休めない今日は仕方ない。
が、心配だ。

1999年3月18日

16日の夜電話した時には なんだか口聞かなくなって悪化したと
言っていたけれど、電話のスグ後に「リンゴが食べたい」と起きだし
口もききだしたようだ。
心配で昨夜から実家に来たが 割と明るい様子で安心する。
やはり かなり波があるみたい。
本日は通院日。
 

1999年3月25日

今日は私がとても疲れていた。で、母の愚痴に着いていけず口論に。
「もう 帰るから」と出るが、やはり帰りきれず。
ダーとT江に電話で元気付けられる。
ドーナツを買って戻る事にする。
私が居ない間にHは「姉ちゃん 帰っちゃったジャン!」と母を
強く責めたらしい。激して疲れたのか その後すぐに寝てしまう。
帰るときも「また来てね!」と言ってくれる。
 

1999年4月1日

病院で父の事を聞かれ「なんでも器用にこなす人 自分はばかにされ
て 認められてない 誉められた事が無い」などと言う。
痛々しい。

1999年4月18日

とうとう引越し。父からやっと自由になりのびのび一人暮しをして
居た母。金銭的なからみからからなので何も出来ないのが悔しい。
おっかなびっくりの共同生活だ。
Hにへやでくつろいでいると ぽつりぽつり話し出す。
「やっぱり僕はなまけもの・・カウンセリングこわいなぁ・・父に
どこかへ行こうと言われるとやだな ・・何かしろと言われると
責められてる気になるんだ・・僕は表面的にカッコ良ければ中は
どうでもいいんだ・・コンピューターやゲームもいつでもやれる状態で
あればいい・・やらない・・・・カッコ着け・・見栄っ張り・・うそつき」
どうしたらもっと自分を優しい目でみれるんだろう?
僕はこんなにもかわいそうというパフォーマンスなのだろうか?
そんな事言えば 多分「そうかもしれない」と肯定するだろう。
受け入れて受け入れて・・コレでもかというぐらい愛で包んで・・
守って・・認めてあげる・・・」それしかできないのかな・・・・
 
そんなつもりじゃなかったんだけれど
結果的に母を責めたみたい
Hは風呂の中で聞いていたようで「さっきケンカしてたでしょう」
だって・・。
でも母の完璧主義がHにいい影響を与えるとはおもえないし・・
「それは絶対変えれない」なんて言われたら私の語気も野や粗くもなる
でも「親子だからケンカぐらいするよ」とすらっとHに言えた母は
偉い!
 

1999年4月22日

本日初カウンセリング。
引越しから一週間たたないが 母が爆発しそう。
もう父は声を荒げて顔色を変えたらしい。
そんな話を聞き黙っていられず「カッとしちゃだめだ」と言う。
そのとたん父は明らかに顔つきを変え不機嫌に・・・・。
 Hは以前実家に居る時からたびたび吸ってはいたようだが
またガスを吸ってしまったようだ。
この先どうなるんだろう・・・・
「やっぱりWは(私のこと)子供を産んでないから まだ子供だ・・」
と父が言ったそうだ。変な理屈だ。
 
このあたりからかなり私にも疲れが・・・
そんな事言われ ショックと共に「もうイヤ限界」と思う。
帰りつき深夜2時過ぎまでダー相手にごねる・・・もう赤の他人に
なりたいと・・・。
1999年4月27日

携帯電話にメールをうつと 一言二言返事が来る
けして 希望を持てる内容じゃないけれど 返事をしてくれることが嬉しい
鬱は回りの人間にも感染?するようだ
私自身気持ちの切り替えが出来ない事がたびたび
このまま 消えて無くなってしまいたい なんておもったり
仕事もつまらなく感じたりするようになる 前向きになれなくなってきた
ひとりっきりで 思いっきり暗く 落ちこんでいたかったりするように

生きるって 辛い

1999年4月30日

朝 母から電話がかかる
「メール届いたと思うけど たいしたこと無いから 心配して来なくていいよ」って
ん?メールチェックしてみる
あぁ なんてこと・・・ 
ガスをすって ぼっーっとしたとこで 手首を切ったと
どんな気持ちで メールうったの?
届かなかったSOSの叫び いたたまれなくなる
やっぱり 午後から仕事をあがり 実家に向う
確かに 手首の傷は そんなにたいしたことなかった
ん?ん?ん?
父に「こんにちは」って 声かけて そのままHの部屋に言ったけど
それが 気に入らなかったの?
父は 黙ったまま うちを出て 23時になっても戻らなかった
Hは「姉ちゃんの事が怖いんだよ」って
さて? 確かに この家で一番彼にズケズケものを言う かんにはさわるだろう
気にいらない存在だろう
でも なんて子供じみて やな奴

1999年5月4日

朝早く自宅を出て 実家へ
どしゃぶりだった 7:30には到着したけど 先日の事もあり
なんとなく父と 顔をあわせづらい 傷つくのがコワイ?
そのままコーヒーを飲みに行って 父が出て行ってくれるよう10:30ぐらいまで
時間をつぶす
でも まだいた カンネンする
Hはまだ寝ている 父は機嫌悪い顔 
「何?どうかした?」「別に」
むちゃくちゃ陰険な雰囲気 「なんか やな感じ」とつぶやくが まるで無視して
テレビを見つづける Hは寝てて キッチンの横の居間で父はテレビ
狭い家だから 行き場なくて・・・キッチンの椅子に座り ダーにメールをうつ
泣けそうな自分 みじめな自分
心配して 行こうかってダーは返事をくれた
でもね ダーが来たとたん 父は逃げて行くだろうと断る
どれぐらい気まずい時間を過ごしただろう
見たい番組が終わったのか 父はテレビを黙って消し
チラリとも私を見ず うちから出て行った
怒り 悲しみ 
こんなふうに 傷つくのは やっぱり 私は彼の娘だからなんだろう
肉親だからなんだろうね
私が朝到着したとき もう仕事にでかけたと思っていた母はまだいて
私が来た事を父に告げたそうだ 「じゃあ 俺が出てく」「そんなの困る ちゃんと話
して」「子供が親に説教するなんて・・・」「言われなきゃわからないでしょう」「俺のプライドが許さん」
・・・・そんな会話があったようだ
話し合えの言葉に 考えとくと返事をし うちに居たものの 
いざ 私の顔を見ると やはり怒りがこみ上げてきたんだろう
説教ねぇ・・・どうも4/22の事みたい 声をあらげたりカッとしたりしちゃダメと言った
言葉は選んだつもりだったけどな・・・ くだらない
Hが起きてきて 険悪な雰囲気だったことに触れる
「それは前からじゃん」ってかわしたけど もっとひどい そして傷ついてて
そんなふうに私自身が父のしうちに心痛めるその事実 それがまたイヤで 血縁のしがらみか    
実の父親に無視される その痛み 
相手は大嫌いな父親なのに なぜ こんなにツライ 悲しい
「このうちキライ」ついつぶやいてしまった
「そうでしょう」相槌をうつH
それでも ココでくらしているHが不憫に思えた
結婚してうちから出れた私 
父と二人の生活になり やっとうちを出て安らぎを一時は手にいれた母
何かが変わると信じ 一人親元はなれ札幌 北海道と頑張ってみた弟
変な家族 切りたくてもけして切れない血縁

ダーに迎えに来てもらう
ダーもダーのご両親も本当はあまり私を実家に行かせたくないんだって言われる
私がボロボロになるからだって
確かにボロボロになりつつある でも行かなきゃ実家もボロボロ
私が行く事でたとえわずかでも 事が好転するかもしれないなら 見てみぬフリはできない 
私がどうなっても行くのは 肉親であるがゆえのサガ
気が重い でもHや母の力に少しでもなれるんなら それがたとえ自己満足でしかないとしても 
行きたいんです 仕方ないんです

子供みたいにスネ 出て行く 身勝手
私も似たとこだらけで 悔しい 辛い 悲しい
ますます奴(父)に対して 絶望と憎しみがふくれていく
そんな自分もキライ

1999年5月10日

Hからあまりよくないメール
母と電話で話したところ やっぱりちょっと不安定みたい
夜中に起きて 母のことを責めてなじったりすると
母と弟は性格が似ている
引きこまれて 内にこもっちゃダメ しっかり!と母を励ましたい
さぞ 辛いだろう
自分がお腹を痛めて産んだ息子に 面と向って責められなじられ・・・
心配

1999年5月13日

前日 友人宅に泊ったため 電車で自宅に帰り その足ですぐ車に乗り換え
Hを医者に連れて行くために実家に
その後 自身の勉強のため 生け花展を見に
ハードな一日

1999年5月20日

実家について母と喫茶にモーニングに行く
その間に奴(父)は 身支度して外出するようだ
H診察後 レンタルショップCDを
今日までの一週間 ダビングなどして気が紛れたというんで
また 紛れるというのなら それもいいでしょうと・・・
ついついお金をつかってしまう 甘いのでしょうか?

1999年5月27日

毎木曜パターンが決まってくる
朝は出社前の母と喫茶でお茶 母の愚痴に耳を傾ける
Hにいろいろ責められ 疲れている母
その間に姿を消す奴(父)
もう 何週間 顔合わせてないだろう?
1999年5月29日

後で知ったことだけれど
また浅くではあるけれどリストカットしたらしい
(6月4日に僕のHP見た?とメールが来たのはそれを知って欲しかったからか?)
このとき奴(父)は
俺はそんな事じゃ驚かん いっそ鼻でも落とせば驚くかもしれん
自分は足がぶらぶらになったことがあるんだぞ
などど言ったらしい なんてデリカシーにかける奴なんだ 許せない
1999年6月7日

突然仕事中にHから電話がかかってくる
電話きらいかけれないって言ってたけど かけれるじゃないと話していたが
どうも うちじゃなく外からかけてるようで不安になる
会話してるうち どうもかなりうちから歩いている事がわかるが
なんとか話を歩いてちゃんとうちに帰るようにもっていく
事無きをえた
1999年6月10日

通院日だから実家へ
7日のことを話してくれる 
ビルに上がってみたり 線路の中に立ってみたりしたようだ
あとは線路沿いを歩き 病院へと向ったが 休診だったとの事

病院でのカウンセリングは苦痛だと言う
でも 終えるとけっこう機嫌よく出てくる
1999年6月17日

いつものように早朝から実家に出かけ いつものように母とモーニング(母の奴に対する
愚痴 どんどん酷くなる 先が心配)
いつものように母を職場に送り 一人で実家に
そして いつものように奴(父)はいない
H 10時ごろ不機嫌に起床 前日私が彼のHPを見た事を言うと ちょっと気を良くした
みたい
カウンセリングのある日は気が重いようで 朝5時ごろ目が覚めるらしい
カウンセリングを終えるとほっとするみたい
Hとふたり買い物に出かける どうも彼が自分のHPで「姉は毎週CDを買ってくれる」と
あったのが引っかかってて・・・でも甘えるようにすがるように 「だめかなぁ?」と
言われて ダメと言えない 子供のよく使う手とわかりつつ
診察に母もつきあわせる 先生の話を聞く事が母の疲れ果てた精神状態にもいいと
思ったので・・・ 直接話しを聞き 少しは安心できたかな?!

夕食後 くつろいでテレビを見てた Hは部屋でCDを聞いてた
22時ごろだろう「車どかしてくれ!」
奴の声だ!
私に緊張が走る
鼓動が高鳴る
声もふるえそう
・・・イヤになる自分で 何をそんなに恐れる必要があるんだろう 
ビクビクしてるだろう
無言のまま 奴の前を横切り 駐車場から車を動かすのがやっとだった
Hは私をみて ぼそりと言った「言い方がいやらしい」
うん そうだね 私の気持ち気遣ってるの?
奴は車をいれかえると自分の部屋に行った
一生懸命 平静を装った 強がって・・・・ 母が気にしていたしね
一持間ぐらい後 帰宅する
私が実家にいるうちは 戻ってこないという気持ちが強かったので とても動揺した
娘がいるからうちに帰れないという己にいやになって帰ってきたのか?
どうすれば 良かったんだろう
にこやかに「おかえり」と言い 余裕で車を移動すべきだったの?
不意打ちゆえに 私にも全く余裕がなかった
なんだか負けた?って気さえする
帰り道 運転中 涙がこぼれた
オロオロうろたえた自分が情けなかった?
奴に疎まれるのが辛かった?

救いは帰りがけのHの笑顔
頑張った私へのご褒美かとてもイイ顔してくれた




・・・・続く・