某掲示板への書き込み

2001/01/19(金) 01:32  確かに、死んだら終わりだ。
しかし、そもそも命や人生というものは、より大事なもののために、捨てたり、捧げたり、費やすものではないだろうか。
 人によっては、それが日常の小さな幸せだったり、誇り、宗教だったりする。
いつ、何のために人生を捨て、捧げるか。それが肝腎だろう。
 仮に、繁華街で突然人に斬りつけるのが、あなたが自分の人生を捨てるに値する行為であるというならば反対しない。
 しかし、その刃が私や私にとって大事な人に向かった場合は、私にとって命よりも大事なもののためにあなたを殺す。
 その大事なものが私にとって、私の命よりも大事であるように、 あなたの命よりも大事だからだ。
297 名前:マジレスさん投稿日:2001/02/12(月) 04:03 他の種の動物を可愛がるのは人間の特徴。 他の種の動物を飼うのも人間の特徴。 他の種の動物を愛することができるのも人間の特徴。  人が同じ人でも愛するには条件があるように、 すべての種の動物を愛することはできない。  ただ、いえるのは動物虐待をするのは「種としての人間」として なにかが欠けている。  私個人には屑だと思う。  私はエゴとして、動物を愛しているのかもしれない。 しかし、それ以上に本能として動物が好きだ。 本能に理屈はいらない。 まあ、「動物愛護活動」なんてできないし、する気もないけど。 結局、好きな動物だけ好き。 私にとって馬は、牛や豚と変わらない。 298 名前:マジレスさん投稿日:2001/02/12(月) 04:12
>>296
>「人と同じ」ってのはどこまでなんだろう?
 現状の動物愛護も「人と同じ」なんでないの?
地球の裏側で、何人死んでも何とも思ってないでしょ。
自分の見えないところで人が死んでも何とも思わないのが普通の人間。
そうじゃないのは、イエス・キリストや仏陀ぐらいでしょ。
 自分の見える範囲だけ、自分が愛する範囲だけってのは
どんなときでも当たり前の基準だと思うぞ。
ただ、動物愛護団体の方々は、どうも私と「愛する範囲」が違うらしい。


299 名前:マジレスさん投稿日:2001/02/12(月) 04:24
つーか、いわゆる「動物愛護」をここで反対している方々。
「動物愛護」をしている人々を「感情的で、理論的じゃない」と
責めているけど、それでも役所は動かせているし、世論も誘導できている。
 ここで反対している人々よりも、行動力も、説得力も持ってるって事の
証明になってない?
 説得は、理屈よりも感情を動かしたもん勝ちでしょ。
つーか、理屈で感情を動かすんじゃない。
ある程度、論理的に考えられる人間なら、
自分の意見とは反対の考えについても論理的に擁護できるでしょ。
論理は後付だよ。

307 名前:ヘタレ愛護へ告ぐ投稿日:2001/02/12(月) 10:46
>>299
>役所は動かせているし、世論も誘導できている。
あれだけ、強圧的かつ執拗に抗議すれば、役所も企業も
通常の業務ができなくなるので、ある程度の沈静化を
計るのがあたりまえだ。そこには説得力もなく正当性ない。
暴力団に屈して言うことを聞かざるを得なくても、
「それで勝ち」でいいのかい?
同じことが動物愛護で起きているのだよ。

>ここで反対している人々よりも、行動力も、
>説得力も持ってるって事の 証明になってない?
愛護活動家は行動力はあるが、説得力は全然ないと思う。

>ある程度、論理的に考えられる人間なら、自分の意見とは
>反対の考えについても論理的に擁護できるでしょ。
現在の「動物愛護」活動を論理的に擁護することは
まず無理だとおもう。論理が分かっている活動家は、
説得は無理だと理解しているので、論戦を張らないだけだ。
論理が分かっている活動家は、
「動物愛護で唯一妥当な活動は救済活動だけだ。」
と理解している。


308 名前:ヘタレ愛護へ告ぐ投稿日:2001/02/12(月) 11:05
>世論も誘導できている。
ワイドショーは誘導しているかもしれないが、
世論は誘導していないと思う。



309 名前:へたれ反愛護へ告ぐ投稿日:2001/02/12(月) 16:12
297です。
>>307
>あれだけ、強圧的かつ執拗に抗議すれば、役所も企業も
通常の業務ができなくなるので、ある程度の沈静化を
計るのがあたりまえだ。そこには説得力もなく正当性ない。

彼らにとっては「それで勝ち」でいいんだろ。
どうも、あなたは本質的に勘違いしているようだ。
「論理的整合性」を正当性と一緒にしてないか?
 もともと「愛護活動」自体が感情に基づくものなので、論理は無意味だ。
「論理じゃ説得は無理」なのが論理派にも判ってるんだろ?
 私は「論理は愛護活動には無意味・無力だ」ということを主張しているのだ。
それはあなたも同意見な訳だ。
「猿を駆除しろ」といっている連中は人を動かすことをできているのか?
人は論理じゃ動かない。感情で動く。
恐怖であれ、嫌悪感であれ人を動かすのは感情だ。
彼らはその目的を達しているし、その手段の有効性、
そして行動力は認めざるを得ない。


310 名前:へたれ反愛護へ告ぐ投稿日:2001/02/12(月) 16:13
>>308
 じゃあ、反「愛護活動」派はワイドショー動かせてる?
くだらん揚げ足取りするなよ。
 自分と反対意見のものを過小評価するのは愚か者のすることだ。
そしてあなたは愚か者とは違うはずだ。


311 名前:へたれ反愛護へ告ぐ投稿日:2001/02/12(月) 16:24
>307
暴力団に屈して言うことを聞かざるを得なくても、
「それで勝ち」でいいのかい?
同じことが動物愛護で起きているのだよ。

おいおい、いいかどうかはともかくそれで勝ちなんだろ。
 クラウゼヴィッツじゃないけど、
暴力を行使できない人間は行使できる人間に必ず負ける。
これは真理だ。
 我々暴力を行使できない人間は、
代わりに暴力を行使させるために警察や自衛隊を税金で飼っている。
 あなたは暴力団と一人で対決できるか?論理で説得できるか?できないだろ。
対抗するためにはより大きな暴力組織である警察に頼るしかないだろ。
 自らが尊ぶ「論理」を過大評価するが、
そうじゃないものを過小評価する。
そんな傾向があなたにはあるようだ。

313 名前:ヘタレ愛護へ告ぐ投稿日:2001/02/12(月) 17:13
>>309~311
確かにあなたの言うとおりだ。同意する。
しかし問題が動物愛護の場合は、
>暴力を行使できない人間は行使できる人間に必ず負ける。
を「真理」として、話しを進めていくと、ご存知だろうが
黒ムツには勝てない。

あなたの議論では「〜である」は説明できても、「〜であるべきだ」
は、説明できないのではないか?
これだけ多くの種類の人が社会を形成していて、その利害を調整するには、
理論的整合性のみが「〜であるべきだ」を「正当化」できるのではないのか?
(もちろん基本的人権の前には理論は無力であり不要だ。)

少なくとも、動物を愛護していると自負している人には、
その点を理解し、暴力団的な行為はしてもらいたくない。
多くの人が、人権を侵害されるほど害獣であるサルや
猫で迷惑していることをわかってもらいた。
現状の「動物愛護と称する」活動の多くが、暴力団と同じこと
をしていることを理解して欲しい。

318 名前:へたれ反愛護へ告ぐ投稿日:2001/02/12(月) 18:12
>>313
 いいや、論理的整合性だけでは決定的ななにかがたりない。
それはあなたも気づいているようだ。
 もっとも基本的でまた、この社会を形成するうえで
最重要視されるべき基本的人権という点において、
理論が無力であることをあなたは判っている。
 なにが正義かは誰もが、自らの心に持っているはずだ。
そして、それらが衝突することがしばしばある。
そのとき勝敗を決めるのが暴力だ。
途中までは論理でいいだろう。相手が納得するのなら。
だが、互いの正義を賭けるとき、
論理で決着を付けられないことがしばしばある。
>黒ムツには勝てない。
 黒ムツが暴力を振るうのなら、
私はより大きな警察という暴力を行使させる。
そして、それは世間の正義と一致する。
そしてあなたの正義とも一致するはずだ。
もちろん、目の前でやってたら自ら暴力を行使するつもりだ。
これは世間の正義とは一致しないだろうが。
 たとえ、論理で正当性を述べても
それを実行するには暴力が必要なのだよ。
 暴力を行使するのが悪だとして、
その行使をやめさせるにはより大きな暴力(警察)の行使しかない。
間接か直接かの違いだけで、我々は暴力を振るっているのだ。


320 名前:へたれ愛護へ告ぐ投稿日:2001/02/12(月) 18:38
>>318
>その行使をやめさせるにはより大きな暴力(警察)の行使しかない。
>間接か直接かの違いだけで、我々は暴力を振るっているのだ。
そこまで自覚して「動物愛護」の名の元に暴力をふるっているなら、
何も言うことはありません。私の実力ではそれを論破できない。
理論では、暴力団の暴力も黒ムツの虐待も論破できない。
あなたの勝ちです。
しかし現実問題として、黒ムツの虐待や密かな毒殺を、
「大きな暴力」で阻止できるのですか?
黒ムツのいってみれば「ゲリラ戦」に、その方法で勝てるので
しょうか?
「動物の命を守る」という目的達成の手段として、
正しい選択とは私には思えない。

338 名前:へたれ反愛護へ告ぐ投稿日:2001/02/13(火) 01:03
うーむ、強くいいすぎたようだ。
別に私は、愛護活動で暴力なんて振るっていません。
っていうか、「愛護活動」なんてしてません。
中学生をちょっと教育してあげたことがあるくらいです。
彼らは弱者の立場を理解しただろうし、暴力を二度とふるうことはないでしょう。
ただ、HNの「へたれ愛護へ告ぐ」っていうのと「暴力団」てのが
なんか気にくわなかったんで、反論しました。
また、愛護論者を「感情的」と切り捨てる行為。
感情の発露としての「愛護活動」なんだから、
それが当たり前だろってのもカキコした理由の一つです。

 日本は山脈の列島であり、
人の住む平野からすぐに山の中に入れます。
人と動物の住む場所があまりに近すぎるんです。
最終的には隔離か、近づいたやつは皆殺し、
あるいは共存のどれかしかありません。
排除や駆除ではなくて共存の道を探るべきでしょう。
 猿を駆除する人たちはどんな人たちなんでしょうか。
趣味で猟をしている方々はおられないのでしょうか。
そんな方々が私には黒ムツと大差ないように思われます。
そして彼らに大義名分を与えている現状。
その現状が嫌いなんです。
それを少しでも変えようとしている人々の方が、
その人々を「感情的」と切り捨てる人々よりも好きなだけです。
表紙へ