他己紹介・加藤直哉のプロフィール |
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名前
| Nao ”P.M.A.“ Kato |
| 生年月日 | 浅間山荘事件の忠臣蔵 |
| 身長 | 並 |
| 体重 | 10キロ減 |
| 職業 | 金のために働くわけではない |
| 趣味 | マンレスウォッチング |
しかしさすがにこれでは公表するに値しない。したがって私は饅頭一個という、彼の手からは滅多にお目にかかれないささやかな報酬を受けてしまった以上、自分の覚えている限りの彼の言動や行動の記憶を掘り下げ、こうして浮かび上がった彼の過去を私の独断と偏見で年表化するというどうにもこうにも面倒くさい作業に骨を折るしか術がなかったのである。
こうして苦節数時間、ようやく出来た彼のプロフィールがこれである。読むに値しないと思うが、私の血のにじむ苦労の証だと思ってお目通ししていただきたい。
西暦 |
ナオヤの出来事 |
世間の出来事 |
| 1971 | 12月14日、神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。 | 大久保清事件 高橋和巳死去 |
| 1974 | 矢野隆夫と知り合う。本当はそれ以前から知り合いだったのかもしれないが、意識したのはこの頃。 | かもめのジョナサン、刊行。 長島茂雄現役引退 |
| 1976 | 私立松浪幼稚園に入園。『男オンナ』とからかわれる日々を送る。 | ロッキード事件 セックス・ピストルズデビュー |
| 1978 | 茅ヶ崎市立松浪小学校入学。内向的で、積木遊びに熱中し、家にある片っ端の百科事典や国語事典などを読み漁る毎日。「非常に暗かった。今思うと気持ち悪いね、そんなガキ」(ナオヤ・談) | ナンチャッテおじさん スターウォーズ公開 |
| 1982 | 当時の担任教師の授業の影響から詩作、絵画、バスケットボールに熱中。徐々に性格に明るさが見え始める。 | E.T.公開。 五百円硬貨登場。 |
| 1984 | 三月、松浪小学校卒業。 「今でもこの母校の校歌を歌える。恐るべしファシズム教育」(ナオヤ・談) 四月、茅ヶ崎市立浜須賀中学校に入学。バレーボール部に所属し、全日本に選出されることを目指す。 中学ではへヴィメタルブーム。そのため彼の性格からかパンクロックに興味を持ち始める。 海で溺れた話を書いた作文が市の文集に掲載される。「真面目に恐怖を伝えようと書いたんだけど読んだ人からは爆笑の渦だった」(ナオヤ・談)それ以降、短歌や俳句、または絵画などの入選がぱらぱらと続く。 | マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」ヒット。 インドのガンジー首相、暗殺される。 |
| 1985 | ギターを弾き始める。最初のギターはゴミ収集所から拾ってきたクラシックギターだった。「非常に弾き辛かったからかえってはまりました。何とか上手くなってやろうと燃えました。そしてある程度の腕がついた頃、ちゃんと元あった集積場に返しました」(ナオヤ・談) | 日航機ジャンボ墜落。 阪神タイガース優勝。 |
| 1987 | 三月、浜須賀中学校卒業。 四月、神奈川県立鶴嶺高等学校入学。やはりバレーボール部に入部するが、興味は音楽に徐々に傾き始める。 | NTT株公開。 |
| 1988 |
初めてエレキギターを買う。
膝の怪我により、バレーボール部を退部。と同時期に「つまらない音楽の打破」という建前とも本気ともつかない志の元、ロックバンド結成を決意。間もなく校内で結成されたパンクバンド「BUNNYGIRL」に参加。当初はギタリストになりたかったがじゃんけんで負け、ヴォーカリストに転向。最初のライヴでの吹っ切れた奇抜なパフォーマンスが買われ、その日のうちに当時活躍していたアメリカのD.R.I.やSuicidal Tendancies、日本のGastunk、Lip Cream、Systematic Deathなどのハードコアパンクを意識したバンド「SLUM]結成に引き抜かれる。 | 東京ドーム完成。 |
| 1989 | フルスピードで突っ走る演奏と凶暴性を推し進めた「SLUM」のステージは地元の血気盛んな男子達の絶大な支持を受けるが、やがてその音楽に限界を感じ、解散。この頃から音楽にとらわれない表現活動の模索が始まる。 | 昭和天皇崩御。年号は昭和から平成に。 消費税がスタート。 |
| 1990 | 三月、鶴嶺高等学校卒業。前後して新たなメンバーとバンドを結成、バンド名を幾度となく変更しながら思考錯誤の音楽活動を展開。 四月、産能大学入学。演劇に何らかの可能性を見出し、大学では学内の学生劇団サークル「THE ATE ART CLUB」に所属。 また、自らのパンク哲学の発展から共産主義に共鳴。社青同開放派のメンバーとして学生運動に参加。 音楽、演劇、政治活動と三足のわらじ。 | ネルソンマンデラ釈放。 ペルーの大統領に日系二世のフジモリ氏。 |
| 1991 | やはり三足のわらじは厳しく、疲労からか酒でのトラブルを幾度となく引き起こす。 しばし休息の時。 | ソ連崩壊。 湾岸戦争勃発。 |
| 1992 | 演劇活動中心の日々。数本の脚本と演出作品を発表。 安本美典教授のゼミナール(広告研究論)で映像部門の班長を任され、秋頃から映画製作に没頭。俳優、監督などを務める。 | 中上健次死去。 合同結婚式で統一教会が話題になる。 |
| 1994 | 就職活動をせず、表現活動の模索に費やす。 卒業製作に映像とプライバシーに関する教育教材用映画を残し、三月、産能大学卒業。 | 松本サリン事件 |
| 1995 | 住まいを東京都世田谷区、下北沢駅の近くに移す。 劇団東京乾電池などに所属した経歴を持つ竹内エイジ氏に誘われ、彼の主宰するコメディーグループ「ラヴ兄弟」に参加。 「全ての表現は詩作につながる」との意味不明な確信の元、原点に立ち戻り、自分の表現活動の中心を文筆と見定める。 | 阪神大震災 地下鉄サリン事件 |
| 1998 〜2000 | ラヴ兄弟、弾き語りのライヴ、演劇のシナリオ作成など相変わらず雑食的な活動を続ける毎日を送る。 パソコンを導入。UNIX導入を目指し、学生時代にやっていた勉強を一からやり直し。 本当は小説を書きたいらしいが、そんなひまもないらしい。いい加減はっきりしろ! | ワールドカップフランス大会に日本が初出場。 |
彼は面白い人間であるためには3つの必要条件があると言っている。その3つとは、
1..格好いいルックスを持つこと。
2.頭が良いこと。
3.下品なユーモアが分かること。
かなり乱暴な意見だ。格好いいルックス、などといっている時点で彼は既に面白い人間は先天的なものだと位置付けてしまっている。お前はどうなんだ、と言いたくなるだろう。実際本人の口からは「別に文句の付けるところはない」との答え。言わせておけ。また、頭の良いことと下品なユーモアとの組み合わせは一見矛盾に値するものと思いがちであるが、これは日本人特有の「頭の良さのイメージ=品位のあること」の部分と下品さという部分との共存の違和感を弄んだ彼独特の皮肉であろう。もっとも「上品」と「下品」の部分はそのまま「ブルジョア」と「プロレタリアート」、あるいは「差別」と「被差別」と置き換えて読んでもらうことも可能だ。これ自身がまさに下品なユーモアとなっていると言える。
最初に述べたとおり、彼は私を十分楽しませてくれ、そして非常に面白い人間である。しかしそれはあくまで私の判断であり、正直、彼が果たして世の他の何人の人間に面白いとされるか、それは私の目からみても未知数だ。確信は出来ない。ただ具体的に言えば、彼は非常にくせのある人間なのだ。結局彼のそんなところが私の腹の奥をいつも擽っているのである。
矢野隆夫……1972年神奈川県茅ヶ崎市生まれ。現在某自動車整備会社に勤務。私加藤直哉とは性格は全く違うがなぜか気が合う、というよりも異質の性格ゆえの整合感とでも言うのか、これぞ本物の腐れ縁というべきなのであろう。最近一緒に飲みに行ってないな。また茅ヶ崎に戻った時にでもゆっくりと。そして共に救急車に乗ろう。乗り心地いいぞ。