試論随筆
目次
・良い詩のもつ力(自由・メガネ) /
高校時代から詩を書きはじめ、こうして詩を中心にしたHPを開いているが、詩書きとして、「自由であろうとすること」と「ものの見方、感じ方」といったことにこだわっていければいいなあ、と考えている。そこで、なんでそういう考えになったかをはっきりとさせるためにも、自分なりに詩に対する考えかたを整理する。
言葉を、既存の意味やイメージを活かしつつも、その枠を越えて自分の感性、感覚で自由に組み合わせて、自分が生きている上でつかんだ「感じ」(漠然とした不安感、やしみじみとした喜びといったもの)を表現したもの。こういうものが良い詩としたい。
ここで強調したいのは、自由な言葉の組み合わせの追求、という点である。自由に言葉を組み合わせて行くことは、固定された既存の文脈・文法から、敢えて飛び出していく行為であり、そこには、なにかしらの規制から、自由になろうとするエネルギーが生じるのである。
ただし、あくまで用いるのは既存の言葉であり、単語であるので、その言葉のイメージは当然つきまとってくる。だからこそ、文脈は奔放なのに、使われている単語のイメージが十分に生きている詩や、イメージにあえて反する語法を行ってギャップを楽しむような詩に、大きな魅力が生じるのではないか。この時、詩は、言語秩序に組みこまれているものではなく、秩序を利用して、感性の世界に飛び出して行くものになるのである。
さて、上記のような詩は、文脈に依存しないでいるため、詩が表現した「感じ」の伝わりかたは、より直接的に読者の心に飛び込んでいくものとなるであろう。読後に、わけもなく胸が締めつけられる(ほのぼのする)、こうした感情をひきおこすのが良い詩なのではないか。そして、直接的に「感じ」が心に飛びこんでいくところに詩の力、があると思う。それはなぜか。心に飛びこんできた「感じ」がものの見方を大きく左右するからである
いくつもある考えかた(それは、すべて議論の組み立てかたとしては誤りが無いもの)の中で、ある一つを選び出すのは、結局自分の心である。すると、「こういうのはオカシイ」「こうなったらイヤだなあ(ステキだなあ)」といったものが心の中にあるかないかで、物事に対する結論の出しかたが変わってくるであろう。たとえば、従軍慰安婦の問題に関する諸議論を見る際に、「それが戦争というもんだ」と冷ややかに構えるのと、「ああ、イヤだ」と胃の中をキリキリとさせるのとでは、議論の見つめかたが違ってくるだろう。近しい例では、事故にあって痛い思いをしたほうが、より交通ルールに対する理解が深まるのである。
すると、詩によってある「感じ」が伝えられることで、ものの見方を大きく左右することがありえるであろう。特に、直接的に「感じ」が伝わるために、詩は影響が強いのではないか。ものの見方を大きく変えるという点で、良い詩は「メガネ」なんだと思う。
以上、つらつらと書いた。良い詩は、自由であり、人のものの見方の根幹を揺さぶるものである以上、あたまをがちがちにしないで、自分なりのものの見方で、自由であろうとする詩書きになりたいのである。(逆に、そういう人になりたいからこそ、詩という文学を選んだのかもしれない)最後に、こういう言葉で誉められてみたいなあ、といった文章を見つけたので引用する。
「その自由な、ほとんど奔放な用語(日常口語の親近性を駆使した)の不思議な波うち、(中略)その奇妙に普遍的な内的実感、(後略)」(「萩原朔太郎詩集」(岩波文庫)あとがきより)
昔の人は日本語がうまいな。