詩的分解



目次

・組曲「猫町」について /  ・組曲「振袖」について /  ・磁石について /  ・組曲「犬の居る道」について /  ・かまぼこ(と企画詩)について /  ・壱円婦人像について /  ・8Fポエム売り場について / 


組曲「猫町」について

 「猫町」のTを書いたのは19の時。ちょうど某マンドリンオーケストラにて、1章に「前奏曲」とサブタイトルがついていた組曲形式(実際はどうだかわからんが)の曲を演奏していて、その曲と語感がかっこ良かったんで、まず「組曲**より、T.前奏曲」ってタイトルの詩を書こうと思ったのがきっかけ。
 んで、音楽→指揮者→指揮棒→猫のしっぽって発想と、最後の2行(未完成の・・・・部分)を思いついたこととあいまって、**の部分が「猫町」になりT.前奏曲が完成。(けして萩原朔太郎のパクリではない。)
 Tに関しては、思わずえらいかわいらしく仕上がったのと、音読した時の言葉のテンポがうまく変わっている(一応A→B→A形式になっていると思う)点、さらに後ろ2行の思いつきがうまくいった点でなかなか気に入っています。
 本当は、Tまでで詩作りをやめておけばよかったのだが、どうせ「組曲」と名乗るならU,V,Wと作るのがよかろうという発想で、猫と音楽っぽいイメージの言葉で後日UからWはくっつけました。てなわけでちょっとU〜Wは作為的な匂いがするかも。(作為的な匂いがする作品は自分で後で読み返すと恥ずかしいのだよ。)
 特にWは、「なんか詩を書く以上は恋愛チックなことをかかねばいかん」という発想が見え隠れするようでちょっと照れる・・・。
 この詩をきっかけに、テーマが通奏低音のごとくつながってる(と自分では思っている)ものをかき集めた詩を組曲とタイトルをつけるようになりました。
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組曲「振袖」について

 組曲形式の最新版(2001年1月上旬完成)です。(”組曲形式”については、上記1.組曲「猫町」参照のこと。
   T.赤は、現在お世話になっているチャットの中で、即題で詩を作る流れになり、その時に「紅い振袖」という題が提示された時に作りました。(少しアレンジはされているが)
 最初振袖って言葉をもらったときに、あのだらーんとさがっている部分が脳裏に浮かんで、「ああ、飴でも入ってたらいいなあ」なんてでてきたイメージがモチーフの中心になってます。
 あとは、紅の部分をどーすんべなー、なんて考えてた時に、着色料のないメロンソーダはメロン味がしないなんて話を思い出したんで最後の1行になりました。  正月そうそう味のない飴を楽しみにぶら下がるなんて縁起悪い・・・。
 あとはTのイメージになんとなくつながったU、Vをつけて組曲形式にしました。
 個人的にはタイトルの「振袖」という字面がどうもしっくりこないが。
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磁石について

 この詩は2001年1月に書いたもの。サブテーマは「安心」。日頃、「安心して暮らすためには、セーフティネットが必要なのではないか」ってことを考えていました。で、「安心」の詩を書こうとした時、セーフティネット=はさみを持って歩いて暮らしていても怪我しない、って思いついたのがきっかけで出来ました。で、はさみをもって歩いて怪我する時ってどんなだろう、とイメージした時に、「あ、しもたっ」っていいながらぽろっと手から落ちたはさみがまっしぐらに足に命中した図が思い浮かんできたのです。 そこで磁石が登場、となるわけです。
 でそのときちょうど「蒔いた**から眠れる草が生える」ってフレーズだけ頭にあったので、ここに磁石をはめ込みました。しかも眠れる草と安心がきれいにリンクしたので、しめしめという感じです。
 また、あんまり安心、ばっかり言って「安心ボケ」って怒られるのも癪だ、とおもったので3段落目がついています。なんかするりと読みごごちがよかったんでほくそえんだのですが、今字数を数えたら5・7調になっていました。おそるべし身体に染みこむ日本文化・・・。
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組曲「犬の居る道」について

 まずこの作品を作る際に、モチーフの軸にあったのは天使のイメージでした。おらが街におもわず教会があるってこともあって、天使でなんか書こうかな、ってなったのです。その時、ふと、あの羽で盛りあがった天使の背中は糸につらさげやすいに違いない、と思いつき、羽に糸をつるされて空に浮かぶ天使というイメージが思いつきました。そして、「空を飛びたくないのに糸につるされる天使」、つまり「尊いものだからこそ日常から、生活から遠ざけられる天使」、そしてそれを影で祈る子犬とイメージがどんどん転がって行きました。それがT.賛美歌の頭2段落目までです。
 んで、それで話を終わらしてもよかったのですが、何か、何かが漠然とたりないなあ、という感覚が残っていたのでした。なんとか言葉をつむぎたいと考えながらも、何が足りないのかなあ、と考えた時、「日常から遠い尊さ」に対して「では日常の中の尊さはどこなのだろう」ってことを描けてないからすっきりしないのでは、と思いついたのです。そこで、日常を描く言葉、教会にまつわる言葉、と考えてきたときにふと沸いたのが牛乳だったのです。(しかもちょうど犬にもリンクしている。)もうこの段階でV.の賛美歌がパタパタと出来あがり、自分が住んでいる街には犬が多い、ということを思い出したのでタイトルも出来あがりました。
 というわけで、この作品のT、Vは同じテーマを、同じ旋律で、しかし違う力で描いているつもりです。オープニングに提示された、アンダンテの切ないメロディーがエンディングに力強く結んで行くように・・・。で、あいだのUはアレグロの気分と思ってください。
 ちょっと酔っ払っているんで、文章が酔ってたりして。
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かまぼこ(と企画詩)について

 当サイトにて企画詩「子供のためのポエム」と称して、へんてこなポエムをいくつか載せておりますが、この「子供のための」という所には、私が「(いろんな人に読んでもらいたいのはやまやまだが)特に若い人に読んでほしい!」と思ったもの(そういったことを考えながら作ったもの)を載せております。子供、をイメージしてつくった作品ではないので、ややひとりよがりなのかなあ、などとも思ったりしますが、まあそれはご愛嬌ということでお許しください。
 では、どんなものを「読んで欲しい!」と思い、当サイトに掲載しているかといいますと、次の2点のうちのどちらか(出来れば両方)を満たしたものを載せておるのです。
 @なんだか無意味(ナンセンス)でありながら、言葉がころころと転がって異常なつながりをみせていて、かつ楽しいもの。  A詩的な技法や詩的な遊び心を駆使しつつ、メッセージ性(とくにポジティブなもの)にあふれているもの。
 この2つのうち1つがぴしっと決まれば、子供のための、と称してHPにアップしています。
 んで今回の「かまぼこ」は上記Aのパターンに当てはまるので、企画詩として掲載しました。1、2、3連と4、5、6連を対句形式にしてイメージを濃厚にさせる、といった試みや、「穴ぼこ」と「かまぼこ」といった語感による遊びをもりこんでおり、詩的技法・遊び心と言った点はクリアしたと思いました。
 んで、肝心のメッセージ性ですが、この詩は私版「ぼくらはみんな生きている」なのです。第1(4)連が「手の平を太陽に〜僕の血潮」にあたります。そして、第2(5)連が「僕らは皆生きている〜歌うんだ」にあたります。さらに、第3(6)連が「おけらだって〜友達なんだ」にあたります。言われて見ればそういう風にみえ・・・ませんか?。明るいこと、正しいことを真面目に言うのは面映いのですが、一見ネガティブな表現を使って言わんとするのが個人的に好きなのです。
 やたら明るく、ポジティブな詩に仕上がったので、友人の誕生日記念に送付しました。迷惑だったかしら・・・・。
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壱円婦人像について

 この詩の核は、「あぶらげの布団に眠り/あぶらげの買い物をして」という部分です。あぶらげの布団に眠る、あぶらげの買い物をする、といった生活を強いられてた、でも、それでも黄色い花をつんで生きてきた人が、像になってすら、あぶらで磨かれてしまう、というストーリーの詩です。
 なんだか辛い内容ですが、こうした辛さが、日本の歴史の中、そして現代にも事実として確実にあると思うのです。その辺の分析は、歴史学者や社会科学者に任せるとして、詩人としては、脳髄にその感覚を直接注入できればいいのかなあ、と思います。
 感覚の欠如が、新しいナントカの教科書を作らせたんだと思う。



8Fポエム売り場について

 この詩は、2001年度ベストぺんてか受賞記念に寄稿したものです。この詩は、自分が詩で何をしたいかを整理した作品なので、ぺんてかを愛読されている方に対して、自己紹介に丁度良いかと思い寄稿しました。
 この詩で言おうとしていることは、詩を通じて、「月の纏う光」が「緑色か黄緑色か」といった話しをしたいのではなくて(どっちも綺麗なんだからどうだっていいじゃない)、「月の中身」にある「生臭さの自由を見つけ出したい」んだ、ということです。つまり、詩を通じて、物事の表面の奥にある自由を見つけたい。
 で、ポイントとなる言葉は「自由」なのです。この「自由」について現段階で考えていることは、ぺんてかQ&Aに詳しく書いているのですが、今ある”枠”に対して、オカシイな、と思うことから「自由」ははじまっていくんじゃないか、と思います。
 また、枠に対する違和感を感じるためには基準が必要で、それは自分の心の奥底にある渦みたいなものだと思います。だから、自由、という言葉を書く時に、綺麗事のように感じられたり、抽象的で無味乾燥なもの、といった印象にならないよう、「生臭い」とか「ちくわ」という言葉を使いました。
 私の詩の中では、アツイものになったのではないかと思います。
 ちなみに、もしかしたら「船橋ポエム通り」という似たような詩を読んだ事があるぞ、という方がおいでかもしれませんが、実は、上記発想に基づいて「船橋ポエム通り」を最初に書きました。
 この詩を作ったきっかけは、以前参加した「詩を朗読する千葉県民の会」(船橋で実施)の宣伝詩を書くという課題をいただいたことです。その時は、リーディングを見にきて欲しい、ということで、「あなたに(私が読みあげるはずの)自由を見にきて欲しい」という呼びかけの詩にしたのですが、主体を自分に置きかえる際に、前々から頭にあった「8Fポエム売り場」ってタイトル名と結びつけて、「8Fポエム」を作りました。
 そのため、ぺんてかに投稿した時にタイトルを「8Fポエム通り」と間違えて送ってしまいました。しまった・・・。(なお、その事実に気づいたのは6月で、こっそり直してもらいました。ちょっとした裏話。)

 私に対するQ&Aが思わず乗っているぺんてかはこちらです。→ぺんてかへ
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