■ Our language.
3/Mar/2000
I met English tonight at pub. She teach English in Yokohama(A city near Tokyo). She is teaching English and learning Japanese. She asked me Japanese grammer. Japanese grammer is too difficult for ME. I didn't think about Japanese grammer. But when I was studying English in England, I felt Japanese is so difficult. I couldn't teach her Japanese enough. I know other difficult language for lerning. But I'm Japanese. So I know Japanese sense, new language for all my life is OK. What I can do is only lerning(memorise?).

英語の先生をしているイギリス人と遊んだ(飲んでカラオケにいった!)。日本語は難しい。「どこで働いているの?」って聞かれたら何て答えるか?勤務地だろうか?勤めている会社の名前?勤務地を聞きたいときは「会社どこ?」でいい?電話の受け答えなんかで、「〜につたえます」と「〜に伝えておきます」はどう違うのか?どうやら違うらしい。その説明を聞いたことがあるって友達がいっていたがその大事な説明を忘れてしまった。日本人にとってはそれくらいどうでもいい違い。俺が前から気になってたのは「ほう」で、ファミレスでコーヒーしか頼んでなかったとして、コーヒーがきました。でウェイトレスは「コーヒーのホウお持ちしました」(コーヒーしか頼んでねえ)「伝票のホウこちらにおいておきます」(他に置く物があるのかい?)「ほう」って何?丁寧な言い回しとは、わりとバカバカしいほど単純なルールで出来あがっていて「長くなればOK」英語もそうだ。たぶん響きが無害な「ほう」を間に入れて新しい丁寧文法を編み出したのだろう。たぶん他人にの言葉遣いがとかいうってことは相当歳をとったってことなのかもしれないが、日本人すら混乱するような言い方は避けようよ。ホウって「方」なのかな?


■ I'm studying Japanese.
22/Feb/2000
Japanese mediums are problem for us. Almost mediums are sh*t. Because Japanese mediums despise Japanese. All what mediums do is teaching. They force ther opinion. Especially Newspaper. Japanese Newspapers are nothing to build my focus for Japan. I should ignore their all opinions. All Newspapers have to give us truth what happend the world and Japan. I don't need great opinion. Newspaper's article must be truth. But In Japanese newspaper, they don't mind making fiction on newspaper. Because they want to show us their opinion. They think Japanese people are illiterate, so newspaper have to put opinion for illiteracy Japanese.

きっかけは「なんでアメリカに原爆を落とされたのに、未だにあちこちに謝ってばっかりなんだろうね?」ってイギリス人の友達に聞かれたことだった。帰国した今なら日本語の資料をあれこれ見ることができる。原爆は勝組みに正当化され、負け組みの日本は後から後から、あちこちからつっつかれる。突っついている側にうんざりするほどの日本人がいる。ここら辺は山ほど本が出版されているのでそちらにまかすとして、ここらへんにイギリスではまとまらなかった日本人の若い子の荒れ方をさぐる一つの手がかりがあるような気がしてきた。大人から若い子へは検証が全くなされていない綺麗事ばかりが注入される。もしくは汚いと疑いのあるものは隠される(つまりはなっから情報の受け手をバカにしているわけだが)。嘘だらけの窮屈でバカバカしい世界に閉じ込められてものを見る視力を失う。「良い大学出て、良い企業に勤めて(本当は公務員)、家族をもって幸せになりなさい」それはいい。それには良い大学、良い企業、幸せに対する各人独自(個性的)の視点がついてきていなければ、「落石注意」(どうやって注意するんだ!バカ!ここまで来ちゃってるのに!)なんて間抜けな道路標識と全く変わらない。ジャッキーとマシューの口論は何度も見た。ジャッキーが言い負かされるときもたくさんある。それでもマシューはジャッキーのおかげで心身ともに健康に育ってきたことを深く自覚している。喫煙(もちろんマシューは吸わない)やマシューの振る舞いの話しでジャッキーがよく言うのは「14歳の子供のクセに!!」だろう。あなたはイギリスの未成年なのであと4年は何が何でも辛抱しろということだ。これが出来なければ人間(すくなくともイギリス人)ではいられなくなる。日本にはダメなものはダメだと突っぱねるそんな気分すらなくす雰囲気を作り出している仕掛けがある。


■ Kids!!
21/Feb/2000
イギリスにいるときから感じていたイギリス人と日本人との違いはいったい何歳まで子供かということだ。イギリスの小、中学生のバカ騒ぎはすごい。すさまじい。バスの中で大騒ぎし、外歩いている人めがけてコインを投げつけ、流行の歌(スパイスガールズ?)かなにかを大声で合唱したりする。あんまりすごかったときは、一番大騒ぎしている奴の腕をつかまえて「お前元気だな?どこで降りるんだ?」って恐い顔して聞いて黙らせた(でも5分もたたずに動物園状態へ逆戻り)。高校を出る18歳で雰囲気が突然変わる(変わっていたように見えた)。18歳で家を出て独立するのが一般的らしい(俺がしらみつぶしに確認したわけではない)が、その年齢から社会とのつながりを自覚しているようにも見える。プライバシーというつながりとの切り離しも明確だ。日本人の自己主張とか個人(子供とか)の権利とかそりゃ結構なものだが、そりゃお前一人の問題ではないんだよという大事な点を無視している。だからいつまでたっても社会的なつながりを意識した「大人」にならない。日本人の大人は大人でやっぱり他人とのつながりにビビっている。電車の中で散々アナウンスしてる「携帯電話のご使用はご遠慮ください」だってそうだ。若い人に注意すると後で何されるか恐いというのは、可哀想だから「そうなのか」と納得するにしても、スーツ着てる営業のおじさんとか携帯で仕事の話しなんかをしている奴はたくさんいる。なんで鉄道会社に言うんだろ?うるさいと思ったら、そう思ったことをその場で本人に直接言わなければダメなのに(JRも携帯使用可能車両とか作ったら?不便だし。俺みたいな暇人以外だれもアナウンス聞いてねぇよ)。個人の存在がいびつなのとその個人が社会とは無関係。これは日本が抱えている矛盾(問題)だと思った。


■ Too much information.
20/Feb/2000
I've seen too much information in Tokyo. 'Do not go down line' at station. 'Doors are going open. Be careful your finger' in train. What the hell is that? Everybody knows. Or Nobody cares. When I was at Eiffel Tower. I was surprised why fence was so low. I could jump off. If Eiffel Tower is in Japan. There is not only fence. It'll be case, I can see outside through glass. It is impossible to jamp off. And of course There are too much information, like this 'Do not lean on glass', 'Do not hit glass'. Japan is not suit society as USA. But why has Japan got so much information everywhere? It's Japanese culture. A kind of polite way in Japan. But looks too noisy.

日本に帰ってきたとき動く歩道の終点で「そろそろ終点です足元にご注意ください」というアナウンスを聞いて苦笑したことを書いた。眼の見えない人への配慮?動く歩道が眼の見えない人への設備として機能しているとはとても考えられない。意味、意図のわかりずらい情報が平気な顔してあちこちに踊っている。継ぎのバス停の名前を一切言わないイギリスのバスにもそうとう困ったが、「危険ですので線路へは絶対に降りないでください」とかとかとか日本は桁違いだ。パリのエッフェル塔は俺の胸くらいの柵しかなく、「飛び降りちゃったらどうなるんだろう」と一瞬思った。が、飛び降りちゃったら死ぬだけだ。運悪く下にいた人に当たってしまえば家族が賠償でもするのかな?どちらにしても、飛び降りたら死ぬ。それだけだ。それがわからない人間がエッフェル塔に上ることはないだろう。あの間抜けなアメリカの訴訟社会ならそういう看板が決め手になってくる場合があるだろう。「なんの警告も目に付くところになかったじゃないか!だからやってみたんだ」なんて感じだろうか?(アメリカにいったことがあるわけではないのでよく知らない)あんな社会になりたいのか?日本人も訴えられるのが恐いのか?どうやらそうではなくて別な理由がありそうだ。ちなみに本当に知らせなきゃいけない事なら英語でも書いてあげてね。


■ I felt nothing.
19/Feb/2000
I think I should finish this diary. Because I can remember what I've felt in England now. So I collect all what I feel now. It'll this diary's.

My last week in England, I didn't feel I'm going Japan. When I said Jackie 'You've been so kind. I can't thank you enough.', In tube with my friend, I didn't feel only I'm going Japan. In aeroplane, In Haneda airport, In tax in Tokyo, In my flat. My flat was like hotel. Not my place. But now. Now. going back England is my wish. It's just wish. I can go back England very easily. Problem is only money. It's not big problem. But not only money. I didn't care about my looks, what I say, what I do. I didn't care about other people in England. But I want to go back England sounds stupid in Japan...

このままこの日記を終わりにさせるのは安易で、後で後悔すると思うので、まとめられそうなことをいくつかまとめて、それで本当の終わりにする。

イギリスでの最後の一週間、日本に帰るのという自覚は全くなかった。駅で送ってくれたジャッキーと抱き合って「本当にいろいろありがとう。感謝しきれない」言っていた時、その後で空港に向かう地下鉄の中で学校の友達といた時、またみんなでどこかに行っているんだなとしか感じなかった。自分だけが日本に帰るという自覚はなかった。飛行機の中、成田空港、成田エクスプレス、日暮里でひろったタクシー、実家・・・。自分の家ですら旅行先のホテルのような感じがした。今。イギリスは再び「あこがれ」になった。イギリスに行くことが出来るという状況を作り出すことが困難だ。よくわからない。定職についたわけでもないし、家族が出来たわけでもない。金さえまた工面すればいつでも行ける。物理的にはそういう話しだ。では金を作ってまた行くのか?というと生活するために行くというのはもう無理な気がする。なぜ無理な気がするのか。よくわからない。日本的なプレッシャーの中にいるということか?そんな格好をしたら、そんなことを言ったら、そんなことをしたら、バカじゃないか?という類のことをイギリスで考えたことがない。