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| ゲストブックにも書いたことだが、毎日嫌なことが多すぎる。国内外の政治は言うもがな。いわゆる「政治」がダメなのだ。さすがの私でも我慢ならないことが多すぎる。表の裏の世界。分かり切ったことではあるが、せめて自分だけはそうはありたくないのだ。いつまでも「尻が青い」と言われるだろう。でも、自分のお尻だけは「キレイな」ままにしておきたいものである。こちらとあちらで言うことが違うではないか。正攻法が通じないならば、こちらにも覚悟がないわけではない。「必ずや名を正さんか」である。 |
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2002年05月21日 00時27分17秒
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00.12.4
>『東方伊朔』はその魅力ある書名にもかかわらず、従来ほとんど等閑視されている。
>同書の本格的な研究は皆無に等しいと考えてよかろう。
ここまで書くならば、もう少し丹念に先行の成果を調査してからにして欲しいものである。拙稿を見てないからというのではない。「調査なくして、発言権なし」は毛沢東の言であるが、これは研究者として最低限のなすべきことである。
たとえば、英文序を書いた「呉板橋(Woodbridge)」についても同様である。
>一方、呉板橋については、王立新『美国伝教士与晩清中国近代化』の「英漢姓名訳名対照表」にもその名は見えず・・
これなど論外である。そのような入門書・概説書だけ見て、こと足れるというのは困ったものである。せめて、「近代来華外国人名辞典」ぐらいは見てから物を言うべきである。
もちろん、著者は確かにこの本に関しては、これまでのものより詳しく論じてはいる。その点は評価するが、問題はそれ以前のことである。
しかも、この研究が「科研費」に拠るというから、世の科研費の実態というものも窺え知れるというものである。
少々(いや隨分)厳しいことを述べたが、たまには私も怒るのだ。
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