青臭会                                   2000・02・24
  通信 
      青のくさみ         NO・05
 
 

 (前略)こないだ新聞(朝日)で読んだ記事にこういうのがありました。
 もう10数年、週末だけ家庭菜園をやっている中年男が、畑の野菜に向かって、「今日は悪いけど草刈りはできんよ」と言うだけで、野菜のできが違う、と言っている記事です。
 野菜も実は雑草に栄養をとられて苦しんでいる、ということなのですが、そして、では・・・雑草の方は、単に駆逐されるべき存在なのか・・・という問題は別にして・・・こういう話を青臭会は、今、なるべく理解しようという段階に来ているのだという気はします。
 このような気持ちを鎮めるというか、あるいは勇気づけられる、というべきか、ここ数年、私は新聞の中に同じような思想を探している気がします。結論は【生物学の理解】ということです。
 こういう(たとえば、TAOだ!! というものの言い方)考え方を、人に納得させるにはどうすればいいのだろう? という習性は(皆教員だから分かるか?)、一つの職業病のようなもので、私は≪理論的武装≫のために『生物学』を拠点にしています。
 (『文学』+『生物学』、これが今では終生のテーマかもしれません。末娘は、とうとう、≪生物学≫の3年です)
 そこで、思いつくまま、新聞の切り抜きを同封します。
 温泉でも行って、ゆっくり話す機会があれば、そして皆が兄のTAO思想に感応するのであれば、青臭会旅行は、立派な研修セミナーになるでしょう。(後略)
                   ー2000/02/11Kiyosi手メール

 

 礼を知る毛利さんの「手メール」は、今更ながら、私の好奇心を駆り立てます。
 もっと知りたい、もっと聞きたい、と切に希望します。
 ただ、修辞上の問題なのでしょうが、「≪理論的武装≫のために」というのが、少し、気になります。真実はディベートによって明らかになるものではありません。
 深入りはしませんが、学問の社会というのは、毛利さんほどの人でも、心労するほどの厳しい社会なんですね・・・。丸で戦場のような印象を受けてしまいます。そんなところで生きている人たちに、私のたわけTAO雑感など、もう、書けないなあ、とさえ思ってしまいますが、・・・私はこれが私なんだ、無礼だけど、「飛んで、とんで、跳んで、全く構わない、という感じ」で、放言していこう。
 言葉は真実を語るものではありません。言葉そのものではなく、言葉の持っている気分みたいなものの中に、むしろ、その人の真実があるような気がします。言葉はいつだってアナロジーなんでしょう。毛利さんの「手メール」に漂っているものが、毛利さん一流の羞恥に裏付けられて、なにやら懐かしいものに感じられます。

 <・・・(いろいろあって)・・・僕も時々生きているのが面倒になることがあるから、用心用心。
 こんな気持ちになるようでは『星の王子さま』についてしゃべることもできない。TAOは一冊解説書を読んだが、自分は迷いの中を生きて終わるのではないかという思い。今は寝る前に『ラーマクリシュナ』の生涯について書かれたものを読んでいる。10年以上も前に一回読んだのに、何か進歩はあったんだろうかという気分。どうも今夜は気分が暗い。明日は元気も出よう。またね
                 ー2000/01.24 水本さんEメール>

 私信を青臭会メールで勝手に公表していいとは思わないけれど、毛利さんにしろ水本さんにしろ、生やさしいところではいないんですね・・・。納戸さんにしろ、池田さんにしろ、藤本さんにしろ、みんな同じところで生きているんですね・・・。何やら切なくなってきますね・・・。
 私一人が、羞恥心もなく、元気印を振りまいて、ノーテンキ。
 私なんぞ、人生が暗いのは当たり前だと思っているので、暗さを吹き飛ばすかないのです。暗さは、実は、私の好きな気分でもあるのですが・・・。根は生まれたときからマイナーなんです。明るすぎる世界は好きじゃない。けれど、明るく生きていくほかないのも当たり前。煩悩具足。人生って面白いですね・・・。
 

生は楽しみ祝うためのものだからだ
生は実用のためのものじゃない
生は、市場の商品みたいなものであるよりは
もっと詩のようなものだ
それはひとつの詩
ひとつの歌
ひとつのダンス
道の端の一輪の花のようなものであるべきだ
特に誰のためのものでもなく花開いている
宛先なしで
誰ということなくその香りを風に送り
ただそれ自身を
それ自身でいることを楽しんでいる


                      ーパグさんの『TAO』p129
 

 とてもビューティフルな人生があるのですね・・。
 全ての人のいのちの中にそんな世界が眠っているのです。
 <我は愚人の心なり>と老子は言っています・・・。