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  青臭会                               2000・02・25
  通信 
       青のくさみ         NO・05−2
 

 TAOの誘惑
 

 TAOについて語ろうとして、実に、TAOから遠い俗塵のまっただ中を私は生きているようです。汚れちまった悲しみを・・・今更修復不能なのです。けれど、心は何やら切ないほどに、何かを、まだ、求めているようなのです。求めよ、しからば与えられん、とひたぶるに信じている、けなげな人間が私の中にいるようです。そんな人間、とっくの昔に捨てたはずでしたが、死が間近に迫ってくると、どうしようもなく虚しい思いに駆られる。こりゃ、一体、何なんだっ、という感じ・・・。
 私は、私自身のことが何一つ見えていなかった。
 自己解体の虚構の旅と人生を括って私自身を捨ててきた。その結果、私は、私自身の臍のことさえ分かっていない。私は私の足の裏を知らない。私は私の歯の営みを知らない。その結果、私の歯は、今では、もう、ボロボロ。修復不能なのです。
 私は、自分自身を愛おしむということがなかった。自分自身を愛おしむことのできない人間がどうして他人を愛おしむことができようか・・・。自分自身を愛おしむことを忘れた人生は心に何も残しはしない。私の56年間はバブルであった・・・。そんな思いに呪縛されることがあります。心無哇礙 
 今、少し、気づいたことは、私もひとつのいのちだった、ということです。
 私は、自分のいのちに思いを致すことがほとんどなかったのです。いのちに思いを致すことなく私自身を放棄してきた。ホントに素直じゃなかったんですね・・・。哇哇哇
 くれはやし・しゅんという人が、<50歳の手前で獲得した思想=それは帰心です=を紡ぐた どのような言葉がふさわしいのか、私には考えている余裕は、あまり残されていないような気がします>と書いています。えっ! 人は誰もがそんな風にして<思想>というものを獲得していくのか・・・。私は・・・。56年間でどんな<思想>を獲得してきたのだろう・・・。何もない。振り返れば、ただ風が吹いているばかり・・・。
 私は丸で空っぽ。空なのです。
 けれど、この空も、いのちだったんですね・・・。いのちに充たされた空。
 <帰心>というのがどんなものか私にはわかりませんが、(今度、くれはやし・しゅんに聞いてみたいと思っています)、妙に気になる言葉です。
 連想するのは、<自然に帰れ>ということ。自然というのは自然(じねん)ということ。自ずから然り、ということ。自ずから然りと言える世界は、いのちの根っこにつながった世界でしょう。いのちの根っこは、また、宇宙につながっています。そんな生(=世界)がTAOなんでしょう。
 TAOは私の中にある宇宙なんです
 宇宙はいのちなんです。
 いのちの根っこは、みんな、つながっています。
 <畑の野菜に向かって、「今日は悪いけど草刈りはできんよ」と言うだけで、野菜の出来が違う>というのは、いのちの根っこがつながっているということを教えてくれているような気がします。いのちを愛おしむ心が愛でしょう。愛は伝わるものです。愛はエンパワーメントなのです。いのちを愛おしむ心が伝わって、エネルギーが伝達されて、野菜の出来が良くなるのでしょう。
 雑草も、野の花も、この頃では、人間に愛を求めているという話も聞きます。人間に愛されるように遺伝子が進化しているというのです。その方が安全で、子孫を残せるのだそうです。
 <帰心>というのは「いのちを愛おしむ心に帰る」ということなんでしょうか・・・。
 

<悟り>とは
自分自身の空っぽさに完全に醒めていながら
しかもそれと戦っていない人のことを言う
むしろ彼はそれを楽しむ
それは至福に満ちたものだ
彼自身の<空>を楽しむことを通して
彼はほかの人にも用をなすようになる
ほかの人たちにも楽しむことができる
ほかの人たちもやって来て、彼の神秘に加わることができる
彼の扉は開いている
                        ーパグさんの『TAO』p91
 
 
 私の無駄話は何の意味もなしませんが、実のところは、パグさんの『TAO』を紹介したいのが目的です。TAOへの誘惑というのはパグさんは面白いよ、ということなんです。 パグさん読んでいると、とても、心がビューティフルになるんです。
 自分ひとりがそんな気分になるのは勿体ない。みんなにもビューティフルな気分を味わってみては・・・と、つい、誘ってみたくなるのです。そんな暇ないよ。もう、辟易だぁとお思いでしょうね。でも、時々は、心をフォーマットすることって大切なことですよね。 私はパグさんの『TAO』を読むことで心のフォーマットをしているのですが、みなさんは、どんな方法で心のフォーマットをしているんですか・・・? お話聞かせてもらえると、『青のくさみ NO・』通信が、もっと面白くなってきそうな気がしています。もっと広がりを持てそうな気がしています。
 そんな暇仁の慰戯につき合っていられないよ。・・・というのは百も承知ですが・・・。 青臭会の蒼ざめた時の流れの中にいた頃の変に人恋しい寂しさが懐かしく思い出されてなにやら甘い気分の中に溺れているのかもしれませんね・・・。
 ひとり遊びの領域を逸脱して、会に甘えていることをいささか苦い思いで噛みしめてもいますが、甘えの心地よさというものの誘惑に負けてしまいます・・・。