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 横浜の片隅にて  第26号  毎月26日発行

   http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/4336/
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      三内丸山遺跡               2003/9
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 ゴールデンウイーク明けに、妻と東北の桜見物に行った。去年ほどではない が、今年も桜前線の北上速度は意外に早く、弘前以外の桜名所の桜花はほとん ど散っていた。  

 今回参加した2泊3日のツアーは、2日目に青森市にある三内丸山遺跡を訪 れる予定があり、遠い北国にある縄文時代の遺跡を見学することができた。

 平成12年に、国の特別史跡に指定されたこの遺跡は、縄文時代前期から中期 (約5,000年から4,500年前)の千数百年間も繁栄した大集落の跡で、最盛期に は約500人の縄文人が定住して暮らしていたとも言われている

。  きれいに整備された遺跡公園内には、復元された一般竪穴住居が15棟、約 250平方メートルの大型竪穴住居が1棟、高床倉庫が3棟、大型掘建柱建物一 棟があり、ほかにも多数の遺跡や建物があった。

 その中で、私が一番興味を抱いたのは、大型掘立柱建物である。この建造物 は、高さ約20m、直径約1mもある丸い木の柱を、約4.2m間隔で3本ずつ2列に 並べて立てて建てたもので、6本の直立する柱を結合するように丸太で組んだ 床が、3段についていた。これは、このすぐそばで床面と周囲を焼いて焦がし た直径2メートルの柱穴の遺跡が6ヵ所発見され、それをもとにして想定復元 されたものである。縄文人が何のために、このような巨大建造物を建てたのか は、謎とされている。が、当時は海が遺跡のすぐ近くまできていたので、「物 見やぐら」か「灯台」ではないか? とか、宗教行事に使う「祭壇」か「神 殿」、または「倉庫」だろうと推測されている。

 4,000〜5,000年も昔の縄文人が、ろくな道具もなかったろうに、こんなに大 きな建造物をよく立てたものである。私は、この地で生活していた縄文人集団 の組織力、技術力とバイタリティーに、すっかり魅了されてしまった。

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           横浜メモ帖 
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 今月はお休みします。