CINEMA



01 アマデウス
 ウォルフガング・アマデウス・モーツアルトの奇生を描いた作品。
 ウィーンで宮廷音楽家として華々しく活躍していたサリエリの前に現れた神童・モーツアルト。必然的に人々の関心はサリエリからモーツアルトに移る。やがて恥辱の限りを味わったサリエリは、モーツアルトを、そして彼を「創造」した神に対する憎しみを深めてゆく。真に音楽の価値をわかっていない人々の移ろう心に翻弄され、サリエリの憎悪に曝され、やがてモーツアルトは自らのレクイエムとともに凋落する。
 フェードアウトしてゆく自らの作品とともに生きなければならなかったサリエリ。死してなお聴き継がれるモーツアルト。 嫉妬という悪魔にとり憑かれたサリエリ。思慮深さに欠けたモーツアルト。 自らを厳しく律したサリエリ。自らを解き放ったモーツアルト。
 あなたはサリエリですか?それともモーツアルトですか?




02 エンド・オブ・デイズ
 サタンVSシュワちゃん。あと小爆発が少々・・・。以上。
 キリスト教の宣伝ですか、これわ???
 最後にシュワちゃんがショットガンを投げ出し、十字架に架かったキリストを遠い目で見つめるシーンなんて「武器よさらばー!」って感じでいいんじゃないすか。俺的にもっとも感心したのは「キリストインニューヨーク」と「クリスティーン・ヨーク」の語呂合わせ。
 駄作。




03 スリーパーズ
 純真。復讐。友情。そしてアガペー。
 豪華キャスト。ロバート・デ・ニーロ、ブラット・ピット、ケビン・スペイシー、そしてダスティン・ホフマン。個人的にはダスティンのアル中ヤク中ダメダメ弁護士が好き。
 少年院での看守によるレイプから一考。こういうのが増えるとレイプされる女の気持ちがわかる野郎が増えるだろう、と。そして世の中からレイプが減るだろう、と。俺の意見ではないが面白いとは思う。でもそれはありえない、面白いけど。男って身勝手なんだよね。己の気持ちイイことしか頭にないんだから。ほんと単細胞。今のところ男のレイプ(といっていいのか?)ものといえば、「踏んづけてください」だの「唾かけてください」だの涙が出そうな軟弱ものばかり。こういうがちんこレイプものも作ってよ、桃太郎さん?
 一見感動的ではあるけれども、嘘はいけないな、神父さん。たとえ「いい嘘」でも神父さんはイタダケナイナ。ここがもっとも感動するべき場面、この映画の見せ場ではあるけれどもね・・・。アガペー、否。




04  クリムゾン・リバー
 猟奇。復讐。難解。そして意味不明。
 レオンで売れたジャン・レノ主演。
 興味がもてたのは、物語の舞台となるあやしげな大学のおどろおどろしさくらい。これはそれなりによく描写できていたと思う。ちょっとぞくっとしたもの。けどそれでもティム・バートンの「スリーピー・ホロウ」なんかに比べるとちょっと物足りない。
 俺の頭の回転が鈍いのだろうか、いろいろとワカラナイコトだらけの映画だった。特に物語の中盤でジャンくんが女子大生と2人で雪山で何かを発見するシーン(後々の展開から推測するにあれはおそらく氷漬けの死体だったのだろう)や、ひき殺されたはずの女の子のちぎれた指先の謎なんかは物語の中核となる部分だと思うが、俺はそこを理解していない。最後に双子の話が出てきたころには「ポカン」と呆けていた。だから面白くなかった。
 最後に。俺はビデオを見ているときに巻き戻すのが嫌いだ。だから「あれっ、今のナンダナンダ、どうなったんだ?」と思ってもそのまま進めてしまう。だから最近この映画のように「ワカンナイ」まま話が進み、やがて「ワカンナイ」ままにエンディングを迎えている映画をよく目にする。これはもしかして「損」をしているのではないか、とふと思うこともあるが、結局いつも「そんな難解な映画を創るヤツが悪い」と人のせいにしてしまうのだ。セブン、12モンキーズ・・・。あのころから「感動の再現」のためにではなく、映画の展開を理解するために巻き戻しを必要とする映画が増えてきたような気がする。だからなのか「ローマの休日」が「自転車泥棒」が、そして「パリは燃えているか」が無性に恋しい。
 巻き戻し、それについて考えさせられた映画だった。




05 ブラス
 ミューズイック
 今回は音楽をテーマにした「聴かせる」映画について一言。作品の中で俳優が何らかの楽器を演奏することが大きな見せ場となっている映画には失望させられることが多い。今回の『ブラス』、そしてヒューマンタッチの感動作として評価の高い『海の上のピアニスト』もしかり。普通に見ていてもポテチ片手に「油断して」見ていても「ああ、こりゃ弾いてないなー」ってわかってしまうから。もちろん演技が生業の俳優にそこまで求めるのは酷だってことは重々承知。でもどーしてもそこで「冷めて」しまう。これと同じことが「おいおい、今の明らかにスタントマンだろ」ってつっこんでしまうアクションにも通ずる。が、アクションの場合、その場の勢いってのがあるし、それ以外の副作用的ごまかし効果音、たとえばどどどどどっかーんてな大爆発や、だだだだだだだってなマシンガン連射や、ずこどーんってなクラッシュや、ががががぶったらがぶっ、ぶしゅしゅしゅしゅーってな大出血なんかが張り切っちゃって聴覚的、視覚的にうまく観衆を誤魔化して、いや騙してくれる。けれども音楽の場合、そうはいかない。突然ピアノが爆発するわけにもいかないし、バイオリンが弾丸を連射ってなわけにもいかない。ましてや、タクトが刺さって大出血〜なんてブラックにしかならない。大体がシリアスなおもーい「聴かせる」シーンだ。てなわけで、「聴かせる」映画はムズカシイということです。「見せる」もとい「魅せる」映画をつくりましょう。




06 スターウォーズ【特別編】〜ジェダイの復讐〜
 it's entertainment.
 表情。人の感情を如実に物語るもの。それが表情。特に映画俳優にとって、それはとてもとても大切な商売道具のひとつ。悲しい顔、うれしい顔、怒った顔、セクシーな・・・。それらによって映画は構成されていく。
 ベイダー卿には表情がない。あの黒いマスク。彼には声もない。マスクを通したくぐもった無機質な声。無表情、無機質な声がアナキン・スカイウォーカーをベイダーへと見事に転換している。悪に支配されつつも一部に善の部分を持ち合わせるベイダーをあの黒マスクなしに演じるのは困難だっただろう。
 息子によって倒されマスクを外したとき、ベイダー卿はアナキン・スカイウォーカーに、戻った。





07 運動靴と赤い金魚
 大切なもの。それを取り戻せはしないまでも、何であるのかを知りたい全ての人に。
 愛しいものにすがるように、アリの足に寄り添う真っ赤な金魚たち。靴(金)ではなく、足(心)に群がる真っ赤な金魚たち。すべてにおいてはるかに遠い遠い存在であるこの映画の主人公たちに一歩でも、いや半歩でもいいから近づく努力を・・・。心ではなく、金に群がる真っ黒な人間たちに告ぐ。そして俺に告ぐ。『アリのように生きろ』、と。
 中盤、親子が庭仕事を求めて彷徨うシーンはヴィットリーノ・ダシーカの『自転車泥棒』を思い起こさせた。





08 蝶の舌
 古きよきスペインの風景画
 ほぼすべての批評家が高い評価をしている『蝶の舌』。だけどいまいちだ。多くの人が感動したというモンチョの最後の言葉。俺には軽かった。「ガ−ン」という感じではなく、なんかこう「さらっ」と。軽くさせたのは他でもない、話の散漫さ。腹違いの姉のエピソードや楽隊関連のエピソード、兄の淡い恋愛。これらはばっさり切り捨ててしまう。モンチョの言葉に重みを持たせるためには、もっとストーリーをモンチョと先生の触れ合いに絞って描く必要がある。モンチョにとっての先生、先生にとってのモンチョの位置付けが「?」。
 古きよきスペインの風景画としてみれば十分に「名画」なのだが。いま少しピントを絞ろう。