PROLOGE

「32、33、34…」
数字を読み上げる声がグラウンドに響く。
「この一周のラップ、33秒!」
激しく息を弾ませる集団。汗が額から流れ、肩で弾けて、落ちる。
はあ、はあ、はあ、と荒い息遣いが遠くからでも聞こえる。
「はい、ラスト1周!」
「最後の一本は全力だぞ!」顧問のササゴンが叫ぶ。
その瞬間、集団がばらけていく。

心の中で呟く。よーい、どん!
すっと前に出る長身。スピードがあるくせに、ひどくゆったりと走っているように見える。
2メートル、3メートル。2番手とぐんぐん差を広げていく。
つい、見とれていて、あたしは自分の役割を忘れそうになる。
いけない!そう思うと、ストップウォッチを手に持ち直し、また大きな声を張り上げる。
今2分30秒。
設定は2分50。楽勝だ。
「40、41、42、43…2分44秒」
はあ、はあと息を切らしながら彼は言う。
「げー、44なんて、縁起ワルー。」
ほら、無駄口叩いてないで、一周ウォークだ!とササゴンから愛のパンチが飛ぶ。
「痛て…、先生、もっとやさしくしてよ、ちゃんと設定切ったんだからさあ。」
そういうと、彼はランニングの上を脱ぎ、アチ―、と言いながら歩いていった。
後続も次々にゴールする。あたしは自分の役割をきちんと果たす。
みんなは何も言わず、肩で息をしながら先頭でゴールした彼に向かって歩き出す。
グラウンドの向こうには、大っきな夕日がみんなを照らし出していた。
汗に光る背中。少し細めのラインが夕日を受けて強調される。

いつも、この時間になるとあたしはアイツから目が離せない。
走っているときのアイツは誰よりも目立つ。
背が高いから、とか足が速いから、だけではなく、外の部員たちと何かが違う。
違うオーラが出ている。

あたしはその瞬間のアイツを見ているのが好きだ。
走っている、アイツを。
いつもは全然目立たなくても、その瞬間はグランドにいる誰よりも輝いている。
だから。

だからあたしは陸上部のマネージャーをしている。

アイツがあたしの気持ちにちっとも気がつかなくても。


五月。
この時期、どの部活もみんな高校総体に向けて気合が入ってくる。
あたしの所属する陸上部も例外ではない。
特に、キャプテンの榊原 拓は、県内でも3本の指に入る長距離ランナーとして注目を集めている。

「波瑠さあ、なんで陸部のマネージャーなんてやってんの?」
よく友達に聞かれる。
高校に入学したとき、親友の遥子に誘われたから。
そう答えることにしているが、遥子は1学期が終わると同時にマネージャーも辞めてしまっていた。
まあ、動機が不純だったからねえ。
遥子はやめるときにそう言って笑っていた。遥子は拓のことが中学の時から好きで、どうしても近くにいたい、といって聞かなかったのだ。でも、ひとりでマネージャーになる勇気がないから、あたしにも一緒になって、と頼んできた。
なってみると、結構大変だと言うことが遥子には分かったらしい。選手のユニフォームの洗濯、練習のタイム取り、結果の記録、お茶の準備、その後片付け…。もともとめんどくさがりやだったせいもあって、一学期が終わる頃には遥子はほとんど来なくなってしまっていた。
でも、あたしは毎日部活に行った。遥子に「もういいさ、いっしょにサボろう」と言われても、「でも、マネージャー行かなかったら困るじゃん。」と言って放課後はすぐに部室に直行していた。ひとりになるとますます大変だったが、それでも、別にこういう仕事は嫌じゃなかった。
だって、誰よりも近くでアイツを見ていることができるから

遥子は、「波瑠、ひとりでも頑張るの?」と辞めるときに聞いてきた。
「うん。やり始めたら、面白くなったから。それに世話する人いないとみんな大変だし。」
そう言って、あたしは陸上部のマネージャーを3年間続けてきた。
遥子はあたしの気持ちを知らない。あたしは拓を好きだと言うことは誰にも話していない。
表向きは「好きな人はいない」ということで通している。
気付かせてはいけない。誰にも。
だって、きっとあたしの恋は実らないから。
いつかみんなと離れて綺麗な思い出に変わるまで、きっとあたしは誰にも言わない。

高校総体まで、あと1ヶ月を切った。

「今日のメニューはこれで終了―。ほら、ダウンに行って来い!」
ササゴンの声がグランドに響く。はいっ、と大きな声があちこちから返ってくる。
少しみんなより高い身長が先頭を切ってランニングに入る。
それにつられてみんなもジョッグを始める。

地方大会への椅子は各種目6つ。
みんなそれを目指して頑張っている。
あと一ヶ月。それが終わると、長距離は駅伝に向けて練習が切り替わる。
…あと、半年。秋までは一緒に練習ができる。
そう思いつつ、あたしはみんなのお茶の準備をしに、ストップウォッチを首にさげ、部室へと走っていった。


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