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ゴオオン、ゴオオン、と洗濯機が回る。
さすがに駅伝のレギュラー分とはいえ、12人分の洗濯はすごく時間がかかる。
1回目の夏合宿。
高校総体の前はあんなに雨が降って練習できなかったのに、夏休みは嘘みたいにからりと晴れ上がっている。
入道雲も空は自分のもの、と言わんばかりにもくもくと身長を伸ばす。
少し高地にある合宿所だから、普段よりは過ごしやすいが、それでも、暑さはじわじわと迫ってくる。
夏休みに入って2週間。走行距離も増えてきた。練習量も増してきている。
・・・当然、疲れも増してきている。
「そろそろ疲れがピークに達してくるころだからなあ。いらいらしてくっかもな。みんな。」
ササゴンは昨日のミーティングの後、あたしと翌日の打ち合わせをしながらぼそっとそう言った。
1週間の予定で組まれた合宿は、ちょうど中日を迎えていた。
「ま、疲れてるってことはちゃんと練習してるってことなんだけどな。」
確かにこの夏は、あたしがマネージャーになってからの3年間で一番気合の入った練習をしている。
ササゴンだけじゃない。3年生のみんなも、本気で上位入賞を狙っている。
うちの学校は進学校だ。駅伝まで部に残る3年生は今までほとんどいなかった。
センター試験は1月。駅伝が終わってからだと残すところ2ヶ月しかない。だから。
それが今年は3年生全員が駅伝まで残って練習する、と言い出した。
ササゴンは大分迷ったらしい。・・・本当に勉強に集中させなくていいのか、と。
全員が陸上で大学に入学できるわけではない。
でも、みんなの決心は固かった。
せっかくここまでみんなで頑張ってきたんだから、最後までやり遂げたい。
その熱意にササゴンが折れた。ただし、条件付だったけど。
「絶対に学業と両立すること。」
対外模試や、定期テストの成績が極端に落ちたものはその地点でドロップアウトになる。
みんなも必死だ。
1学期はとりあえずみんな何とかクリアして夏休みを迎えた。
この1週間は、ササゴンが学校に掛け合ってくれて、補習免除で合宿に来ている。
・・・しっかりと1日の予定の中に「学習時間」は組まれていたけれど。
今朝、ちょっとした事件があった。
朝はみんな5時半に起床する。6時から朝一番の練習が始まる。
練習前には軽く胃に食べ物を入れる。たいていはバナナとオレンジジュース。
あたしはそれを5時に起きて準備する。
まだ空は暗い。山の端が少し白み始めるくらい。
食堂に行く前に、少しだけ外に出る。
夜の間に冷やされた山の空気はすごく気持ちいい。目がパッチリと覚める。
うーん、と一つ背伸びをして、あたしは食堂に向かう。夏合宿のいつもの行動パターン。
空を見ると、小さな星が一つ、瞬いている。明るくなれば見えなくなるのだろう。
今日も天気がよさそうだ。そう思った。
みんなはいつもどおり軽食を済ませて、練習を始める。
朝は長い距離をじっくりと走る。今日はロードのコースを15qだった。
合宿所をスタート・ゴールにしてササゴンが車で後ろから追う。1qごとのラップを読み上げる。
今日も普段どおりに戻ってきて・・・そして終わるはずだった。
でも、今日はいつもとは違った。
その時、あたしはみんなが取るための水分補給の準備を終えたところだった。
パラパラとみんなが合宿所に戻ってくる。心なしか今日はいつもよりきつそうな顔をしている。
足取りも重い。
合宿も中盤を迎えて、疲労がたまってきているだけだろうか?
そう思ったとき、ササゴンが車を駐車場に入れた。
ドアを閉める音がいつもより大きい。
あれ?と思って振り向く。すごい勢いでこちらに来ると、ササゴンが怒鳴った。
「榊原、ちょっと来い!」
ササゴンはめったに怒鳴る人ではない。いきなりの大声にあたしはびっくりした。
何があったの?タクとササゴンを何回も見比べる。
みんなは黙ってことの成り行きを見ている。緊張がその場を包んでいる。
タクは何も言わず、無言でササゴンの前に立った。
その時、考えられないことが起きた。
バチン!
一瞬、あたしは何が起こったのか理解できなかった。
ササゴンの手がタクの左頬を叩いていた。
タクが一瞬よろける。
「お前、駅伝は一人で走るんじゃないって何回言ったらわかるんだ!みんながきちんと練習こなせないと意味ないんだよ!確かにお前には遅いペースかもしれん。だがな、考えろ、みんなが最初からお前と同じペースでやってしまうと、確実に故障したり、オーバーヒート状態になったりするんだ!故障したら直すのにどんだけかかると思ってんだ!3年全員できちんと駅伝走るんじゃなかったのか!お前、キャプテンだろ!みんなで駅伝で結果出したい、って思うんならもう少し全体のことを考えろ!このバカ!お前、もう今日は練習しなくていい!」
確かに今日はいつもより帰ってくるのが早かったような気がする。
タクは先頭でペースを作る役目をする。・・・多分、みんなの遅さに耐え切れず、かなり速いペースで走ってしまったのだろう。
タクのペースで走ると、半分以上の部員は付いて来れない。だからペースが上がりすぎると途中でササゴンがペースの修正をする。今日はそれが何度も何度も繰り返されたらしい。
帰ってきたときに、もう半分はクタクタの状態だった。毎日見ているあたしだから分かる。
これでは午前中の練習も十分にできない。
ササゴンが怒るのも当たり前だ。
いらいらしているのだ。タクは。
みんなと合わせることで自分の伸びが止まってしまうのではないか、逆に落ちているのではないか、そういうことを考えているんだ。
だから、走りに出てしまう。
いつもタクがササゴンに言われていること。
メンタルを鍛える。
肉体も精神も疲労しているから、こういうときにタクの弱さはてきめん、現れる。
ササゴンは言うだけ言うと、さっさと自分の部屋に戻ってしまった。
タクの頬は、真っ赤にはれている。よほど強い力で叩かれたらしい。その場に立ち尽くして動かない。
みんなは顔を見合わせながら、一人、また一人と部屋に戻っていく。
みんな何も言わなかった。重苦しい空気がその場に流れている。
「・・・俺たちの言いたいこと、笹原が全部言っちゃうんだもんなあ。もう、榊原には何も言えないよな。・・・終わったら文句言ってやろうって思ってたんだけど。」
牧君がぼそっと呟いて横を通り過ぎていった。
いつの間にか合宿所の前は、吉田君と、タク。そしてそれを見てるあたしだけが残っていた。
「榊原」
吉田君の声に顔を上げず、タクは俯いたままだった。そして一言言った。
「すまん・・・。」
「俺に言うなよ。俺じゃなくて、みんなに言えよ。その言葉。」
吉田君は大きくないけど、はっきりした声でタクに言った。
タクが顔を上げて吉田君を見る。赤くはれた左頬が痛々しい。
「俺、やっぱ笹原すごいと思うぜ。普通、お前みたいにトップクラスの選手がいたら、そっちを優先するじゃんか。お前に頑張ってもらおうって思うじゃんか。でも、そうじゃなくって全員のことを考えてくれてる。みんなのレベルアップを考えてる。駅伝は7人の力がそろわないと勝てないって、そう教えてくれてるんだぜ。お前一人の力で上位を狙うんじゃない、みんなで力をあわせて、勝ち取るんだって。…やっぱ、すごいよ。」
じっと吉田君の言葉を聞いていたタクは、ポツリ、と呟く。
「ああ。そうだな。」そう言って、左頬に手を当てる。
「お前、自分ひとりで背負うなよ。一人で責任感じるなよ。お前がきついときにきちんとフォローできるように俺たちが今練習してんだからな。いいな。みんなで走るんだ。勝っても負けても、みんなの責任だぞ。」
そう言うと、吉田君はポン、とタクの背中を叩いた。
「とにかく、部屋に戻ろうぜ。まずは笹原に何ていって謝るか、考えないとな。練習できなくなっちまう。」
タクは何も言わず頷く。
2人は肩を並べて、こちらに向かってくる。
あたしは急いで持っていたタオルを水にくぐらせる。ぎゅっと絞る。
比較的高地にあるここの水は朝はものすごく冷たい。
あたしの前に歩いてきたタクに、何も言わずにタオルを差し出す。
タクはタオルを見て、それからあたしの顔を見た。左の頬はひどく赤かった。
「まだ、ほっぺた、赤いから。冷やして。」
それだけ言った。
タクは何も言わずに受け取った。そして、そのタオルを左の頬にそっと当てた。
「冷て・・・。」と呟くと、吉田君と一緒に合宿所の中へと入っていった。
ビーッと洗濯機が悲鳴をあげる。脱水が終わったらしい。
よいしょ、とあたしは蓋を開けて洗濯物を取り出す。
朝の練習だけでも、Tシャツ12枚。タオルとか、ランシャツもある。
一枚一枚広げて、干しやすいようにする。
洗濯機の中から一枚のシャツを出そうと手を伸ばしたとき、横からすっともう一本手が伸びてきて、洗濯物を掴んだ。
だれ?
びっくりして横を見ると、吉田君が立っていた。
「よっ。手伝おっか?」
おどけた調子で声を掛けてきた。…多分部屋にいても何も手につかないのだろう。
「・・・今、休息時間じゃないの?ゆっくりしてなきゃ怒られるよ。」
洗濯物を広げながら、笑いながら返事をする。
昼間、1時から4時までは休息、もしくは学習時間になっている。
あまりにも気温が高いときには熱射病になるので、この時間帯は練習を組んでいないのだ。
「・・・昼寝しようかって思ったんだけど、なんか眠れなくてさ。ほら、今朝あんなことあっただろ。なんか興奮してんのかも。」
そう言うと、吉田君は洗濯機の横に置いてあるパイプ椅子に腰を下ろした。
こんなふうに吉田君と話すのは久々だった。
あの映画館の事件以来、ふつう、にはしてたけどゆっくり話すことはなかった。
お互いに忙しかった、って言うのもあるけど。
「びっくりしたね。あんなにササゴンが怒るの、初めて見た。
あたしは洗濯物を取り出し終えて、ふと手を休めた。
「・・・わかってたんだけどな。榊原、いらいらしてんの。あいつすぐ練習態度に気持ちが出るから。」
吉田君はタクに一番近い場所にいる。だから、だれよりも敏感に感じるのだろう。
パイプ椅子をがたん、がたんと揺らしながら、吉田君は言葉を続ける。
「榊原もわかってんだよ。ちゃんと。みんなで一緒にレベルアップしなきゃいけないって。でも、あいつだけ力飛びぬけてるからなあ・・・。歯がゆいと思うぜ。今の練習。力発揮できないしな。榊原、今回の合宿はは俺たちのために練習してるって感じだもんなあ。」
そうなのだ。今までの練習で設定タイムもJOGのペースもタクだけは別にするササゴンが、今回は特別扱いはしていなかった。すべて、みんなと同じ練習。距離も、設定タイムも。
3年間付き合ってきて、わかる。ササゴンは何か目的があってそうしてるってこと。
「でも、きっと、ササゴン何か考えがあるんじゃないのかな。」
あたしがそう言うと、吉田君も大きく頷いた。
「わかってる。陸上で無名校だった俺たちをここまで育ててくれた人だから、何かきちんと頭の中に計画があるってこと。俺も、榊原も。」
真っ赤にはれていた頬。俯いて部屋に戻ったタク。・・・あのあとどうしただろう。
「キャプテン、どうしてる?」
洗濯物をかごの中に入れ終えて、あたしは静かに吉田君に尋ねた。
「午前の練習はしなかっただろ。ずっと部屋で何か考えてたみたいだぜ。どう考えたかはわかんないけどな。今、笹原のところに行ってる。・・・、で、俺は結局気になって昼寝しようにも眠れない、って訳。」
そう言うと、にっと笑って吉田君はこっちを見た。
「やっぱ、榊原がいないと練習締まんないし。それはきっとみんな分かってるよ。」
そうだね、と言ってると、そこに牧君と七瀬君もふらふらとやってきた。
「あー、吉田、いけないなあ。ちゃんと休息しないと。」
「そういうお前たちもだろ。人にばっかり言うなよな。」
あははは・・・と笑い声が上がる。
朝からの重い雰囲気はどうやら少しずつ回復に向かっているらしい。
笑い声が収まったとき、ふと、牧君がまじめな顔をして言った。
「今日、俺さ、榊原がえらく速いペースで走ってるとき、ホント死にそうだったんだよ。昨日までのペースと違ってたろ。だいぶ疲れもたまってるし。」
ああ、と七瀬君が頷く。
「2年なんかもう脱落寸前だったもんな。長谷なんか走りこみ足りないからさ、アップアップしたし。」
「そうそう、おい、お前キャプテンなら周りもう少し見ろよー!って走ってなきゃ言いたいとこだったよな。って、俺もきつくてそんなこと言える状態じゃなかったけど。」
「榊原のペースに付いていけるわけないじゃん。あいつは5000m14分30ぐらいで走るんだし、残る俺たちは、15分30がやっとだし。スタミナが違うよ・・・でも、今日は初めから何かガンガン飛ばしてたもんなあ。」
うんうん、と今度は牧君が相槌をうった。
あたしと吉田君はそれを黙って聞いていた。
「で、あんまりきつくて、戻ってきて文句言ってやろうって思ってたの。実際。でも、その前に笹原に怒鳴られちゃったでしょ。俺が思ってることほとんど全部だったもんなあ。・・・何か、拍子抜けしたな、あれで。」
「そうそう、殴るとは思わなかったよな。・・・しばらく、はれが引かなかったみたいだな、榊原。」
七瀬君と牧君の会話を聞いていて、あたしはふと、思った。
もしかしたら、ササゴンは憎まれ役を買って出たのではないか、って。
多分、牧君や七瀬君があのあと、タクに文句を言っていたら、きっと練習の雰囲気はもっと悪くなっていたはずだ。
そしたら、ササゴンにみんなでお願いした「3年生が全員、一緒に駅伝まで頑張る」って言ったことは、ダメになってたかもしれない。
走っているみんなを見て、ササゴンは敏感に他のメンバーが思っていたことに気付いたに違いない。きっとタクが焦ってることも。それほど、ササゴンは繊細な感覚を持っている。
でも、あえてササゴンはタクを叱った。…それは多分、みんなに何も言わせないため。みんなが言いたいことを、あえて自分が言うことでみんなの不満を解消して、また一丸となって練習に取り組ませるため。
何よりも、カッカしているみんなに・・・タクも含めて・・・冷静に考えさせるため。
そんなことが一瞬の間に頭の中で駆け巡った。
「でさ、部屋に戻って考えたわけ。俺、自分がきついきついって思ってたけど、榊原はどうなんだろうってさ。ほんとに楽に練習してんのかなって。」
黙って聞いていた吉田君がそこではじめて口を挟んだ。
「で、どう思った、牧。」
「・・・うーん、ほら、1年と一緒に練習するときってさ、まだまだ力ついてないからあいつらのペースに合わせてるといらいらするじゃん。あーもー!って思って、かっ飛ばしたくなる。」
「そうそう、いらいらするもんなあ、1年が入部してすぐの練習でペースなんか作ってやるの。」
七瀬君がそれに反応する。
「で、思ったわけよ。榊原もそれと同じだよなあ、って。5000mのベストタイムが1分も遅い俺たちに合わせて練習するのって、けっこう苦痛じゃないのかなって。でも、あいつ文句一つ言わないしさ」
「大体普段からあんまりしゃべるヤツじゃないけどな。」
そういって七瀬君がははは、と笑う。
「ま、そこまで考えたら、もう文句なんか言う筋合いじゃないな、って思ったよ。あいつのおかげで練習きっちりできてるしな。妥協許さないからな、あいつ。」
ときどき、みんなはこうやってあたしのところにグチをこぼしに来ることがある。
それは多分、一緒に練習している仲間には見せられない弱音だったりするのだろう。
結構ひとしきり話したら、すっきりした顔をして練習に戻っていく。
・・・ただあたしは聞いて頷くことしかできないけど。
タクは、一体自分の中の重たい気持ちを誰に話すのだろうか。
きっと、一番仲のいい吉田君にさえ話せないことがあるはずなのに。
みんながあたしに話してすっきりすることも、タクは自分の中に抱え込んでしまっている。
メンタルが弱いなんて、どうして言えるだろう。一人で抱え込んで一人で乗り越えてるのに。
ふと、思った。
多分、タクはそういうことを吐き出すところができれば、きっと誰よりも強くなれるに違いない。
・・・でも、多分それは、吐き出せる相手はきっとあたしであるはずはないのだけれど。
タクにとって、そういう存在でない、ということがこんなときはすごく悔しい。
「キャプテン、ササゴンの部屋に行ってどれくらいになるの?」
洗濯物が入ったかごに手をかけてあたしは吉田君に尋ねた。
「もう、1時間くらいかなあ…。なかなか戻ってこないから気になってさ。」
「え、何?榊原、笹原のところに行ってるの?」
ああ、と吉田君が答える。もう椅子を揺らす音は聞こえなくなっていた。
「どう言われてるかなあ、榊原。」牧君がぽつりと言う。
「何か、俺たち榊原におんぶに抱っこだもんなあ。あいつ、いろんな意味できついこと背負ってるだろ。やっぱ、県内でも一番の注目選手だし。」
そう言っていると、あとの3年生がどやどやとやってくる。
「みんな、どうしたの?」あたしはびっくりして目を丸くした。タク以外の3年生は全員集合だ。
「いや、何か落ち着かなくてさ。勉強してても手につかなくって。」
ばつの悪そうな顔の長谷君。
「でさ、マネージャーの手伝いでもしよっかなって思ったら…結局みんないるし。」
長谷君と顔を見合わせて峰岡君が笑う。
小村君は黙ってその横に立っている。
結局、みんなタクが心配なんだ。朝からのあの事件にみんな少なからず責任を感じてる。
自分たち一人一人がもっと走れたら、こんな事態にはならなかったんじゃないかって。
すごい。素直にそう思った。
「榊原が、少しでも楽に走れるように、俺たちもっと力つけなきゃな。」
ぽつりと吉田君が言った。
みんなは黙って聞いていた。そして、頷いた。
「そうだな。みんなで結果を出さなきゃな。絶対に脱落しないで。」
七瀬君がまたぽつりとそう言った。
ふと、通路に視線を向けると、タクが歩いてくるのが見える。
赤かった頬はすっかりはれも引いているようだ。少しほっとした。
「榊原!」タクを見つけてそう言うと、吉田君が急いで走っていく。
みんなもその後に続く。
あたしは黙ってその様子を見送る。
身長の高いタクをみんなが囲む。頭一つ出ている。吉田君がなにやら矢継ぎ早に質問しているらしい。
一つ一つ答えるたびみんな真剣な表情で聞いていた。
話が終わった瞬間、わっと声があがり、よかったな、また頑張ろうぜ、という言葉が飛び交っている。
タクの背中をバンバン牧君が叩く。タクの顔がようやく緩んだ。
どうやらササゴンのお許しが出たらしい。
それよりも、みんながこうやってタクの心配をしてくれたことがすごく嬉しかった。
きっと、タクも。
あたしはほっとして洗濯物を干すことにした。
洗濯機から出してしばらくたったTシャツたちは少し乾き始めていた。
洗濯物を干し終えたあたしは、午後の練習の打ち合わせにササゴンの部屋を訪れた。
コンコン、とノックをすると、「おう、入れ」と声がかかる。
「失礼しまーす。」と言ってドアを開けると、ササゴンは練習日誌を記入しているところだった。
「山本、朝からは驚かせて悪かったな。」
は?とあたしが言うと、
「榊原に一発お見舞いしたろ。」
ノートを書きながらそう答えた。
「ああ。びっくりしましたけど・・・。でも、先生、何か考えてたんでしょ。きっと。」
ササゴンの手が止まる。ノートをパタン、と閉じる。そしてこっちを見ると、にやっと笑った。
「あたり。さすが山本。ま、榊原の性格から、そろそろ我慢できなくなってくるのはわかってたし、他の奴らがそのペースに付いていけなくて、逆にイライラしてんのもわかってたからな。雰囲気悪くなる前に先手打っとこうと思ってな。」
やっぱり。いつも思うが、ササゴンは頭がいい。先の先まで生徒の行動を読んで、動く。
でも・・・。ふとあたしは頭の中に浮かんだ疑問を問い掛けた。
「じゃ、なんで先生、キャプテンを叩いたんですか?」
うーん、とうなってササゴンが言葉を探している。
「あれは・・・周りにも考えさせたかったからかなあ・・・。でも、最初は怒鳴りつけて終わる予定だったんだが・・・俺もちょっとばかし熱くなってたかもな。とにかく今日の榊原は無謀なペースだったから。何か、顔見たら、いつの間にか手が動いてた。」
そういうと、ササゴンは照れくさそうに頭をポリポリと掻く。
“叩かれる”ということは精神的に大きなダメージを受ける。周りにも強烈なインパクトを与える。・・・それが計算ではなく、ササゴンの正直な感情で出たと言うことにあたしは少しほっとしていた。
それだけ、ササゴンがあたしたちに一生懸命になってくれてる、ということが伝わってきたから。
「キャプテン、何て言ってました?」
なんだ、情報が早いな、俺のところに来たの、もう知ってるのか。ササゴンはそう言うと、タクとの話をかいつまんでしてくれた。
「ま、結論から言えば、俺が榊原に頼んだんだよ。あと3日、我慢してくれってな。あいつの力を借りないとレベルアップは望めないからな。…あいつがいるから妥協を許さない練習を設定できる。とにかく、残ってくれた3年生と全員で結果を出したいってな。あいつも同じこと言ってたよ。」
・・・みんな同じ。
ちゃんと、みんな分かってる。ササゴンが考えてること、思ってること。
きっと今年の夏は、あたしたちにとって記念すべき夏になるに違いない。
みんなの気持ちが、一つになってる。
きっとすごいことが起こる。あたしの心の中でそんな思いが渦巻いていた。
「よし、山本、今日の午後練だがな・・・。」
心なしかササゴンの声にも張りが増したような気がした。
残りの3日、みんなは順調に練習をこなした。
タクは当然ササゴンの言いつけを守り、ひたすらみんなと同じペースの練習に徹していた。
時折、ぐっとペースが上がりそうになることはあったが、吉田くんや牧君が、「榊原、ペース!」と声を掛けると、冷静になって設定のペースに戻っていった。
みんなも必死で練習にくらいついてきた。
設定を全てこなせたのはタクと吉田君ぐらいだったが、合宿が終わる頃には脱落するものが大分減ってきた。
特に3年生は、あの事件以来、声を掛け合い、励ましあって練習に臨んでいた。
最終日には全員設定タイムをクリアできるようになっていた。
それを見て、ササゴンも満足そうな笑みをちらと浮かべていたのをあたしは見逃さなかった。
合宿が終わる。あたしは荷物をよいしょ、とササゴンの車に運ぶ。
選手みんなはマイクロバスで移動。あたしはササゴンの車。
キーパーに、クーラーボックスに、救急箱に…と一つ一つ確認して車の後部座席に入れていると、横から近づいてくる人影を感じる。
吉田君?そう思って横を向くと、タオルを持ったタクが立っている。
相変わらず、突然にタクは現れる。そして、やっぱりあたしの心臓はいきなり速度を上げる。
そんなあたしにお構いなく、タクはぶっきらぼうに話し掛ける。
「これ、サンキュ。早く返そうって思ってたんだけど。」
あたしがあの日に渡したタオル。
そう言えばそうだった。渡したままになってたのをすっかり忘れていた。
「あ、うん。」
それだけ答えてあたしはタクの手からタオルを受け取る。
夏休み前、映画館で触れた手。その感触をふと思い出す。
細くて、長い指。少し冷たかった手。…受け取ったタオルは柔らかかった。
ふわっと石鹸の匂いがする。
おずおずとタクに尋ねる。
「もしかして、洗ってくれたの?」
そう聞くと、タクは「ああ」とだけ言った。
そしてゆっくりとマイクロバスに向かって歩き出した。
ちょっとだけ、いつもよりちょっとだけ優しい目をしているような気がしたのは、気のせいだろうか。
・・・そういえば、夏の初めにこんな会話をしたような気がした。
立場が逆、だったけど。
夏も中盤を迎える。
周りのセミも「ここにいるぞ」と主張するようにやかましく鳴き続ける。
山の緑は夏の強い日差しに負けずに輝いている。
それは限りない生命力を感じさせてくれる。
その力強さは、今回の合宿でみんなが掴んだ絆にとっても似ているような気がした。
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