『思いでのカシスソーダ』
私は妻と結婚前に一緒に何回か飲みに行ったことがある。妻も今より少しは酒が飲めた頃だが、弱いのは変わらない。口当たりのよいカクテルなどを好んで飲んでいた。その中でも特にお気に入りだったのがカシスソーダである。2時間もいれば私はビールからバーボンのロックまで飲んでしまうが、彼女はカシスソーダ2杯くらいであった。今にしてみれば随分と頑張ってつきあってくれてたのだろうと思う。
ある日、私は妻を連れてワンショットバーへ出掛けた。先輩に連れてきてもらったことがある店で、わりと頑固なマスターが一人でやっている「大人の集まる」店だった。
少し暗い店内では常連が決まったカウンターの席でいつものお通しである「かっぱえびせん」をつまみながらグラスを傾けていた。空いていた奥のカウンターに並んで座り私はカナディアンクラブのロックを妻は伝家の宝刀カシスソーダを注文した。マスターは妻のオーダーに明らかに顔色を変えたのだが1軒目でほろ酔い気分になっていた私は気にもとめなかった。1時間くらいが経過しただろうか、私は3杯目のオーダーをする頃に妻のグラスが空いていたので「もう1杯飲むか」と聞き、妻はマスターにカシスソーダを注文した。
そこでマスターは「もう1杯は作るけど、お酒が飲めるようになったらまた来な」と言った。妻はすまなそうに頷いたが、私はこの台詞に腹が立って二度とその店に行かなくなった。その時もイヤな気分で金を払って出ていったのを覚えている。もっと酔っぱらっていたら大人気ない怒り方をしたかもしれない。
そんなカシスソーダを今は家で妻のために作っている。濃さもお好み加減だ。こんな甘いもの酒じゃないと思いながら自分も飲んでいるのだ。酒なんて飲めれば偉いモンでもなく、好きなように好きな量だけ楽しめればいいのだ。マスターに一言「本当に酒がすきなら酒の種類でゴチャゴチャ言うんじゃない。作りたくなければ最初から作るなボケ」
『新聞』
サラリーマンはスポーツ新聞が好きだ。お父さんになればなるほど好きだ。中には日経を読んでるオヤジもいるが、仕事で疲れて帰るのにまた仕事を思い出すような記事は読みたくないのだろう。野球がどうなったとか、今週の競馬の予想だとか、噂だけの芸能ニュースなんて頭を使わないで読んでいられるわけだからか。
しかもこと電車の中では互助作用が働くらしい。自分が買ってきたスポーツ新聞は次に席に座る人のために網棚や座席に置いて降りていくのだ。新聞を持たないサラリーマンは、前人の読み終えたものを丁寧に、気楽に読みあさってうえで又もとの場所に戻す。これがルールのようだ。中には次の新聞を見つけて席を移動していくジプシーサラリーマンも存在する。これは社内が空いている時間帯にしか出現しないのが常である。
私も先ほど前人のスポーツ新聞を読み終えたので、もとあったように戻しておいた。終点までにまた誰かが読むであろう。そう、仕事に疲れて帰宅するサラリーマンの清涼剤となっているスポーツ新聞はエライのである。