「新米”じいちゃん”体験記 」               平成13年3.17  山根光正
   初孫が誕生して1年余、すくすくと成長している。名前は「海(かい)」。 私ならありきたりの「一郎」とか「太郎」とかつけるのだが今の若者は変わった 名前を考えるものだ。沖縄には海のかなたに「ニライカナイ」という別世界があって、 そのニライカナイから豊穣や幸がもたらされるとの世界観がある。その意味では沖縄に マッチした雄大な命名であるのかも知れない。
 海は2000年2月28日に誕生した。彼と対面した第一印象は色白であること、頭髪 が多いこと、変な表現だが目も鼻も口も一人前に備わっていて安心した、ということだった。 顔に比べて不釣り合いな程に大きい手足、この子は将来相撲取りのような大男になるに違いない。 マシュマロをつまんだような口で大きなあくびをした。2時間見ていても3時間そばにいても あきない。笑った泣いたと僅かな仕草にも皆で一喜一憂している。これが孫の存在というものか。
 半年ほど前からは寝返りもうてるようになった。抱っこすると”オッ、爺ちゃん来たか”とでも 言うようにこちらをじっと見たり笑ったりもした。高い高いをすると両足でキックして胸やお腹が 痛いほどである。たまらない程可愛い、というのが初孫に接しての実感だ。
 ところで、孫の将来について心配がないわけでもない。いじめられっこになりはしないか、逆に 親に暴力をふるう青年に育ちはしないか。心配しだしたらきりがない。その意味では親がしっかり しつけるべきだと考える。
 コラムニストの天野祐吉さんが昨年7月7日の朝日新聞で述べておられる「孫は子どもの子ども。 親が育てるもの」だと。過保護にしたら孫の将来によくない、だから会わないと天野さんはおっしゃる。 可愛いやつだと降参して孫を受け入れるか、それとも天野さんのように(冷たく)突き放すか、サテ ここが思案のしどころだ。と強がってはみたものの、私の場合はベッタリになるのは目に見えている。