「兄の帰省」               平成13年5.20  山根光正
   筑波大学の教授に就任し、その祝いをするために兄が帰省した。ついでに 50年前の子供時分を過ごした本部と伊江島に行った。
 2月12日、本部新港を11時出港、11時20分伊江港に着く。城山(グスクヤマ)は 昔のままにあたたかく迎えてくれた。伊江島名産の「ジーマーミ(落花生)菓子」をつまみながら 実家のあった「阿良(部落)」に向かう。道路は舗装されていて昔日の面影はない。浜に降りた。 幼年時代(5,6歳頃)に遊んだ突堤はなくなっている。夜になると突堤に座り、対岸に見える 渡港地の灯りを眺めたものだった。当時(1947〜8年頃)は未だ伊江島には電気は点いてな かったと思う。
 「この辺りに家があった。水汲みに行かされた場所はここだった」と兄は懐かしげだ。
 東江上(部落)で、親戚の家をのぞいた。親戚の姉さんが庭に出ている。訪問することを予定に 入れてなかったので土産は持っていない。しきりに恐縮する兄。
 出港時間が迫っていたので親戚に御願いし、そこの息子に港まで送ってもらった。車中、「モータ ープールはここにあった」と兄が指さした。親戚の息子は(戦後直のことはわからないので) キョトンとしていた。
 姉達と渡久地新港で待ち合わせ、海洋博会場に向かった。
 「花のカーニバル」最終日だった。色とりどりの花が観賞できるので女性陣は大喜び。 ランをバックに何枚も記念写真を撮った。
 本部富士を見て「懐かしいネ」と兄。砕石問題があったことを話した。兄は歌い出した。「1万 駈けろと百駈けろ ジープも追えない本部富士 行くぞとニッコリちょっと飛べば・・」。 今ではおぼえている方は少ないとおもうが、戦後直の本部村で流行った応援歌だった。
 兄を案内して改めて彼の記憶の確かさに舌をまいた。