「祖国復帰29年 」
平成13年6.24 山根光正
祖国復帰して今年で29年。
復帰時に青春時代を過ごした者にとって、
祖国という響きには感慨ひとしおのものがあ
る。私の胸中では日本本土と言えば未だに緊
張する何かがある。その何かの大きな一つが
”言葉”の壁。ウチナー訛りの標準語しか話
せない己にとって、29年経っても本土はや
はり沖縄と鹿児島の間に横たわる大海原のよ
うに隔壁した何かが感じられてならない。
G・W(4月28日)に鹿児島に行って来
た。朝8時に大型フェリー「なみのうえ丸」
は那覇港を出港した。辺戸岬を過ぎ与論島が
近づく。復帰前、日本本土と分断されていた
北緯27度線はどのあたりにあるのだろう。
海上に”線”を引くなんて土台無理な話だっ
たと思う。
途中、沖永良部島、徳之島、奄美大島に立
ち寄り、25時間かけて翌朝の9時に鹿児島
港に着いた。
市内見学して、その日の夕方6時「クイン
コーラル」に乗る。来た時とは逆の順路で、
翌日の夜に那覇港に着いた。大型船のせいな
のか、それとも速度が緩やかなせいなのか、
復帰当時と比べて、揺れは全く感じられない。
私事だが、4月中旬、北九州市で開催され
た九州地区の国公私立、短大を含めた大学図
書館協会の総会に、館長、課長と一緒に出席
した。昨年は沖国大が総会の幹事大学で、嘉
手苅千鶴子先生を中心に取り組んだ。その嘉
手苅館長が現職のまま今年3月、急逝された。
嘉手苅先生を悼んで、総会の冒頭で「異例の
ことですが」と前置きして、図書館協会幹事
大学である九州大学図書館長の提案で1分間
の黙祷がささげられた。(このことは嘉手苅
先生の七七忌に館長と一緒にうかがい、仏前
に報告した。)
昨年の同総会で、嘉手苅先生と一緒に副議
長をつとめられたK大学のS館長は驚いた表
情で「そうですか、嘉手苅先生が・・」と絶
句された。懇親会の席で、S館長が首里高校
の卒業生であることを知った。
首里高が甲子園に初出場(1958年)し
た時の皆さんと同期とのこと。「修学旅行の
ついでに甲子園に応援に行きました」とおっ
しゃった。高校の先輩と知り、S館長に急に
親しみが湧いてきた。
我々が高校時代、正門を入り、右手の校舎
に向かうとそこに「甲子園出場記念」の碑が
あった。(勿論、現在もあると思うのだが。)
”甲子園の土”を持ち帰った時、植物検疫法
にひっかかり海上投棄されたのは有名な話だ。
このことが報道され、後日、空路甲子園の小
石だったかが、寄贈されたのだったと思う。
NHK「ちゅらさん」が放映中だ。ドラマ
で使われるウチナーヤマトグチに好感を持っ
ている。主人公の古波蔵恵里が東京で奮戦中
だ。恵里さんにお願いしたい。標準語ナイズ
されることなく、ウチナーヤマトグチで頑張
ってほしい。そして、全国にウチナーヤマト
グチを認知させてほしい。
これまで鹿児島弁も博多弁もズーズー弁も
ドラマの中に登場した。ウチナーヤマトグチ
の全国版は今回が最初だろう。その意味で
「ちゅらさん」の果たす功績は計り知れない
ものがある。(私の場合は)ヤマトコンプレ
ックスはまだまだ解消されていない。県外で
活躍される方に接するにつれ、また、「ちゅ
らさん」をみるにつれ、勇気づけられる。ど
うか頑張って下さい。