「セイイチニイニイ」ありがとう
7/11琉球新報「茶わき」掲載
平成14年7.14 山根光正
6月15日は親友川端清市の「49日」だった。少雨傾向の中で夜間断水も取りざたされていたが、その日に限って具志川市の彼の家に
着いた頃からしのつく雨に変わっていた。窓を叩く雨を見ながら彼のことを考えていた。
川端は1年間の闘病の末に4月28日に亡くなった。享年58歳で私と同じ歳だった。性格は穏やかで「セイイチニイニイ(清市兄)」
と皆から慕われていた。彼のような世話好きな男を私は知らない。仕事や人間関係で行き詰まった時、”彼ならこんな時どううするのだろう”
と思ったものだった。その意味で良きライバルであり良き兄貴分だったとも考えている。
彼の独唱する古典音楽にのせて告別式は行われ、800名の方々が参列された。告別式の日も式の途中から雨だった。
彼とのつきあいは沖国大に採用された昭和48年から始まった。最初の頃の思い出にこういうのがあった。卒業式の頃だった。当時の沖
国大周辺には原っぱが沢山残っていた。川端がグラジオラスを抱えきれない程摘んできた。そして事務所一杯に真っ赤な花を咲かせてくれ
た。その時思ったことは顔に似合わず優しい男なんだな、ということだった。
川端は趣味も多才だった。陶器に盆栽に詩吟に書道に三線にと、いずれもひとかどの域にまで達した。三線は新報社主催の「琉球古典芸
能コンクール」の最高部門まで上り詰めた。
平成の初め頃、あついハートとホットな空間をつくろうと「ホット会」なる親睦団体をスタートさせた。彼を中心に「琉歌碑巡り」や
「離島巡り」などを実行した。県内離島はほとんど回り、次の目標はトカラ列島だった。
川端と知り合えたことは我が人生の最大の収穫だった。ウリズンの時候のような緑したたる「天国」で好きな三線を弾いているに違いな
い。セイイチニイニイ、30年間の友情をありがとう。