鳥取城保存復元計画(案)
<基本理念〜目に見える歴史の里程標>
史跡「鳥取城」は、市街地の扇の要に位置し、創建以来、城下の暮らしを見守って来た。「近世城下町の景観計画に基づいて、町のいたるところで、天守閣が視界を支配」し、人々の精神的支柱となっていた。家々・辻々から、振り仰ぐことのできる史跡「鳥取城」は、人々の日常の営みに根付き、人々の視界の中で、江戸時代を通じて繰り返される大火・洪水の中を生き抜いてきたのだ。
鳥取史上最大の火災、享保の大火で城下一円、城郭や久松山まで全焼した時、まず、二の丸三階櫓が再興され、復興への道標となった。明治初年に、鳥取県が一時廃絶される直前、理由不明のまま鳥取城は破却された。しかし、石垣のみを残す姿になっても、明治期の絵葉書に見るように、鳥取の町は城を中心とするパノラマとして認識されていた。また、昭和十八年の鳥取大震災で、鳥取市全域で家屋が倒壊し、鳥取城の石垣が崩壊した。さらに、数年後、大火で鳥取が灰燼に帰す。このときも、全市で応急の復旧が一段落すると、市民の声により二の丸三階櫓の石垣復旧工事が開始された。このように、史跡「鳥取城」を中心とする景観空間は、市民の心の中に確固として実在し、鳥取の歴史の可視的な里程標となっているのである。
今、新しい危機が、この史跡「鳥取城」の景観空間に襲い掛かっている。都市の発展に伴う、中心市街地における高層マンションの乱立である。次々に建設される高層マンションが数を増すにつれ、視界はさえぎられ、このまま放置すれば、城への展望はビルに埋もれ、史跡「鳥取城」の景観空間はなしくずしに人々の意識から薄れ、城跡はただの公園と化し、お堀端までビルが建つ。鳥取市は城下町としての自らの歴史から切り離された根無し草のような町になるだろう。一方で、合併に伴う中心市街地の機能強化・高層建築化はもはや後戻りできる段階ではなく、市街地の建築規制を強化すれば、機会費用の損失は甚大なものとなり、20万都市としての町の将来は閉ざされるだろう。これは、新しい形で提起された「開発か保全か」、「現代か過去か」の問題なのである。しかし、城下町とともに生きる我々鳥取市民にとって答えはひとつである。「現代も過去も」。
だからこそ、「鳥取城復元」により、史跡「鳥取城」と城下町の景観空間を再活性化することこそが、もっとも現実的で有効な解決策だと考える。単純に、高層建築が建った分こちらも高くしようというのではない。輝きをます現代に拮抗しうる過去を史実の中から探し出して復元し、市民の精神的支柱としようという事である。(史跡であり一切の建造物を認めないという原則的立場は、生きている歴史である城下町景観の保全に対して不作為の謗りを免れないのではないか。)
幕末期の最も輝いた時期の鳥取城全容の復元(二の丸三階櫓・山上の丸を含む)こそが、混沌とした未来へと歩み始めた新鳥取市民一人一人にとって、父祖と子孫へとつながる、目に見える羅針盤となるであろう。
<鳥取城復元計画の重点項目>
鳥取城を鳥取市の歴史遺産として甦らせるには、総合的な復元が必要であり、それは、以下の三層で同時並行的に進められるべきだ。
1 鳥取城復元の基礎となる現存する石垣部分の調査・復元及び発掘調査。
2 鳥取城内の建築物の復元。
3 鳥取城関連資料の収集・分析と再構成。
これらは、それぞれに土木的分野・建築的分野・歴史的分野に対応している。
これまでの、「保存管理計画」の問題点は、1の分野が重視されすぎてきた点に問題があると思う。その結果、鳥取城は市民の意識から遠のき、石垣の修復工事も「なにかやってるみたい」程度にしか認識されなくなって来ている。実は、石垣の修復工事には億単位に近い国の資金が投入されている。この内のほんの数割でも2・3の分野に回していれば、現状は随分異なっていたのではあるまいか。土台の上に建物があり、物語があって初めて人々の興味と関心の対象となるのではあるまいか。これまでの石垣修復に重点の偏った「保存管理計画」は画竜点睛を欠くものとなっていたと言えよう。
1の分野について
a 山上の丸の発掘調査と石垣補修。
b 久松山全域の遺構調査。
c これまでに行ってきた山下の丸石垣復元概要のまとめ。
2の分野について
a 走り櫓の復元計画。
b 復元可能建築物の検証。
c 復元順位の確定と復元全体構想の策定。
3の分野
a 城内の変遷を絵図及び資料から再構成。
b 歴史的出来事を城内の各建築物と関連づけて再構成。
1の分野については国指定の史跡であることから、今まで石垣修復工事の延長線上で行っていく。2の分野については、市が中心となり、最低でも2−aの具体化を図る。2−cは年次を定めず、大まかな目標時期のみを設けたものとする。3の分野については学術機関に委託研究を行ってもらう。内容は一般向け解説も加えてHP上で公開し、城址散策者がPCサイトビューの携帯電話で参照できるようにする。
<補足>
「走り櫓」については既に発掘調査も行われており、写真や簡単な図面もあり、復元の可能性が最も高い。幕末期には藩政の最高意思決定機関である「御櫓」が置かれており、歴史的価値も高い。一点突破で「走り櫓」を復元し、三階櫓を含む鳥取城全容の復元へと展開するのが戦略的には最も良いと考える。
| この意見に対して、城跡整備に関わっている一個人の見解として、下記のような意見が寄せられました。 |
ご意見の中で、 1 鳥取城復元の基礎となる現存する石垣部分の調査・復元及び発掘調査 に重点が置かれすぎて来たとのご指摘がありましたが、これは「好意的な誤解」
と思います。
実際には、調査・発掘調査は現在までのところ重点を置かれてきておりません。
鳥取城跡の場合、昭和30年代末以来、1についても「石垣の修復」と「そのため
に必要な最低限の調査」しか行ってきておりません。正確には「石垣の修復」に
偏って事業を進めてきた、というべきと考えます。学術的に鳥取城跡を理解して
ゆくためには、石垣・現存遺構についても、調査面では一層の注力が必要と思わ
れます。
最近になって天球丸の石垣の下から古層の石垣が発見されるなど、近世城郭部分
についての理解も、実は充分とはいえません。
ましてや山上の丸を含む中世城砦跡については、正確な位置と総数の把握もこれ
からやっていかなければなりません。
私が記録を調べた範囲では、「二の丸復元のためだけの調査」が昭和50年代末に
既に行われており、その結果、長期的にきちんとお金をかけて調査をしない限り
建造物復元の可能性は低い、調査をしても建てられるとは限らない、という結論
が出て、結局「復元できないなら調査にそんなにコストをかける必要はない、最
低限現状を維持できるよう保存管理計画を立てる」という指針が立てられていま
す。
本来、復元可能であろうが不可能であろうが必要だったはずの、史跡としての理
解のためのコストが十分にかけてこられなかったのが、これまでの実情です。
配布用のパンフレットすら作成されてこなかったのは、ご存知のとおりです。
今回の「基本計画」は、まず一般的なレベルでの史跡整備を可能とするためのも
のでもあります。
修復については、伝統工法に基づく積みなおしを、文化庁の指導のもとで行って
います。
ご指摘のように、それだけでは市民の関心をひかない、ということもありますが
、まず工事の内容や、その前段としての発掘調査などで得られた情報を十分にお
伝えしてゆく必要がありますし、それを可能とする質の高い調査とデータどり、
復元を可能とするレベルの史跡の理解を目指してゆきたいと考えております。
以上のような現状をお伝えして、何卒 様はじめ市民の方のご支援をいただき
たく存じます。
今後ともご支援をよろしくお願いいたします。
長文のメール失礼いたしました。
草々 |