| 1 平成15年12月定例鳥取市議会における「鳥取城復元」議事の要旨(鳥取県政新聞第1445号より) (1) 16年度に専門家による「史跡鳥取城跡保存整備計画検討委員会」を発足。 (2) 17年度中に「史跡鳥取城跡保存整備計画」を策定。 (3) 復元されるのは、明治十二年に取り壊された姿になると思われる。天守閣は困難? 2 「史跡鳥取城跡保存」のあゆみ(「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平保存整備概要報告書(昭和62)」等より) (1) 史跡指定まで 鳥取城跡は昭和18年の大地震により、各所で崩壊し、昭和19年池田氏より鳥取市に寄贈された。 昭和28年平和塔建立奉賛会が、山上ノ丸三ノ丸にビルマ塔の建設を計画。これに反対し、史跡保存のため国指定の史跡とする動きが起こり、当時の鳥取県政を二分する争いになる。昭和34年に史跡に指定される。 (2) 史跡指定後の整備事業 |
| 実施年度 | 事業名 | 概要 |
| 昭和34−40 | 三階櫓石垣復元 | 崩壊した石垣の復元 |
| 昭和41 | 鳥取西高記念館裏石垣復旧 | |
| 昭和42−46 | 山下ノ丸整備 | 石段・柵・側溝・表示板 |
| 昭和44・45 | 山上ノ丸整備 | 本丸、二の丸、三の丸整地、道路整備 |
| 昭和46・47 | 宝隆院庭園復元 | 池の復元、庭園整備 |
| 昭和46 | 坂口御門石垣復元 | |
| 昭和47 | 山上ノ丸石積・天球丸土石運搬 | |
| 昭和47−49 | 内濠浚渫 | |
| 昭和47−49 | 内濠周辺石垣復元 | |
| 昭和50−52 | 米蔵跡整地 | 民家の移転(猿の檻等) |
| 昭和51 | 家老屋敷付近石垣石積 | |
| 昭和53 | 大菱櫓石垣復元 | |
| 昭和54 | 渡御門石垣復元・石段復元 | |
| 昭和54−57 | 走櫓・武者走り櫓石垣復元 | 走櫓跡発掘調査 |
| 昭和58−61 | 菱櫓石垣復元 | 別の石積み根石の発見 |
| 昭和54 | 武器庫跡石積 | |
| 昭和62 | 史跡平面図作成 | |
| 昭和63 | 二ノ丸三階櫓下石垣 | |
| 平成元年 | 宝蔵跡石垣復元 | |
| 平成元年−8 | 天球丸石垣修理 | 天球丸三階櫓跡発掘調査 |
| 平成10年 | 太鼓御門石垣修理 | |
| 平成11年 | 中ノ御門発掘調査 | |
| 平成13年 | 楯蔵発掘調査 |
| 3 復元可能性のある主な鳥取城跡内建造物 |
| 構造 | 建設時期 | 消失時期 | 写真 | 図面 | |
| 山上の丸 | 三層 | 天正元年 | 慶長初年 | 無 | 無 |
| 山上の丸 | 二層 | 慶長初年 | 元禄五年 | 無 | 無 |
| 月見櫓 | 一層 | 慶長初年 | 明治十二年 | 無? | 無 |
| 天球丸櫓 | 三層 | 享保五年 | 無 | 無 | |
| 二の丸三階櫓 | 三層 | 享保十三年 | 明治十二年 | 有 | 無 |
| 二の丸御殿 | 一層 | 弘化三年 | 明治十二年 | 有 | 有 |
| 菱櫓 | 二層 | 弘化三年 | 明治十二年 | 有 | 有 |
| 走櫓 | 一層 | 弘化三年 | 明治十二年 | 有 | 有 |
| 4.私見 現在の鳥取城に関する史料収集・研究状況で、復元計画を策定すると「二の丸御殿」を中心とし、三階櫓は見送りとなる可能性が強い。検討委員会は、現在の研究成果に依拠して討議するだろうから、事前の歴史研究の充実が必要である。十六年度中に、特に、以下の点に関する集中研究を、、気鋭の歴史研究者(例、磯田道史氏「武士の家計簿 」の著者など)に委託し、ブレークスルーを図っておく。 (1)明治十二年の鳥取城取り壊しの経過(明治初期の鳥取県政史の推移を含む。) (2)弘化三年の鳥取城再建の経過(水戸藩など県外史料を含む) (3)享保十三年の二の丸三階櫓再建の経過 (4)山上の丸の変遷(発掘調査を含む) (5)各建物の歴代番人の氏名 研究成果の取りまとめに当たっては、できるだけ、関係する歴史上の人物の個人名を記載しておき、また、一般人でも読みやすいものにする。これらを刊行あるいはHP上で公開することで、子孫からの新情報が期待できる。 |