− 雨降る向こうの空遠く −
傘をさすほどの雨ではなく、かと言って傘をささずにいると肩が濡れて冷たい。
とぼとぼと歩く。どこからともなく笑い声が聞こえる。
とぼとぼと歩く。向こうの方から俯きながら男性が歩いて来る。
徐に、その男性は空を見上げる。私も空を見上げ、流れゆく灰色の雲を追う。
私は、灰色の雲の向こうの果てに何があるのかを考え、願った。
いつしか、私の身体を濡らすほど、雨は強く降り始める。
そして私は、先ほどの笑い声と流れゆく灰色の雲とを重ね合わす・・・。
against one's will
自分の意志で生まれて来た理由でもなく、この世に生まれた私。
だから私は生きることの意味を探す。けれどもその解答は、この世にはなく、存在理由すら私にはない。いつかは、この身体も屍になるだろう・・・。
寂しさは自虐的愛で、その心を埋めた。喜びは「悲しみ」をモチーフにして絵を描き、それを壁に掛けて、じっと眺めた。そして私は、何より苦しみを恐れ慄き、震える手と手を合わせ、そしてその恐怖から開放されることを祈った。
私は人の言葉を信じようとした。しかし、大抵裏切られる言葉へと、その言葉は変貌する。私は、何時しか裏切った者への為に小道具を持つようになる。
ある女性が、その宝石の光に魅了されるように私は、この小道具の光によって「生きる」という実感を味わう。
でも、心の中に何かしら、折り合いがつかずにいる。その複雑な心境が私を狂暴化さえするように思えた。
私は私の行動が制御できない。私は、心にある「臆病」と「凶暴」とが内混ぜになり、凶夢を見たりした。
生きる事に疲れた理由ではなく、ただ私は「生きる」ことに、ただ耐えられないだけなのだ。私には、その「意志」という影さえもない。だから・・・この世に永訣しようと思う。
今、恐怖心はない。心が高揚した分、私は私でなくなり、ひとつの肉叢(ししむら)として解き放つ。「この世から決別を」このビルの屋上で天を仰ぎ、流れる雲と風とを静観す。そして私が見たものは・・・
to... Miss Anne Frank <genocide>
先ず、ユダヤ人の迫害について、少しだけですが話さなければなりません。
第2次大戦中、ドイツ及びその支配下にあったヨーロッパでユダヤ人が虐殺された数は、実に570万人に達しているという。これに間接的な犠牲者を加えれば、600万人を突破すると言われています。一民族がこれほど迫害を受けたのは歴史上類例がありません。
ユダヤ人はセム系のイスラエル人を祖先とし、パレスチナを原住地に、多くは、ユダヤ教を信仰する民族。イスラエル建国の祖は、紀元前1500年から1300年頃の人といわれるモーゼとされている。イスラエルはソロモン王の死後、紀元前926年に北のイスラエルと、同じセム系のユダヤ族のユダヤ王国に分裂したが、その後、同じユダヤ教を信仰するイスラエル人とユダヤ人をユダヤ民族と総称するようになった。
紀元66年に、ユダヤ人は宗主権を握っていたローマに対して反乱を起す。がしかし、紀元70年にエルサレムをローマ軍に攻略されてそこから追放された。それ以来、ユダヤ民族は祖国なき流浪の民となった。
ユダヤ教は最初、ローマ帝国でも認められていたが、紀元349年、テオドシウス帝がキリスト教を国教としてからは、ユダヤ人はキリスト教徒との婚姻を禁止され、社会的地位も低下した。キリスト教が広く各地に普及するにつれて、ユダヤ人は反感を買い、迫害された。ユダヤ人は市民もなれず、官職にもつけず、職業も制限され、重税を課せられた。そして特種地域(ゲットー)に住み、黄色い星のマークを胸につけ、黄色い頭巾をかぶることを強制された。
こうしたユダヤ人にも開放の時が来た。アメリカは1776年、独立とともにユダヤ人を解放し、その影響を受けてフランスが1791年の革命を契機にユダヤ人開放を立法化した。だが、ユダヤ人開放が進む一方において、ユダヤ人の大資本に対する市民の反感と国家主義からここに新しい反ユダヤ主義が抬頭し、これを利用する政治家も出てきた。ユダヤ人が多くいたロシア、ルーマニア、ポーランドなど東ヨーロッパ諸国では、民衆の反ユダヤ主義は根強く、ユダヤ人は依然として差別待遇を受けなければならなかった。ロシアでは、1917年の革命でユダヤ人は自由を獲得したものの、ブルジョア経済活動をしているという理由で、色々な制約を課せられた。ドイツでは1933年、首相にヒトラーが任命され、政権を取ると間もなく、国会を解散し、ナチ党以外のすべての政党を禁止して独裁権を握った。そしてヒトラーは、ドイツの衰退をユダヤ人の左翼分子の責任に帰し、狂熱的な国家主義を鼓吹した。さらに反ユダヤ政策を着々と実行に移した。先ず、ユダヤ人の市民権を剥奪し、非ユダヤ人との婚姻を禁じ、ユダヤ教寺院を破壊し、ユダヤ人の財産を没収して数千人のユダヤ人を投獄した。商業や自由職業につくこと、公園、図書館、博物館への出入り、電話、交通機関の使用までも禁止した。まさに中世の逆戻りです。(ヨーロッパ中世には民族浄化やアーリア人崇拝思想となり、決定的な大量虐殺は何度も起きてます。)そのような反ユダヤ政策は、多くのドイツ国民の共感を呼んだ。
ヒトラーが極端な国家主義と狂信的な反ユダヤ政策をとったのも、ヨーロッパのこうした顕在的、潜在的反ユダヤ主義の土壌(ファシズム:第一次大戦後に現れた全体主義的・排外的政治理念、またその政治体制。自由主義を否定し一党独裁による専制主義・国粋主義をとり、指導者に対する絶対の服従と反対者に対する過酷な弾圧、対外的には反共を掲げ侵略政策)を利用したものと言われている。
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1948年、国際連盟の条約書によるとジェノサイドとは「国民的・民族的・宗教的集団を全体的に、あるいは部分的に滅ぼす意図をもって犯される行動」と規定されている・・・。
1945年4月3日、ヒトラーが自殺、その二日後にベルリン陥落。連合軍が各地でナチスの指導者を逮捕して行った。彼等戦犯はナチスドイツがユダヤ人弾圧を宣言したニュルンベルグへ移送され、この地で裁かれた。ナチス・ドイツを裁いた「ニュルンベルク裁判」がある。裁判は1945年から始まり、拘留中に自殺した二人を除く21名が法廷に立たされる。計403回の審理が重ねられ、翌年10月1日に判決が下される。死刑12人、終身禁固刑7人、無罪3人。逃亡中のナチ党官房長のマルティン・ボルマンには欠席裁判で死刑判決が下された。しかし、この12人を除けば、結局、戦後約200万人のナチ協力者がリストアップされたにも関わらず、ほぼ全員が何の罰も与えられず社会復帰を果たす。
戦争という「悪の根源」にあるものは一体何であるのか?それは、民族主義(nationalism)なのだろうか?やはり、自分の属する民族から他民族を見てしまうと、どうしても優秀民族に見えたり、劣等民族に見えたりするだろうと思う。ユダヤ人というのは20世紀の後半に至るまで国家を持たずして、他民族。他の主権国家に寄生(という言葉は適切ではないかも知れないが。)していた。過去の時代背景とイデオロギーにより、ナチズム。ドイツ第三帝国が生まれた。つまり、第1次世界大戦の後のベルサイユ体制というものが蓋然的にドイツ国民の屈辱を与えた。その侮辱感の払拭という面で、それを利用したのがヒットラーであり、ヒットラーを台頭を許したのもドイツ国民であると同時に、反ユダヤ政策という法律を容認したのもドイツ国民であると・・・。(ドイツ全土の国民が嬉々として従ったわけではない。中には、強制されて致し方なく、自分が生きる為には心の中では不本意であっても、国民の選択として協力。乃至、協力をする振りをしなければならなかった。)
第2次世界大戦というのは民族独立戦争とは違い、主権国家と主権国家が主権を賭けて戦った理由で、その戦うべき目的というのは、やはり主権による利権なのであろうか。戦争をする相互の国と国との間には、政治的背景が見え隠れし、その底辺にあるのは、やはり民族主義ではあるまいか。戦争において、民族主義を優先させるのならば、人間そのものを否定し「人権」という倫理が見失う恐れがある。
「人間には破壊と殺人の本能があります。そして人類が一人の例外もなく全部、大きな変化を経るまでは、戦争の絶え間なく、建設され、つちかわれ、育てられたすべてのものが破壊され、ゆがめられ、人類はまた最初からすべてをやりなおさなければならないでしょう。」
(「アンネの日記」Anne Frank著 皆藤幸蔵訳より)
Hanaitimonme
「 花いちもんめ 」
ふるさとまとめて はないちもんめ
ふるさとまとめて はないちもんめ
勝ってうれしい はないちもんめ
負けてくやしい はないちもんめ
たんす長持ち どの子がほしい
あの子がほしい あの子じゃわからん
この子がほしい この子じゃわからん
相談しよう そうしよう
この唄は童謡でありながら「子(娘)買いの唄」だそうです。
貧しい親が人買いに「箪笥、長持ち、どの子が欲しい?」と聞きます。子買いは子供たちの中から「あの子が欲しい」と選びます。昔、貧しい農村から口減らしの為に集団で女郎に売られていく娘さん達を「花一匁」と例えたそうです。(あくまでも、「わらべうた」なので、その一説としてですが・・・。)
昔、花の売買は目方売りをしていたので花一匁(いちもんめ=3.75g)になり、花一輪となります。そして、花一輪は、一人の芸者を表わすそうです。
もう一つは「花いちもんめ」の「花」は、遊女(娼婦)と遊んだ時に支払う花代のことを指すそうです。
「勝ってうれしい」とか「負けてくやしい」とは何か?
「買って嬉しい」「負けて(値切られて)悔しい」とも、意味がとれる。(子買い職の人が買って嬉しやで、値切られた親は悔しや。)
歌詞は地域によって様々な歌詞があるそうです。
隣のおばちゃんちょいと来ておくれ
鬼が怖くて行かれない
お布団かぶってちょいと来ておくれ
お布団ぼろぼろでいかれない
お釜かぶってちょいと来ておくれ
お釜底抜け行かれない
「隣のおばちゃんちょいと来ておくれ」「鬼が怖くて行かれない」・・・。というのは、脱走するにも監視がすごくて、できない。という一説だそうです。
そして「ふるさとまとめて」の「まとめて」、纏めるという意味は整理したり、折り合いをつけたりして、望ましい形に落着かせる。もう戻る事ない、この土地に「さようなら(自分の意志でなくとも。)」すること。つまり生まれ故郷を捨てること。
私は、この「花いちもんめ」が、わらべうたであるかを疑問をもったりもする。ひょっとしたら、悲しき女性の哀歌ではなかろうか?とさえ思う。汚れた身体と心に、故郷を思いを馳せ。遠くなってしまった故郷が、帰りたくても帰れない気持ちが刹那さとなる。この唄は貧しい時代の隠れた哀しき物語だと思う。
[日本の人身売買]
日本でも古代から最近に至るまで、様々な形で人身売買が行われてきた。「魏志・倭人伝(ギシ・ワジンデン)」の生口(セイコウ)や「古事記」「日本書紀」の奴(ヌ)の記述により、知る事ができる。大化改新の律令文書に、「奴婢(ヌヒ)」の制度に関する規定があり、当時、稲1000束で奴隷を売買した記録が残っている。この奴婢は、荘園(ショウエン)時代には農奴に転化した。戦乱、飢饉、重税に苦しんで逃亡奴隷が続出し、他方では婦女子を略取・誘拐して売り飛ばす人さらいや人買が横行した。また、人身を抵当にして金銭の貸借が行われて、返済できない場合、人質を奴隷化することも生じた。江戸時代になると、幕府は人身売買を禁じたが、年貢上納のための娘の身売りは認め、性奴隷である遊女奉公が広がった。また、前借金に縛られ人身の拘束を受けて労働や家事に従事する年季奉公制度が確立した。明治政府は、1870年(明治3)児童を中国人に売ることを禁止し、72年娼妓(ショウギ)解放令を出すなど、幾度も人身売買に関する禁令を出した。しかし、人身売買的な芸娼妓契約や、養子に仮装した人身売買契約などの形で古い慣行が続けられていた。製糸・紡績業が発達するに伴い、農村の年少女子が、わずかの前借金によって奴隷的状態に置かれ、搾取されるようになった。労働時間は十数時間で、牢獄のような寄宿舎での生活を強制され、逃亡者は残虐なリンチを受けた。過酷な労働・生活条件のため、結核などで病死する女工が続出した。このような状態の女子・年少労働者を保護するため、1911年(明治44)工場法が制定されたが、その効果は容易にはあがらなかった。日本において人身売買が全面的に廃止されたのは、第二次世界大戦後、民主化政策が推進され、国民のなかに人権意識が浸透してからである。日本国憲法は、個人の尊重(13条)、奴隷的拘束および苦役からの自由(18条)を保障している。北海道のたこ部屋、九州炭鉱地の納屋制度、前借付きの年季奉公など、伝統的な奴隷的拘束制度は、労働関係法制の整備や労働組合運動の発展によって解体された。山形県飛島の南京(ナンキン)小僧、山口県大島(屋代(ヤシロ)島)の梶子(カジコ)など、もらい子制度に隠れた人身売買も、児童福祉法(昭和22年法律164号)違反として取り締まられ消滅した。
しかし、売春に関連する人身売買=奴隷的拘束問題は解決困難であり、さまざまな対策が講じられたにもかかわらず、今日まで存続している。1946年(昭和21)占領軍は、公娼制度は民主主義に反するとして「日本に於ける公娼廃止に関する覚書」を発したが、日本政府は次官会議によって、私娼取締りを名目として旧遊廓と公娼制度を「赤線地帯」に温存する方針を決定した。占領軍は、表面では公娼制度を非難しながら、裏面では占領軍将兵のための売春婦を必要としていた。しかし売春防止法(昭和31年法律118号)が、1956年5月公布され、58年4月全面施行されてのち、売春に関係ある人身売買は激減した。警察庁の統計によれば、売春関連人身売買被害者数は、1955年には1万3433人であったが1963年には4503人に減少している。しかし、暴力団関連、外国女子関連の人身売買的売春は、現在でも後を絶っていない。
(SONY/小学館『日本大百科全書』より)
人は何故、生きることの意味を探すのか?
人は何故「悲しみ」という感情を持つのだろうか?
物静かな空間が私を苦しめている。窓の外は、降りしきる雨。
幾人かの人が傘をさし歩く姿を追いながら微かに聞こえる雨の響を追いながら・・・。
解答のでない苛立ちと共に私は、それでも生きることの意味を。
限りある生命(いのち)を人は矛盾と戦いながら、疑問を持ちながら。
それは、恰も雨降る向こうの空に叫びなから、問いかけながら・・・。