ESPAS

    二

 その日の夜、路地裏に二人は来ていた。ほとんど人の通らないような所だが一軒の家の入口がある、飲食店に使われていた様だ。すでに人がいない無人のもののはずで出入り口のドアには金属製の鎖が巻かれていて封鎖されていた。しかしその鎖は今、千切れて地面に落っこちている。鎖の輪の一つが完全に伸び切っているのだ、人間に可能なものではない。

「これがあれば納得できる」

 聖司はしゃがんでその鎖を手に取る。後ろには藍が控えている。

「本部の情報部はすごいものだね」

「イイ仕事をしてる」

 二人は言葉を交わして中に入る。音を立ててドアが開いたが中は薄暗い、電気は当に切れていて月光だけが光源になっている。

 二人は一階を見て回り、誰もいないのを確認する。

「これでいなかったらどうするの?鎖は空き巣だったり」

「こんな所に来る程暇な空き巣はいない」

 自分の短い黒い上着の端を握っている藍に答えて聖司は二階に向う。階段を探して上がっていく。

「誰だ?」

 声を上げたのは聖司でも藍でもない。二階には一人の男がいた。首から下しか見えないが身なりだけ見ると路上生活者にしか見えない。

「あんたが広告主か?」

 男は続ける。光の領域に男の顔が入る。

「あんた、人一人殺してるね」

 藍が言うと男が見るからに動揺した。

「捕まえさせてもらう」

 聖司がコートの裏側に手を入れる。そしてそれが抜かれる前に男が手に平を聖司に向けている。

 男が力む気配がした、聖司の手が抜かれる寸前だがその後ろで藍が男と同じように掌を男に向けていた。男の前の空間に水面の波紋の様な物が浮かんだ。それと同時に藍の前の空間にも同じ物が生まれ、聖司の手が懐から引き抜かれた。

 男が一歩下がる、それは二つの事に驚いたからだ。一つは聖司の手に握られた月光に黒光りする拳銃、もう一つは彼の能力が消滅したからだ。

「何者だ!」

「あんたら専門の警察みたいなもんかな」

 聖司が言いながら顎で藍に合図を送る、藍が頷いて手を小さく握った。すると男の体が何の前触れもなく後ろに吹っ飛び、薄く白濁している窓ガラスに激突する。そしてガラスは窓枠ごと外に落ちて男は建物の中に残った。地面に伏してぴくりとも動かないからおそらく気を失ったのだろう。

「容赦ないな」

 地面にガラスが落ちて割れる音が夜の静けさを破壊する、その音もすぐに納まり静寂が戻る。

「薬打って」

 藍の言葉に聖司が倒れている男に近づく、そして失神しているのを確認してうつ伏せで倒れている男を爪先で引っくり返す。そしてコートの裏のホルダーに拳銃を戻して代わりに直方体の箱を取り出す。そして箱を開けると麻薬のセットみたいに、注射器と薬品が一セット入っている。

 注射器に薬を入れてそれを男の腕に無造作に刺すと薬を打ち込んだ。男が身じろぎするがもう問題はほとんど解決している。

「さて」

 聖司が振り返ると藍が居て、その後ろの階段に男の姿があった。その男は二人の姿を見て一目散に逃げ出した。

「誰かが逃げたぞ!」

 聖司が怒鳴ると藍がすぐに部屋を見渡す。一階に入口がある壁の窓を見つけるとそこに駆け寄り、上段蹴り一発で窓を割る。再び静寂が割れた、そして適当に枠に残ったガラス片も蹴り払うと足をかけて飛び降りる体勢で下を見る。しかしその下にある路地との間には電線が何本も通っていて地面に降りるのは不可能に思えた。藍は舌打ちして身を翻すとすでに聖司が駆け下りた階段を駆け下りる。

 駆け下りた藍は聖司を見つける。階段の前に積み上げられた机や椅子と格闘している。明らかに人為的に作られたバリケードだ。机や椅子はこの建物の一階に残されていたものだった。

「二階に上がって上から相手の顔を見ろ、無理なら無理して降りろ」

 藍はそれを聞いて二階に駆け上がる。

 自分で割った窓に駆け寄り下を見る。一つの人影が走り去っていくところだ。藍は下の電線に意識を集中する、すると電線が何かに押されたようにずれて人一人が十分通れる空間を作る。藍は二階か飛び降りる。

 藍は着地と一緒にクラウチングスタートの状態を作る。普通だったら地面を転がるかして衝撃を逃がすのだが藍にそれは必要ない、一瞬の遅滞も無く走り出す。その速さは人間の物とは思えないほど速い、先に走っていた謎の男とは五十メートル近く差があるがその差は驚くほど早く縮まっていく。

 しかし二人の差が十メートルになった時、男は路地の終わりに到着しそこに走り込んできた急ブレーキをかけた車に飛び乗る。

「待ちなさい!」

 藍が怒鳴るが車は構わず発進した。藍が見えなくなった車目指し速度を上げる。そして路地を出ると走る車に向かって疾走する。車は車道を走っている、藍は人のいない歩道を走っていくがその差が少しずつ狭くなっていく。信じられない事だが藍は車と同等の速さで走っていた。

運転手がそれに気付いたのだろう、車は速度を上げると耳に痛い音を上げながら十字路を曲がる。藍もそれを追って車道を横切ろうとするがそこは青信号を抜けようと車が走っている車道だ。

 藍は車が走っている車道を渡った、しかし地面をではなく空中をだ。地上約六メートルを跳んで約二メートルある車道を二車線ずつ、計四車線の車道を渡った。二階から降りたときと同じような体勢で着地して走り出す。その時の後ろの足が歩道に敷かれたレンガを割る。

 しかし走り出してすぐに藍は止まった。車を見失ったからだ。額から流れる汗を掌で拭きつつ一息付く。一応ナンバーは見た。

 藍が路地裏に戻ると聖司が捕まえた男を表に出していた。男は意識を取り戻している。

「お疲れさん、駄目だった?」

「ナンバーを見た」

 聖司が親指を上に向けて突き出した拳を出してきた。

「こっちも収穫があった」

「何か吐いたの?」

「あれが新聞の掲載者だって」

 藍は見るからに嫌そうな顔をした。

「俺に何をした!」

 男が怒鳴る。

「静かにしてください、近所迷惑ですよ」

 聖司が紳士的に応じる。

「あなたの能力は消しました」

「な、ふざけるな!元に戻せ!」

「うるさい人ですね」

 喚く男を見て聖司は溜息をつき、その額にデコピンを喰らわせる。

「なにしやがる!」

 男が聖司を見る、聖司もその顔を見た。視線が交わる、次の瞬間男が身を強張らせて、糸が切れた様に動かなくなった。

「容赦ないね」

「運ぶのに面倒でしょ」

 額を擦る藍に聖司が言って男を肩まで担ぎ上げる。

「全力で走るところ、誰かに見られたらどうするんだ?」

「その時はその辺りに高速で走る女の霊の話が生まれるだけでしょ」

 藍は上着の端をパタパタさえる、ちらりちらりと聖司が持っていたのと同じ銃が見える。二人は路地を後にする。

「サイレンサー付けるようにしたら?」

「邪魔になるんだよ、一応持っているがな」

 聖司がコートの内側から短い筒を取り出してみせる、それを戻すとなにやらごそごそやり始めた。

「こんなのもあるぞ」

 次に出てきたのはライトアタッチメントモジュールだ。それも特製で赤外線レーザーポインタと小型でも強烈な閃光を放つライトが一緒になっている拳銃用の物だ。

「使わないでしょ」

「一応貰っといたんだ、タダだからな」

「タダだったの!」

「知らないのか、先月の頭にチラシがきてたぞ」

 聖司が不思議そうな顔をした、藍が顔を青ざめさせる。

「何で言ってくれなかったの?」

「いらないんじゃないのか?」

 藍が唸る。タダなら結構欲しかった、装備品は揃えないと気が済まない。

 二人は気絶した男を連れて路上駐車してあった青いクーペに乗る。男は後部座席に乱暴に放り込んだが全く問題ない、その程度の衝撃では起きないからだ。

「支部に連れてってどうするの?」

「記憶を探るべきだが、明日かな?」

 聖司はエンジンをかけながら返答する。支部にそれが出来る人は聖司しかいないので何にしても自分がやるしかないのだ。

「誰もいないよね」

「そうだろうな」

 二人は支部の様子を考えた、そして時計を見る。深夜零時を過ぎておそらく支部には誰もいない。

「メンドクサイな」

「そうだねぇ」

 クーペは夜の街を疾走して支部に向かう、支部は薬品会社に偽装されている。

 途中で藍がスケボーを持って降りた、夜食と明日の朝食を買うためだ。コンビニに入っていくのを見て聖司は車を発進させる。車の中には聖司と男の二人。これからこの男を軟禁する苦労を考えた、それと藍が一緒にこの男の食べ物も買ってくる事を祈った。

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