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 「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。
 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
わたしがあなたと共にいる。
 だから、あなたを襲って危害を加える者はない。
 この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
                       
(使徒18・9-10)

彼はイエスがキリストであることを、聖書に基いて示し、
公然と、ユダヤ人たちを激しい語調で論破したからである。
                       
(使徒18・28)


愛されているときいても、
自分の考え方を、
なかなか変えられないときがあります。

「そんなのは嘘に決まっている。」
「他の人は信じられても、私は信じられない」
色々な反対がきこえてきそうです。

では、
そもそもなぜ信じられないのでしょうか?
それは、
親の価値観であったり、
友達や時代の影響であったりします。

ただ、
私が不安なときにも思いますが
一日
「私はだめな存在だ・・・」と、すごしていたら、
不安はますますたかまっていきます。

もしかして一日でも
「私は大切な存在かも?」
「なんとかなるかも?」と思えるようになったら、
一日で安心する時間というのは、
最初は1分からですが、
10分とか、少しずつ広がっていきます。

最初の目標設定は、ほんのちよっとしたことからです。

今回の実践は

 「自分の思い込みを捨て、
口説かれてみよう、論破されてみよう」
ということです。

 聖書は語っています。
 「彼はイエスがキリストであることを、聖書に基いて示し、
 公然と、ユダヤ人たちを激しい語調で論破したからである。
(使徒18・28)」

論破されたい! とは、
私たちたちはなかなか思わないことです(笑)
けれども、ユダヤ人たちは論破されたのです。
神さまの愛に論破されていたのです!

なぜか?

それは神様の愛が、
あまりにも大きかったからだと思います。
 
恐れて信じるのではありません。
泣きながら、
論破されたと思います。
嬉しくて嬉しくて、論破されたのだと思います(笑)
 
神さまは、もっとあなたに「神さまの愛を知ってほしい」おもうんです。

ゆっくりでいいです。
パウロもクリスチャンになっても、恐れていました。

それは、
クリスチャンだからといって、
完全な存在ではない、ということです。

それは決して恐れてはならない! 
ということではないのです。
しかし少しずつ、
ほら、夜明けが来ています。

 さあ今日から少しずつでいいですから、
 「私は愛されているかも?

 私って価値があるかも?」


最初は「・・・・かも?」からはじめて大丈夫です。