あなたは愛されている! に戻る。
| 今回は、 あなたがたとえ弱くても、 あなたが愛されてることを、学んでいきます! リックウォレン著 『人生を導く5つの目的』を参考にしています。 (※参考にしている書籍です。) 人生を導く5つの目的―自分らしく生きるための40章 1、神は弱い人を好んで用いられる。 God loves to use weak people. 「私たちも弱いものですが…神の力によって、 あなたがたに仕えるためために、神と共に生きていくのです」。 2コリント13:4(CEV) パウロという人は、 初期教会の上で なくてはならない役割をはたした人物です。 キリスト教を、 広く色々な方に紹介したんですね。 キリスト教は、 弱小宗教でした。 たとえでいえば、 一つの町だけで信じられている宗教みたいな、 そんな小さなものだったんです。 けれども、 パウロたちは、イ エス様は救い主だ、と伝えていったのです。 でも パウロはもともとは、 キリスト教を迫害する人物だったのです。 けれども、 神様は「あんたはダメだから、もうどっかいけ」とは言わない方なのです。 神様は弱い人を好んで用いられるのです! 2、神の力に頼む このときに、 弱さに対してどのようにあなたがみるのか、 ということが大切になってきます。 リック・ウォレン牧師は 『人生を導く5つの目的』の35章で、 弱さについて書かれています。 (※参考にしている書籍です。) 人生を導く5つの目的―自分らしく生きるための40章 彼は言います。 「神は、自分の力に頼ろうする人には歓心されません。 むしろ、神は自分の弱さを知り、 その弱さを認めている人の近くにいてくださるのです。 主イエスは、 自分の必要を素直に認める人を「心の貧しい人」 と呼ばれました。 これが、神に祝福される人に見られる、 第一の心の態度です」。358。 大事なアクションの一つは、 神の力に頼む、ということです。 あなたが弱さがある、 というのは偶然ではないのです。 あなたは今まで、 その弱さをなくそうと思い、 トライしたみたかもしれません。 しかし、 自分の力では変えることができなく、 とても苦労されたと思います。 それにきづいたとき、 私たちは神の祝福される一歩になっています。 自分の弱さを認め、そして神に頼んでください。 3、弱さを分かち合う。 Honestly share your weakness 私たちは、自分の弱さを必死に隠したがる傾向があります。 聖書は 綺麗ごとだらけを書かれた書籍ではありません。 人の痛み、弱さ、 失敗、過ちなど、赤裸々に書かれています。 リック・ウォレンの 『人生を導く5つの目的』362頁には、 次のように書いています。 「パウロの書いた手紙を読むと、 彼がいかに正直であったかが分かります。彼は正直に、 ・自分の失敗を分かち合いました: 「良いことをしたいという願いはあるのに、それができずに います。また間違ったことをしないように努めているのですが、 それをしてしまうのです。」 ・自分の気持ちを分かち合いました。 :「私は自分の気持ちを包み隠すことなく、なたがたに打ち明けました。」 ・自分の要求不満を分かち合いました。 :「私たちは押し潰され、完全に圧倒されてしまいました。 そしてもう助からないと思ったのです。」 ・自分の恐れを分かち合いました。 :「私があなたがたのところに行った時、私は弱く、恐れおののき、震えて いました」 どうでしたか? パウロがいかに、 自分の気持ちを伝えているのか、 私たちはびっくりします。 4、神はあなたの弱さを用いられる。 私はいつもいっていました。 「こんな私でごめんね」 「あなたの役に立たないできそこないで、ごめんね」。。。 しかし、イエス・キリストとであったからは、 「こんな私でも、神様に愛されている」 「あなたの役にたてることができる。 私が私としていきていいんだ」という安心感が広がりました。 私がどれだけうれしかったか。 私は、どれだけ救われたのか。 私は自殺から救われたのです。 けれども、どうしようもないんです。 自分の弱さを受け止めて。 私は大きな安心をもっているんですよ。 こんな私でも 愛されているんだって! やってみましょう! ・あなたは瞬間的に、 自分はふさわしくないと思いませんでしたか? どうしてそのように思ったのでしょうか? 育った環境、親の価値観、 友人の価値観に影響されているかもしれませんし、 もともともっていた、性格かもしれません。 もしかすると、虐待をうけてきた。親から、拒否され続けていきてきた。 様々なことすがあったかもしれません。 こんな私でも、人生はやり直せますか? はい。 私自身も、 自殺願望に支配されて、 高校生のときに、 その恐怖で支配されていました。 しかし、 今は少しずつですが、 回復途中にあります。 何が原因だったのですか? それは、 イエスキリストにただ、無償に、 私が愛されていることを知ったからです。 今までは、自分の価値観を見失っていましたが、 今は自分はどのような存在なのか、 少しずつわかってきました。 |