「いつか」

 尚敬高校校門を、大柄な男が駆け抜ける。
 若宮康光、職業スカウト。いつも元気な、悪く言えばそれしか取り柄のない男だ。
 同高校廊下を、若い女が歩いている。
 芳野春香、国語教師。寝起きが悪く、常に目覚ましを11個使っているという女。

 芳野が歩く側を、若宮が通り過ぎた。芳野に気づき、くるっときびすを返す若宮。
「おはようございます!・・・どうかなさいましたか?」
 意気揚々とした若宮と対照的に、芳野の顔色は冴えなかった。
「あ、若宮くん。先生ね、今日も頭いたいの。ごめんね。お話できないわ」
 弱々しく囁く芳野。今にも倒れそうだ。
「それはいけませんね。どれ」
 若宮は芳野の額に手を当てた。
「熱はないようですが自分の手は熱いとよく言われますのでアテになりませんな。・・・失礼」
 言うが早いか、自分の額を芳野の額に付ける。
「ちょ、ちょっと若宮くん!」
 芳野の顔が朱に染まる。
「ううむ、ビミョーに熱いような。風邪かもしれません。休まれた方が良いでしょう」
 自分の行為のせいだとは気づいていない若宮は、体を起こすと芳野の体を軽々と抱き上げた。
「きゃ、何するの!降ろしてちょうだい!」
 顔を真っ赤にした芳野が若宮の腕の中で暴れる。しかし、若宮は意に介さない。
「何って、整備員詰め所までお連れしようと思っているのですが。あそこなら薬もありますし、布団で休んでいただけますので」
 そう言うと若宮はすたすたと歩き出した。芳野はまだ暴れている。恥ずかしさで泣きそうな顔である。
「いいの、ほっといて!どうせだめになったって、新しい人が来るんだから。私の体なんかに、気を使わないでちょうだい!」
 若宮は足を止めると、芳野の涙目を見つめた。いつになく真剣な表情だ。
「はい、芳野先生、いいえ。それは、違います。そりゃ自分もたまにそう思うときもあります。スカウトですから、だめになったら即取り替え、でしょう。そんな仕事を真剣にやる必要があるのか、とも思います」
 若宮の瞳が暗く翳る。が、次の瞬間、影は消え、いつもの明るい眼に戻った。前方を挑みかかるように見ている。
「ですが、自分がしゃんとしておれば、助かる命もある。自分はこれ以上隊員を死なせたくありません。だったら、どうすべきか。自信を持てばいいんです。自分の場合、スカウトは戦車を守り、指揮車を守り、ひいては熊本、日本国民を守っている。そう思い込むようにしています。それができれば、おのずと自信と誇りを持てます。そして、その自信に見合う力量をつけるように努力するんです」
 真剣な眼差しが再び芳野に注がれた。優しい眼だと芳野は思った。
「芳野先生も同じです。先生の教えられた事は、隊員の血肉になっています。先生の教え方が良かったんです。他の誰かのじゃありません。そのことに自信を持って下さい。先生が自信を持たないで、どうして生徒が自信を持てるんですか」
 ここまで喋った若宮、ふう、と息をつき、天を仰ぐ。
「久々に真面目なことを喋ったので脳が疲れました。・・・何がそんなにおかしいんですか?」
 確かに、若宮に抱えられてさっきまで半泣きだった芳野がくすくす笑っている。
「だって。若宮くんのしゃべり方、坂上先生そっくりなんですもの。軍人さんって、そういう所も似るのね。おかしい」
 けらけら笑う芳野。若宮は似てると言われた事にちょっと納得いかない様子だが、にこっと笑った。
「拙い話でしたが、元気になられたようですな」
「ええ、とっても面白かったわ」
 芳野はまだ笑っていた。

 整備員詰め所。この部屋はいつでも少し薄暗い。仮眠を取るには絶好の場所と言えるだろう。芳野をそっと布団に降ろす若宮。
「大丈夫そうですが、一応休んで下さい。後で石津に頼んで薬を出させます。お大事に」
 詰め所を出ようとする若宮の背中に、半身を起こした芳野が声を掛ける。
「ねえ、若宮くん。この戦争が終わったら、あなたどうするの?」
 若宮は振り返った。
「終わったら、ですか。善行司令とは清掃会社を作る約束をしていますが、実現するかどうか。いろいろとやってみたい事はあるんですが」
「そう。・・・先生はね、いつかまた会いたいな。みんなと・・・あなたと」
 自分の言ったことに思わず照れる芳野。若宮もそんな芳野を見て照れる。二人とも顔が真っ赤だ。
「あー、そうですね。でもたぶん、自分を見て驚かれると思いますよ。では!」
 こういう雰囲気には慣れていないのだろう。若宮は早口にそう言うと、片手を上げて敬礼してから部屋を出た。部屋の外から、ガラガラガシャンと何かが崩れる音がする。どうやら若宮が何かにぶつかったようだ。
 ちょっと驚いた芳野だったが、くすっと笑うと布団に横たわって瞼を閉じた。
 いつか来る再会の時、そしてそこで出会うはずの少し老けた若宮を思うかのように。
 (おばさんだけどいいですか、なんちゃって・・・)
 ふと口に出し、寝返りを打つ。
 そうして、彼の待つ青い眠りの中に、ゆっくりと落ちていった。

                                 END
  

目次へ戻ります