「そはかそけききみのこえ 2」(「そはかそけききみのこえ 1」)


「ただいま帰りました」
「おかえりなさい」
 昨日と同じやりとり。それぞれの台詞が違っているだけだ。これからずっとこの挨拶を交わすのかと思うと、少しげんなりする。
「どうしました?」
 玄関の扉を閉めた後、私が部屋に入ってこないのを不審に思ったのであろう。壱型が台所から出てきた。
「なんなんですか、それは」
「・・・家庭料理を作る際の正式な服装ですが」
 壱型は、割烹着を着ていた。それも妙に似合っているから、たちが悪い。
「今日は準竜師のお呼びも掛からなかったもので、少し手の込んだ物を作ってみました」
 壱型は少しうきうきとした様子で台所に戻っていった。壱型に料理が出来るとは思わなかった。
 というか、私は出来ない。断言しても良い。故に双子とも言える彼も出来ないと思いこんでいたのだが。
「疲れていなければ、少し手伝って頂けますか?」
 壱型がコンロの前に立って言った。本人は料理で手が離せないらしい。私は黙って食器棚の中から茶碗を取り出した。
「お皿は何枚ですか?」
「大皿を一枚、深皿を2枚お願いします。ついでに茶椀も」
 言われたとおりのものを出し、テーブルに並べる。ふと見ると壱型は手慣れた調子でフライパンを振っていた。どんなものを作っているのだろう。興味が涌いた。
「それは?」
「ただのジャーマン・オムレツですよ」
「じゃーまん・・・?」
「ジャガイモと卵のオムレツです」
「ほう・・・」
「気が散ります。危ないからあっちへ行って下さい」
 私は忠告に従って少し離れた所へ行き、彼の手つきを見守った。片手でフライパンの中のものをひっくり返し、そのままもう片方の手に持った大皿の上へと滑らせる。ほかほかと湯気が立って、とても美味しそうだ。
 壱型は大皿をテーブルに戻すと、コンロに掛かっていた鍋のフタを開けて軽くかき回した。何とも言えないいい匂いがする。深皿にその中身を注いだ。
 二つの深皿になみなみと満たされた、褐色のどろりとした液体。
 食欲をそそる匂いがなければ、ちょっと遠慮したいシロモノかもしれない。
「総合的に見て・・・料理の腕は確かなようですね」
 ふと呟く。と、腹の虫が鳴き出した。

「さて、今日の出来事は?」
 洗い物を終えた壱型が私の顔を見て言った。
「特に・・・これと言って」
「本田先生の格好は、どうでしたか?」
「はあ・・・派手、でした」
 そうとしか言いようがない。アレを他に何と呼べばよいのか、私には見当も付かなかった。
「そうでしたか。いい先生でしょう?」
 壱型がにこっと笑って言った。春香とのいい雰囲気をぶち壊したとは、とても言えない。何故だろう。春香の事は私だけの秘密にしておきたかった。だから、
「ええ、そうですね」
 と言って笑う事にした。
「ところで、芳野先生ですが」
 私の答えを聞いてうんうんと頷いていた壱型が少し怪訝な顔をした。
「彼女は、一体どういう素性の人なんですか?」
 すると彼はあからさまに眉をひそめた。
「あなた、昨晩の私の説明を聞いていませんでしたね?」
「すいません」
「まあいい。もう一度説明しましょう」
 そう言うと彼はあの書類をもう一度広げた。
「この履歴書によれば、彼女は成体型年齢固定クローンだそうです。私達と若宮康光という後から来る予定の生徒も、そのカテゴリに入ります。1998年6月生まれという事ですから、出来てからまだ一年も経っていません。だから、少し不安定です。本来なら生後6ヶ月の時点でテストがあり、それに合格した者が6ヶ月の基礎訓練を受けることになるのですが・・・この状況ですから、そんなに贅沢は言っていられません。たぶん彼女はテストの時期が早かったのか、訓練が短かったのか、そのどちらかでしょう」
「それは、どういう意味ですか?」
 壱型は少し困った顔をした。
「テストの時期が早いということは、体機能が完全ではない時にテストしたという事です。それでいてテストに受かっているということは、基準が甘かったのかもしれません」
「それで?」
「基準が通常時より下回っていたのだとすれば、その後の訓練の効果も出にくい。訓練が短かったのだとしても、同じ事が言えます」
「つまりは・・・」
「ええ。あなたが何と言おうと、彼女は粗製濫造の急造品なのです」
 何度聞いてもこの台詞には慣れない。人間をモノとして扱うその傲慢さに我慢ならなかった。しかし、ここでまた席を立っても彼女の事を理解する足しにはならない。私はそう判断して、質問を続けた。
「彼女の・・・その、もとは?」
「もと?」
「ええ・・・私がコピーであるなら、もとの『坂上久臣』がいるはずです。そう言う意味でのもとは、誰ですか?」
「残念ながら、それに関しては記載されていません。記録には『第37クローン研究所』生まれだとあります。・・・そういえば、あなたと初めてあったのもそこでしたね。とすると、あなたと彼女は同じ培養液で育ったわけだ」
 やはり彼女は他人のそら似などではなく、私の見せられた『芳野春香』のクローンなのだろう。
 やはり彼女は私の前にぶら下げられた餌なのだ。
 私に芝村勝吏の命令を聞かせるための餌。私が命令に背けば、きっと処分されるだろう。・・・私の目の前で。
 クローンなのだ、あれは春香ではなく他人なのだと思いこめれば良いのかもしれない。だが、どうあがいても私の心はあれを『芳野春香』だと認識してしまう。
 私の、負けだ。
 私は思わず苦笑を洩らした。
「どうしました?」
 壱型が心配そうに聞いた。そう言えば私もこの男のスペアなのかもしれない。彼女と私は、立場的にそう変わりないのだ。
「いいえ、何でも」
 私はそう言うと、不意に話題を変えた。
「ときに、まだ書類を見せて貰っていない生徒がいるようですが?」
「ああ、速水厚志ですね」
「名前は判っているのですか」
「一応、書類は来ていますが、写真がないんです」
「それは・・・おかしいですね。軍の公文書ですから、写真貼付が原則です。絶対といってもいい。それがないのは、おかしすぎる」
 小さな不安が私の胸を刺した。ごく小さな、針のような疑惑が。
「はあ。そこまで懐疑的にならなくても良いと思いますが、まあそういう理由からお見せしてなかったんです。見ますか?」
「ええ、是非」
 壱型は封筒から書類を取り出した。写真は確かに添えられていない。
「速水厚志。・・・これといっておかしな内容ではありませんが」
 ざっと目を通した壱型が言った。私は彼の手から書類を受け取り、自分の目でそれを確かめた。
「・・・両親は既に死亡しているにも関わらず、一軒家住まいですか。・・・おかしくありませんか?」
「は?」
「寮に入らなかったのは何故でしょう」
「他人と暮らすのが苦手なのかもしれませんよ」
「・・・私はまた考えすぎているんでしょうね」
 私は軽くため息をついた。
「この速水という少年には、どこかしら怪しいひっかかりを感じます。何故写真がないのか。何故寮ではなく一人暮らし・・・しかも一軒家住まいをしているのか」
 壱型が反論しようと口を開くが、私はそれを手で制した。
「いや、あなたが言いたいことは判っています。私は心配性過ぎる。でも・・・どことなくきな臭い。何か私達の知らない所で動いているような・・・そんな気配がします」
 私の言葉を聞いて壱型は笑った。嫌味な笑みでも苦笑でもなく、にっこりと。
「私は、その速水という少年が何者であってもいいと思っていますよ。そう、もしかしたら彼こそ私が待ち望んでいる者なのかもしれない。世界をひっくり返す英雄になれるかもしれません。・・・だから、私は彼が誰だろうと構わないんです」
 壱型は立ち上がると寝室へ向かった。(ちなみに寝室は別である。当然だが)その途中、ふと立ち止まるとタンスから何かを取り出した。私の前に戻ってきて、それをテーブルに置く。
 見ると、青くぷよぷよしたプログラムセルと、サングラスだった。
「これは?」
 壱型の意図を計りかねて、私は彼を見上げた。壱型はそれぞれを指さし、私に指示した。
「これは、あるプログラムのセルです。多目的結晶体に入れて置いて下さい。それと、このサングラスもいつも掛けておくように。両方とも必要なものですので」
 壱型はそう言うと、寝室へと消えた。
 私は彼の指示に従おうかどうしようか、迷った。
 怪しいプログラムセルと怪しいサングラス。いや、サングラスは私が今掛けているものと全く同じタイプのものだ。あえて言うなら、蔓が少し太い。
 考えていても仕方ない。彼の言うことを聞いておくべきだろう。
 私は二つを手に取ると、自分の寝室へ向かった。

                        つづく

 

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