幸いの字架

「全部が不幸よりも、不幸中の幸いならあったほうがいいに決まってるやん」
 心の中で繰り返す。
「そうや、絶対そうやねんから」

 日々、増える仕事。いくら物資を頼んでも、追いつかない。
 壊れていく戦車。
 壊れていくウォードレス。
 壊れていく、熊本・・・日本。
「ちょっとくらいかまいませんやん。ほな、あんじょう頼んますー」
 そう言って、物資の依頼先との通信を一方的に切断する。愛想だけがとりえではないけれど、事務官にとっては必要な技能の一つだ。
「今日も今日とてつれない返事、ですか?」
 斜め横のデスクから声が聞こえた。善行司令である。
「いややわ、聞いてはったんですか?」
「すいませんね。いつもあなたには苦労を掛ける」
 善行がメガネを押し上げつつ言った。
「何言うてますのん。ゴネる向こうさんをなだめすかして頼み込むんは、司令の得意技ですやんか。それを見習っただけですわ」
 冗談めかして答える。
「それに、どうにかして送ってもらうのが、うちの仕事です」
 それが、私がここにいる理由。理由がなければ、ここにはいられない私。
「そうですか。・・・ところで、お時間の方はよろしいのですか?」
 言われて、慌てて結晶体を確かめた。終業時刻を数分過ぎている。
「あ、そろそろですね。ほな、お先に失礼します」
 私は善行司令にぺこりと頭を下げると、小隊長室を飛び出した。

『不幸中の幸いです』
 医者が言った。
 狩谷が線路に落ちて重傷を負った日、クラスメイトだからという理由で救急車に乗り込み、病院の処置が終わった後に聞いた言葉。
 自分の行為が、こんな結果を生むとは思ってもみなかった。
 狩谷が電車に轢かれながらも命に別状がないと判った時の、主治医の言葉。
『もうすぐ意識も戻るでしょう。しかし・・・』
 言葉を濁す。後に続くのは、意識の戻った狩谷に宣告しなければならない、悲しい事実。
 果たして、そのまま死んだ方が良かったのか、半身不随になりながらも生き永らえた方が良かったのか。
 もし狩谷に聞いたら、何と答えるだろう。
 どちらも、彼が答えそうな台詞ではある。
 でも、私には判る。
 彼が、本当は生きていたい事。でも、それと同時に、死んでしまいたい程辛い事も。
 だから私は・・・。

「なっちゃん!」
 狩谷がハンガーの入り口で待っていた。
「今終わったとこ?」
「ああ」
 そっけない返事が返って来た。ふと思い立って、彼の手を取ってみる。
「うわ、めっちゃ冷えてるやん!もしかして、待っててくれたん?」
 少し赤くなった彼が慌ててふりほどく。
「いいだろ別に。僕の自由だ」
 ふてくされたような顔で、ぷいと横を向いた。私は中腰になり、彼の顔をのぞき込んで言う。
「お腹、空いてへん?暖かいもんでも食べに行こか」
 車椅子を押しながら、今日あった面白い事やクラスメイトのあれこれを話す。私が喋っているうちに、彼の方も乗ってきて、次第に饒舌になった。
「それでさ、僕の顔を見て、坂上先生何て言ったと思う?」
 私は彼の嬉しそうな声に相槌を打ちながら、心の中で呟く。
――こうしていられるのも、彼が私のしたことを知らないから。
 言わなければと、思ってはいた。だが、今の状況の暖かさから抜け出せないのも事実。
 たまに見る狩谷の笑顔。段々と棘の抜けてきたそれを見ることが、生き甲斐になりつつあった。
――もし、私の行為を彼が知ったら、もう側にはいられない。
 澄み切った夜空を見上げ、天にしろしめすという誰かに尋ねる。
――もう少し、言わないでいても、いいですか?彼に知られていない事を、幸せだと思っていていいですか?
「おい、加藤!聞いてるのか?」
「え?あ、うん。・・・ごめん」
「もう、何ぼーっとしてるんだよ。ここからが面白いところなのに」
「うん・・・。不幸中の幸いって、あったほうがいいのかな、って・・・」
「変な奴だな」

 不幸中の幸いは、あった方がいいに決まってる。
 そう。
 そうに決まってる・・・。
 だけど、狩谷の背中を見るたびに、私は彼に背負わせてしまった十字架を思う。
『不幸中の幸い』という名の十字架を。
――私が出来る事は何でもします。だから、今一緒にいられる事を幸せだと思っていてもいいですか?
 誰かにまた尋ねる。

 もちろん、答えはない。
 車椅子の軋る音だけが、夜の闇に響いて、消えた。
                          おわり  


2001.10.1

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