| 「三月四日、朝」 僕は、蒼い簡易服を着たまま歩いていた。 ――早く着替えたいな。 心の中で呟く。例えこの姿を誰かに見られたとしても、「あそこ」の連中が追いかけてくることはありえない。ただ、嫌な思い出が詰まったこの服を、脱ぎ捨てたかったのだ。 時は春。三月四日。 僕は、今まで居た研究所から逃げ出した。研究所員すべてを始末して。ついでに火も点けておいたから、僕の消息が知られる事はまずないだろう。 研究所を出て、どれぐらい歩いただろう。気がつくと、住宅地に入り込んでいた。 どこかに洗濯物でも出ていれば拝借して着替えるのだが、残念ながら早朝なので家々はカーテンすら閉め切って眠りに就いている。 それでも僕は住宅地の中をぐるぐると歩き回る。 失った過去。両親との思い出。 甘やかな記憶を手繰るように。 がちゃっ。 突然の音に総毛立つ。発生源らしき方向を見ると、僕と同じ年くらいの少年が玄関の扉を開けて出たところだった。身支度を済ませている所から推測すると、彼は今から出かけるようだ。 ふと、目が合う。 僕はみんなを虜にした微笑みを浮かべ、彼に声を掛けた。 「おはよう。あの、ここどこかな?」 「へえ、大変だねぇ」 彼は何の疑問もなく、僕の「怪我で入院していたが、そこが幻獣の攻撃を受けて居られなくなり、徒歩で帰宅するところだ」という説明を受け入れた。そして今、大通りへ出る道に案内して貰っている所。 「うん。でも、君みたいにいい人に会えて良かった」 にっこり。 彼は頬を染めて俯く。ちょろいね。 「君は?今から何処へ行くの?」 小首を傾げて、彼に尋ねる。媚びた姿態は誰に教わった訳でもなく、自然に身に付いたものだ。ある意味、これがなければ僕は生きてはいられなかっただろう。 「今日から学校が始まるんだ。戦車学校。知ってる?」 僕は首を横に振って、話の続きを促した。 「両親が死んで、就職しなきゃいけなくなってさ。でも、僕みたいな年頃じゃ誰も雇ってくれないだろう?だから、給料が貰えて勉強も出来る戦車学校に進学したんだ」 「ご両親、亡くなったの?」 「うん。こないだ。こっちに疎開する事になってたんだけど、輸送列車が襲撃されちゃって。僕だけ運良く生き残ったんだ」 「親戚とかは?」 「いない。誰かいれば、つてを辿って世話になる事も出来たんだろうけど。だから僕は天涯孤独ってわけ」 彼はそう言うと頭を反らせて軽く笑った。僕には、それが彼の泣き声に聞こえた。 「寂しかったろうね」 ぼそりと僕が呟く。と、彼は急に涙をこぼした。慌てて手の甲でそれを拭う。 「へへ、おかしいな。こっちに来てからずっと泣かなかったのに。なんでだろう。君がいるから、かな」 僕はもう一度、にこっと笑った。 「好きなだけ、泣いていいよ」 彼の顔がくしゃくしゃになる。僕は、彼が堰を切ったように泣き出すのを、黙って見ていた。 何故こんなに簡単に心の中を吐き出せるのだろう。 通りがかった公園のベンチに並んで座り、僕は彼が泣くのを眺めていた。 これが人間らしい姿、なのかな? だとしたら、僕は人間じゃないね。 僕は物心つくかつかないかの頃から研究所に居た。割合はっきり覚えているのは、幼なじみの女の子が「男の子はお嫁さんになれない」と言っている姿。両親の顔は既に朧気になってしまった。 抱きしめられた暖かな胸と繋がれた大きな手を覚えているだけ。 僕は小さな頃から「実験動物」だった。 白い服を着たオトナ達が僕に色んな注射を打つ。 『いやだ、いやだ』 そう言って拒否しても、殴られねじ伏せられて、投薬された。 その後は、高熱にうなされたり、意識がもうろうとなったり、色々。 自分でも、よく今まで生きていたものだと思う。 成長するにつれ、オトナ達の目つきが「動物」を見るものから、何か別のものを見るものに変わった。 今にして思えば、僕は彼らの加虐的性嗜好を煽っていたのだろう。そしてなおかつ、顔面の構成が一般的水準から行くと高かった・・・すなわち、美少年に成長したから。 美しいものの内面が腐っているとは誰も思わない。 研究所員は多かれ少なかれ、僕に何かを求めていたし、僕の媚びを喜んで受け入れた。 それが彼らの失敗の元だったのだけれど。 今朝・・・いや、昨晩の事を思い出す。 誑かした女性職員の手から鍵束を奪い、彼女の胸ポケットにあったボールペンをうなじに突き刺す。 薬品室に潜り込み、劇薬を入手。屋上に上がってそれを貯水槽にぶちまける。 警備員詰め所では同じく薬品室で入手したクロロホルムを撒き前後不覚にしてから、彼らの所持していた拳銃で一人一人を撃ち殺す。 リネン室から一番燃えやすそうなシーツを持ち出して警備室から持ってきたライターで火を点ける。 スプリンクラーが稼働するのも計算の内。だって、そうでなきゃ貯水槽に薬品を入れた意味がない。火はいろんな所に点けておいたから、スプリンクラーもそれぞれの区域で作動するだろう。猛毒の液を撒き散らし、研究室に残っていた奴らを仕留めた筈だ。 全ての行為が終わった後、僕は少し離れた所から研究所が燃え上がるのを鑑賞した。 僕の頸城はこうして燃え崩れたのだ。 意識を現実に戻し、まだ泣いている彼を見る。 自分の悲しみ溺れ僕が見えていない少年。 「・・・ごめん」 ようやく泣き止んだ彼が、僕に謝る。何故だろう。よくわからない。 「いいよ。それより、顔洗っておいでよ。僕もついてったげるから」 僕はそう言うと彼を促し、公園の公衆トイレに向かった。 彼が手洗い場で顔を洗う。僕は後ろでそれを見ている。 「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったね」 僕が後ろから声を掛けると、少し顔を上げて彼は答えた。 「はやみあつし。速い水にぶ厚いこころざしって書いて、速水厚志って言うんだ。君は?」 「名前はないよ。そう、しいて言うなら、『キイクニ』、かな?」 「え?」 厚志が驚いて振り向く。僕はその喉に指を巻き付ける。 「ちょ・・・なにを・・・」 もがく彼に構わず、指先に力を込める。 「僕の名前、忘れてって言っても無理だろうから、ここで死んでもらうね」 厚志の顔がだんだん紫色になる。酸欠状態の兆候だ。 その途端、ぐじゃ、っと音を立てて喉仏が潰れた。 完全に絶命したようだ。 僕は慎重に彼の身体を横たえ、服を脱がせた。そして、僕の服と交換する。 「うん、完璧」 鏡に映し確認する。前髪がハネていたので、水を付けて整えた。 「さて、どうしようかな」 床に転がった死体を見て考え、閃いた。外のゴミ箱から白いビニール袋、ついでに手頃な大きさの石を拾って来た。 トイレに戻ってゴミ袋を死体の顔に被せた。そして、その上から顔めがけて石を振り下ろす。 白い袋がピンク色に染まる。 まるで、柘榴か西瓜を中に入れて潰しているかのようだ。 ――確か、桜色って言うんだっけ。 そんな事を考えながら、僕は石を振り下ろし続けた。 僕はまた住宅地の道を歩いている。 今度は、行き先が決まっている。 何て言ったっけ。あの戦車学校へ行こう。 何かが待っている。そんな気がするから。 少し歩くと、バス停を見つけた。路線図を確認して、目的地を経由している事を知った。よし、これに乗ろう。 だけど、バス代が無い。 「誰かいないかな?」 きょろきょろと辺りを見回す。どこかに獲物はいないかな? 「どうかしたかい?」 ふいに声を掛けられてぎょっとする。大人の声は、まだ怖い。僕に気配を感じさせずに近寄った事も、恐怖を感じた理由の一つだ。 「驚かせたようですまない。きょろきょろしているから、どうしたのかと思ってね」 その大人は朝日を背に立っていた。眩しくて、顔が見えない。 「あの、バス代が無くて」 不意を付かれた僕は、思わず素直に答える。そんな暇があるなら、飛びかかってどうにかして殺せば良かった。答えてから後悔した。 「その制服は、戦車学校のだね。今から登校するのにお金が無くては大変だね」 そう言って、手をポケットに入れた。握りしめた拳を出す。僕は慌てて身構えた。 「はい、これを使いなさい」 僕の目の前で彼は拳を開いて見せた。その手には3枚の紙幣。 「え?」 僕は呆気にとられた。なんでこの人は見ず知らずの僕にお金を渡そうとするんだ。 ああ、いつものパターンかな? 「あの、僕、何をすればいいですか?」 見返りを求めているのだろうと判断して、尋ねる。大体に於いて大人が厚意を見せる時は、無償なんてことはないから。 すると彼は戸惑った様子で答えた。 「何もしなくていいよ。・・・がんばりなさい」 唇の端で少し笑い、立ち去り際に僕の頭をそっと撫でた。 僕は、何も答えられず、黙って彼が行くのを見ていた。 何故だ。 頭の中でぐるぐると疑問が回る。 何故、あの人は僕に親切にしてくれたんだ。 今までにいなかった人間。 ああいう人の事を、やさしい人って言うのかな。 もしかしたら、僕が殺した人たちも、やさしかったのかな。 殺さなければ、やさしくしてもらえたのかな。 バスに乗り、外を眺める。 窓の外を流れる景色。小さな家のひとつひとつに、やさしい人たちが住んでいるのだろうか。 今から行く学校にも、やさしい人はいるんだろうか。 こんな僕にも、やさしくしてくれる人はいるんだろうか。 もしいたら、僕はその人だけは殺さない。 きっと僕も、少なくともその人にだけはやさしい人になろう。 そうすれば、少しは何かが変わるはずだから。 もうすぐ、尚敬高校前・・・。今まで感じた事のないどきどきが胸に溢れた。
2001.10.19up |