「勝吏の恋」後編〜愛の降下作戦〜

「ねーちゃん、電話」
 早朝、田辺の自宅である。ヨーコとの訓練のお陰か、田辺は熟睡していた。弟に揺さぶられ、嫌々ながら布団に起きあがる。
「ふわぁ、誰からぁ」
「ええっと、くまもとかいよーこーこーせーとかいの、さらさ副官、だって」
 急激に意識がはっきりする。熊本開陽高校って言ったら・・・。
 田辺は電話に駆け寄った。ちなみに田辺の家の電話は、昔懐かしい黒電話である。
「すすす、すいません。お待たせ致しました。田辺真紀上級万翼長ですっ」
「おはようございます。芝村準竜師がお呼びです。お宅に車を回しますので、十分で準備して下さい」
「はっ」
 電話が切れてから、少し悩む。準竜師が一体何の用なんだろう。
 昨日の怒りが消えた訳ではなかった。しかし、それよりも当惑の方が勝っていたと言えよう。怒りは、理由を知りたいという好奇心に負けた。
「ねーちゃん、急がなくていいのか?」
 弟の言葉でまた我に返る。
「あ、あと八分しかないっ!」
「まったくもう・・・」
 ばたばたと準備を始める田辺を見て、弟は一つため息をついた。

「突然呼んだのは、他でもない。お前に無茶な頼みがある」
 開陽高校にある生徒会連合参謀長執務室で、髪を掻き上げながら準竜師は言った。
――格好つけてるつもりなんでしょうか。
 口にこそ出さないが、田辺は心の中でそう呟いた。
「田辺上級万翼長。返事はどうした」
「はっ!」
「・・・よし。猫一匹と少女が一人、敵支配地域で孤立している。いや、そうなる予定だ」
 準竜師は田辺の返事を承諾と取ったのだろう。依頼内容を話し始めた。
――あ、あの私まだ答えてませんけど・・・。
「貴様の目的は、これらを救出することにある」
 準竜師にひたっと見つめられると、田辺はやっぱり何も言えなかった。
「はっ」
 条件反射的に答える。準竜師は軽く頷くと手元の資料を見た。
「・・・お前は、降下作戦が出来たな」
「降下作戦、ですか?」
 自慢じゃないが、田辺はそんな事をする自信はまったくない。
「手持ちの資料には、技能資格があるとある」
「はぁ」
「ふ。ここ最近、誰か変わった奴と訓練したであろう。たぶん、そのせいだ」
 少し笑って言う。
「納得がいったか。・・・ 作戦開始は、今晩。0000時。単独降下してもらいたい。敵を全滅させろ。敵の規模は不明だが、スキュラは覚悟しておけ。・・・何か質問は?」
 ここまで一息に喋った準竜師が、また田辺を見て言った。
 自信はないけど、準竜師の命令では仕方ない。そう思い答える。
「了解しました」
 田辺の答えを聞いて、準竜師は少し眉を寄せた。
「・・・」
 そして、彼女の顔から目を逸らす。まるで、田辺の顔を見ていると話す事ができない内容であるかのように。
「外交官だ。幻獣と、人間のな。場合により、停戦が実現するかもしれん。お前が倒す敵の幻獣は、その和平に反対する幻獣の強行派だ。本来は我らが直接交渉するべきだが、連中と話すには、才能がいる。・・・純粋な心でないといかんと、そう言ってたな。まあ、どちらでもいい。人間の方にも、和平に反対する奴は居る。お前の目的は秘密裏に敵を全滅させる。以上だ。分かったな。よし、さっそく準備しておけ」

 田辺はその日、授業も手に付かない有様だった。
 当然とも言える。突然の呼び出し。そして秘密指令。
「はあ。勉強できそうにありません。・・・ハンガーで仕事でもしましょう」
 そう呟いて席を立った。
 ハンガーで仕事を始めた。平均より少し落ちている項目を選び、ファジーを選択する。
「そうそう、装備も替えておかないと」
 仕事が一段落したようだった。装備品を選び直す。
「ええと、バズーカ2本に、72mmライフルと弾薬いっぱい・・・。一応、ウォードレスの装備も替えて・・・と。あ、スカウト用ウォードレス余ってる。・・・今日の仕事、ちょっと危なそうだから、着ちゃおうかな。・・・よし、後ろにロケット付けて、煙幕手榴弾とカトラスと・・・」
 全ての装備を終えて、田辺がにっこり笑った。
「よーし!出来た!」

――そろそろ、集合場所に行きましょうか。
 深夜。準竜師に指定された場所からヘリコプターに乗り込む。
 機内にはいつもの白くて長いだぶだぶとした制服を着た準竜師とお付きの副官が先に乗り込んでいた。
「こ、こんばんは」
 沈黙した機内に田辺の少しまぬけな挨拶が響く。
 しばらく飛行を続けた後、準竜師がパイロットに指令を出した。
「ヘリの高度を落とせ」
 田辺の前に地図を広げ、降下位置を指定する。
「降下の際は俺が誘導する。・・・ふっ、安心しろ。技能はそこそこだ。誘導以外もな」
 田辺の表情が少し不安げに見えたのだろう。準竜師はいつもの笑みを見せ、言った。
「いいか、必ず敵を全滅させる。降下用意。5、4、3、2・・・、1、0・・・ハッチダウン。GO!」

 準竜師の号令でヘリ下部のハッチが開き、士魂号が投下された。続いて乗降口からパラシュートを付けた田辺も飛び出す。
 パラシュートが白い花のように咲いたのを見届けてから、準竜師は首元のホックを外した。
「勝吏様」
 更紗が呼びかける。
「黙れ。今夜は、俺の好きにする」
「・・・はい」
「お前はヘリで俺達を誘導しろ。それぐらいの技能は持っているだろうな」
「・・・はっ。ご無事をお祈りします」
「ふ。俺はそうそうくたばらんよ」
 そう言い残し、制服を脱ぎウォードレス姿になった準竜師は田辺の後を追ってヘリから飛び降りた。

 一方その頃田辺は着地し、パラシュートを外していた。近くに落下した士魂号のコクピットを開いて乗り込む。いつものように多目的結晶を士魂号の神経系へ接続し、網膜に映る敵影を数えた。
「スキュラ10。ミノタウロス10。その他20以上」
 ヘッドセットのスピーカーから更紗の声がした。
「スキュラから落とします。バズーカ準備」
「田辺上級万翼長、バズーカはありません」
「えっ!?」
 田辺が慌てて装備を確認する。ハンガーで準備したものとはがらりと異なり、接近戦仕様になっている。
「前もってお知らせするべきでした。この作戦は秘密裏に行う必要があるため、爆音の激しいバズーカ等は装備から外しました」
「そんな」
「装備変更もできません。それでなんとかやって下さい」
「無理ですぅ・・・」
 と、ふいに準竜師が二人の会話に割り込んだ。
「田辺。お前はバズーカが無いと何も出来んのか」
「そ、それは」
 準竜師の小馬鹿にしたような声に思わず逆らう田辺。それが相手の狙いだとも知らずに。
「言葉は不要だ。その装備でやって見せれば良い。・・・期待している」
 ザザッという少し耳障りなノイズを残して、準竜師の声は途切れた。
「わ、わかりました!やります!」
「了解しました。・・・きたかぜゾンビが突出してきています。注意してください」
「はい。では、先に肩についた盾を外し、機動力を確保します」
 田辺の言葉とともにコマンドが先行入力されていく。IECPIECPIEKECP。
 更紗と準竜師の声が同時に響いた。
「田辺上級万翼長、それでは両肩の盾を外すことになり、危険すぎます!」
「がはは、それでこそ俺の見込んだ女だ。よし、やるがいい」
 士魂号軽装備が手に持ったジャイアントアサルトを捨て、肩から展開式増加装甲をむしりとり、投げ捨てる。両肩の盾を外してから、捨てた銃を足で拾いまた手に装備した。
「ふふふ、よし、機動力は確保できたな」
「きたかぜゾンビの射程に入りました」
 田辺の目にも士魂号を狙う幻獣の姿が見えた。
「では、行きます!」
 士魂号が軽々とジャンプし、きたかぜゾンビの斜め前に着地する。その姿勢のまま大太刀で一突きし、返す刀でもう一突き。
 きたかぜゾンビの体がぐずぐずと消え出す頃、士魂号はまたジャンプしていた。
「凄い・・・」
 更紗がため息とともに呟く。
「俗に言う八艘飛び、だな」
 準竜師の言うとおり、田辺と士魂号は敵の射線を避けかろやかに飛び跳ねている。しかも、足の速い幻獣を誘うかのように左右に振り回す様は・・・。
「田辺。その戦法、どこで学んだ」
 敵の動きを読み、ターンの終わりで必ず横飛びを入れる田辺に準竜師が問うた。
「えっ?どこでも学んでませんが。いつもの出撃で見る壬生屋さんの真似をしてるだけです。私、いつもは遠距離戦中心ですから、接近戦には慣れていなくて」
 答えを聞き、ほくそ笑む準竜師。
「たわけ。・・・まるで違う動きだ」
「だだだ、駄目でしょうか」
 田辺が焦りまくった答えを返す。更に笑う準竜師。
「がはは、壬生屋の縦特攻とは違う、と言ったまでだ。そなたの動き、素晴らしい」
 更紗は自分の耳を疑っていた。準竜師が人を褒めるなど、今まで聞いたことがなかったのだ。
「踊るように敵を屠る、美しき化け物、絢爛舞踏・・・」
 更紗が呟き、準竜師に聞いた。
「準竜師、私達はとんでもない事をしているのではないでしょうか?」
「黙れ。お前は誘導だけをしておれば良い。ふ。絢爛舞踏、か」
 準竜師の少しいらついた声が聞こえた。

――絢爛舞踏って、私のことでしょうか。
 スピーカーから流れる二人の会話に気をとられ、田辺は着地地点を見誤った。
「スキュラの射線に入りました!」
 更紗の報告と同時に、田辺の指先が射線から離脱するべくコマンドを入力する。しかし、コマンドの実行より先にスキュラのレーザーが士魂号のやわな装甲を焼いた。
「きゃあっ!」
 衝撃がコクピット内の田辺にまで伝わる。
「士魂号、大破!これ以上は危険です!」
「危険だが、他に方法はない。田辺、やれるな」
「準竜師!」
 コクピット内、朦朧とした意識を奮い立たせ、田辺が先行入力したコマンドを消去する。
「田辺さん!早く離脱して下さい!」
 更紗が叫ぶ。よほど慌てているのだろう。階級で呼ぶことをやめている。
「くっ、煙幕弾頭、射出。その後直ちに機体を捨てます」
 5ステップがかくも長い時間だとは、田辺は思ってもみなかった。
――煙幕を張る前に機体を壊されれば、一巻の終わりかな。
 そう思いながら、ふとコクピット内を見やる。
「ごめんね。上手く使ってあげられなくて。元整備士のクセに、だめね」
 言いながら、手の届く範囲を全て撫でていく。士魂号の囁きが聞こえたような気がした。
「煙幕弾頭、射出しました!これより30ステップはレーザー使用不能です!」
 更紗の声を合図に、田辺が降車作業に入る。
「降車します!」
 コクピットのハッチを開き、左手を接続装置から抜く。
 と、その瞬間機体に衝撃が走った。田辺が下をのぞき込むと、ゴブリンが士魂号の足に体当たりをしているのが見えた。
「きゃあっ!」
 二度目の衝撃で田辺の体がぐらつき、落下した。このまま落ちればゴブリンの格好の獲物だ。落下のGを感じ、田辺がぎゅっと目をつぶった。

 田辺は落下方向とは違う向きへ押し上げられるのを感じた。恐る恐る目を開くと、ウォードレスが自分を抱えている。そして。
「ふっ、戦いの最中に目を閉じるとは、お前は馬鹿か?」
 慌ててよく観察すると、準竜師が自分を横抱きにして、リテルゴルロケットでジャンプしているのが判った。
「じゅ、準竜師!」
「一度スキュラの移動範囲から離脱する。体勢を立て直した後、再攻撃だ」
「は、はいっ!」
 安全圏に着地した準竜師は田辺をそっと地面に下ろすと、ウォードレスのバイザーを上げて一度だけ彼女を見た。
「そなたを怒らせるつもりはなかった」
 昇進の事を言っているのだと、田辺には判った。立ち上がり、同じようにバイザーを上げる。
「はい。判っています」
 二人は一度だけ視線を交わし、それぞれ別の方向を向いてロケットジャンプをした。
「そなたは、我の捨てたものに似ていた」
 スキュラを射程に捉えた田辺の耳に準竜師の声が聞こえた。
「芝村になると決めたとき色々なものを捨てた。その中にそなたと似た面影もあった」
 カトラスで別のスキュラの表皮を切り裂きながら、準竜師が続けて言う。
「久々に少年の頃に戻ったようで、愉快だったぞ」
 準竜師の声が笑っているのに気づき、田辺もつられて笑う。
「先刻言った通り、そなたを怒らせるつもりはなかったのだ。ただ、そなたの言った『人の役に立つ』ことをしてみたくなってな。・・・やはり、我には向いておらぬようだったが」
 田辺は、最後の辞令の時に見た準竜師の笑顔を思い出していた。何の邪気もない、喜びだけを抽出したかのような、笑顔。きっと自分も準竜師にそんな顔を見せていたのだろう。
 田辺がライフルの弾をスキュラに浴びせる。目の前のスキュラが消えていった。
「田辺さん、お疲れさまでした」
 更紗の声が久々に聞こえた。
「慰労は全て終わってから言うがいい」
 準竜師の皮肉な声がする。準竜師のいる方にはまだ幻獣が残っているらしかった。
「ぐっ!」
 くぐもった声が聞こえた。
「準竜師!大丈夫ですか!」
 更紗の叫びも聞こえた。
「更紗副官、準竜師の位置を教えて下さい!」
「はい!」
 更紗の指示した方向へロケットジャンプする。眼下に広がる荒野を必死に目で探す。
「準竜師!どこですか!」
 叫ぶ田辺。と、何かが動くのが目の端に見えた。
 準竜師が岩の陰にうずくまっていた。ウォードレスの表面が裂け、真っ白な血がどくどくとあふれ出している。
「ここだ」
 少し弱々しかったが、いつもの不遜な声がスピーカーから聞こえた。
「じっとしていて下さい!今行きます!」
 田辺が着地し、準竜師の元に駆け寄ろうとした。だが、準竜師は、
「駄目だ、来るな」
「準竜師、何を・・・」
「我の事は良い。先に、幻獣を始末せよ」
「ですが!」
「田辺。これは命令だ」
 有無を言わせぬ口調だった。
「はい」
 田辺は敵のいる方向へジャンプした。
「田辺さん?」
 更紗の声がしたが、無視する。
 大きなスキュラがいた。着地し、アサルトライフルの弾数を確認する。
「行きます」
 気合い一閃、スキュラの後ろに回り込み、ライフルの弾を全て一点に撃ち込む。スキュラの装甲に亀裂が走る。田辺はライフルを仕舞うと、カトラスを逆手に持ちそこに刃先を突き立てた。
 幻獣でも痛みは感じるのだろうか。スキュラがのたうつ。振り回されそうになりながらも田辺はカトラスの柄にしがみついていた。
 突然、スキュラの動きが止まった。目の前で巨体が溶けていく。何度見ても非現実的な光景だ。
「お、終わりました・・・」
 呆然と立つ田辺。更紗が固い声で報告した。
「全ての幻獣の消滅を確認。これより怪我人の収容に向かいます」

 田辺はヘリの側で休憩していた。今、機内では準竜師の手当が行われているはずだった。
 ヘリの乗降口が開き、更紗が声を掛ける。
「準竜師があなたと話したいそうです」
 更紗に促され、田辺はタラップを登った。
 機内。急ごしらえのベッドに準竜師が横たわっている。損傷した人工筋肉は取り外され、手当のために保護膜も切り裂かれていた。肩口の素肌に包帯が巻かれている。
 気配を感じたのか、準竜師がうっすらとその細い目を開けた。
「田辺か。側へ来い」
 言葉に従い、差し伸ばされた手を取って側に座る。
「だだだ大丈夫ですか!?」
 準竜師が薄く、そして優しく笑う。
「そなたは焦るとどもるのだな。ふふっ、面白い奴だ。そういえば、一番初めに陳情したときも焦っていたようだな」
 準竜師の視線がふっと宙を彷徨う。
「あの時も、確か面白いと思ったのを覚えている。が、顔には出せなかった。・・・陳情を受けるのも苦労する。・・・焦る顔が、『あの人』に似ていた」
 更紗の顔をちらりと見やり、また薄く笑った。ただし、芝村的微笑で。
「ふ、お前の知らぬ人間のことだ。これから先、俺の口にのぼることもあるまい。・・・田辺、そなたのお陰で少しだけ昔を思い出した。芝村になったことを後悔してはおらぬ。芝村になってこそ、俺の野心は満たされるというものだからな。ただ、そなたの顔を見、そなたの陳情を聞き、そなたの役に立つことで、俺の過去が癒されたのだ。・・・そなたには、迷惑であっただろうが、それは真実だ」
「準竜師・・・」
 田辺は一瞬だけ少年の姿・・・準竜師の過去を見たような気がした。いつも何かに反抗していた少年。
「田辺・・・そなた、芝村にならぬか?」
 準竜師が唐突に申し出る。田辺は呆然と彼を見つめ、更紗はその身を固くした。
「芝村・・・強き者・・・。そなたはまだ強くはない。だが、その素質はある。今夜、それを確信した。どうだ、俺とともに強くなってみないか」
 更紗が準竜師から目を逸らした。出来る事なら耳も塞ぎたい、といった風情である。
 田辺は、首を横に振った。
「はい、いいえ、準竜師。それはできません」
「何故だ。理由を述べよ」
「私は、今の私を捨てられません」
「ふ。くだらない家族や友人を、か」
「はい。それと、田辺真紀である思い出を捨てることは、できません」
 準竜師は笑った。笑って笑って、その挙げ句、むせた。
「げほげほ・・・。そなたらしい答えだ。俺の思っていた通りの人間のようだな。・・・俺は、疲れた。さらばだ、田辺・・・」
 田辺は、握りしめた準竜師の手から急激に力が抜けていくのを感じた。
「さささ更紗副官!あ、あのっ!準竜師の様子がっ!準竜師?準竜師っ!?」
 準竜師の体を揺すってみる。反応はない。
「更紗副官!」
 真っ青な顔の田辺。更紗は一つため息をつくと、手元にあった黒いノートで準竜師の頭を叩いた。機内にものすごい音が響いた。
「きゃあ!」
「本当にもう、冗談が下手過ぎます!田辺さんを本気で驚かせて、どうするんですか!」
 そう言う本人の行動にも田辺は驚いているのだが、更紗はそれを無視して何度も準竜師の頭をぶつ。
「さささ更紗さんっ!?・・・きゃあっ!!」
 田辺は心臓が止まるかと思った。準竜師がむっくりと起きあがったからだ。
「ひどいな、更紗。少しふざけただけではないか」
「・・・私の前であんな事を言って、優しく介抱されるとでも思ってらっしゃるんですか!?」
 またノートを打ち下ろす。準竜師は抵抗もせずにそれを受け止めた。
「断られるのは、予測した上での事。そう怒るな」
「田辺さんも私も、あなたのおもちゃじゃありません!」
「馬鹿な事を。俺はいつだって真剣だ」
「余計悪いわぁ!」
 準竜師の顔が、見る間に腫れ上がった。起き上がった時と同じように、ばったりと倒れる。気を失ったようだ。
 更紗が肩で息をしながら、田辺に向き直った。
「田辺さん」
「は、はいぃぃ!」
 更紗を見る田辺の目は恐怖で染まっている。更紗は、顎で準竜師を差し、言った。
「勝吏様の言うこと、真に受けないで下さい。芝村ですから」
「あの、準竜師は・・・」
「・・・スキュラに負わされた怪我自体は、酷くありません。打撲傷ですが、衝撃は殆ど脂肪に吸収されていたようです」
――あの、そうじゃなくて、更紗さんがやった怪我は・・・。
 田辺の表情を見て、少し顔を赤らめる更紗。
「顔の怪我は・・・まあ全治一週間といった所でしょう」
「はあ」
 呆然としたままの田辺を置いたまま、更紗はヘリのパイロットに指示を出す。
「士魂号を回収したら、離陸して下さい」
 ヘリのエンジン音が響く。簡易ベッドの側に座った更紗は、準竜師の顔にそっと濡れタオルを当てた。
――あんな事したけど、優しいんだ、更紗さん。
――本当に、このまま窒息させてやろうかしら。
 二人の女の思いを乗せて、ヘリは熊本を目指し飛び立った。    

 降下作戦翌日。
 田辺真紀は月従軍章を授与された。その叙勲式から教室に帰り着いた時、本田が言った。
「えーと、特別に今日辞令があるそうだ。田辺、前に出ろ」
「はい」
 本田が取り出した板に準竜師の顔が映る。昨日の怪我の腫れは引いていない。元々横に広がった顔だから、生徒の殆どはそれに気づかないようだが。
「俺だ。お前の昇進が決まった。おめでとう。準竜師」
 教室が一気にざわめいた。
 田辺は、きりりと準竜師を見返して、言った。
「はい、いいえ、準竜師。その辞令を拒否します」
 さらにざわめく。
「お、おい。田辺、言葉に気をつけろよ」
 本田がぼそっと忠告するが、田辺は唇を結んだまま黙っていた。
「そうか。・・・田辺上級万翼長、お前を命令拒否の罪で降格処分とする。今日からお前は戦士だ」
「はっ」
 生徒がひそひそと囁き合う声が聞こえた。
「・・・以上だ。これからの働きを期待する」
 田辺が準竜師に敬礼で答えた。準竜師が消えた後、板を抱えて本田が言う。
「田辺、本当にいいのか?準竜師を怒らせたら後が怖いぞ」
「はい、大丈夫です」
「そっか」
 席に着いた田辺に、芝村舞が囁いた。
「そなた、一体従兄弟殿に何をした?私には、とても嬉しそうに見えたのだが」
「うふふ、内緒です」
「う、ううむ。そうか。内緒ならば致し方ない。・・・まさか、そなたを従姉妹と呼ぶような事態にはならぬだろうな!?」
 舞の問いに微笑みで答え、田辺は窓の外を見た。
――これからは、私自身の力を使います。ありがとう。・・・更紗さんと仲良くして下さいね。
 心の中で準竜師に呼びかける。届くはずもない呼びかけであった。しかし、田辺は確実に届いていると信じていた。

                      おわり

「勝吏の恋」前編

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