窓円アパート : 2F > 201号室 : 尾谷津くんの部屋

「尾谷津画伯のアトリエ」

自称・芸術家の尾谷津二郎(おやつ・じろう)。将来は世界を震撼させる才能の持ち主、だとか。でも昼間はスーパーマーケットでバイトしてる。 お店にいくとなんだか無愛想。

* * *

2.

大学が休みの日曜日。
寝坊した昼過ぎ、窓を開けたら蝶がひらひらと入って来た。
白を基調とした羽に、赤く描かれた模様。
あまりの美しさに尾谷津は自然とキャンバスの前に座った。

‥‥美人だな。

本棚にとまった彼女を、さらさらとデッサンする。
鉛筆が画用紙をなぞる音だけが部屋に響いた。
そのまま、わきに置かれたパレットと筆を音をたてぬように取り出し、着彩する。
白を基調にした羽。あざやかな赤で描かれた模様。
やがて画用紙にはもう一人の彼女が生まれた。

「こんにちは」

尾谷津は彼女に語りかけた。
すると、それに応えるように彼女はその美しい羽を大きく伸ばし‥‥するり、と、画用紙から抜け出してしまった。

「あ、ちょっと」

そして本棚にとまっていた彼女と対になってしばらく部屋を旋回したのち、入って来た窓から出て行ってしまった。

‥‥ああもう、まいったなあ。


彼がうまく描けた絵は、ときどきこうやって「本物」になってしまう。本物に近いほど実体化してしまうので、名作ほど手元に残らない。今後、名作を描き上げたとして、それをどう展示したらいいのか?‥‥それが尾谷津の悩みである。

台所で水を一杯飲みながら、パンやリンゴも、実体化するといいんだが、とぼんやり思った。


* * *

1.

まったく、なんなんだこのアパートは!

ラウンジでは鳩に小馬鹿にされ、カウンタを通り過ぎると物音に驚かされ(前から不審に思っていたのだけど今日初めてメリィという人がいることを知った。寝過ぎだ、人として)、階段を上ろうとすると猫に追いかけられる。
203号室の子供は生意気だし、連れ添いの気取った男もいけ好かない。隣の部屋からは時々変な物音がする。
それから200号室は‥‥存在しないじゃないか!

ああ、まったく。まったくだ。

尾谷津は筆を丁寧に洗いながら、ぷんぷんと怒っていた。
正直、こんな変なアパートに越すのは躊躇われた。
しかし今の生活状況を考えるとそうわがままも言っていられない。 絵を描くための画材と、そして学費。 金銭面だけで考えてもこのアパートの家賃は非常に助かる。 それになんと言っても広いし、大きな窓から差し込む光も申し分ない。絵を描くためのアトリエとしてもここは最適なのである。

とその時、ドアがノックされた。
用心深くドアを開けると、そこに立っていたのは管理人の千鳥である。

「今日はキャベツをサービスしてくれてありがとう。おかげでロールキャベツがたくさん作れたから、よかったらお裾分けと思って」
「ロ、ロールキャベツですか」

尾谷津は大好物の名を聞いて、ごくりと唾を飲み込む。そして、まあ、その、たまには世間の味もいいかも知れません、と言って彼女を部屋へ通した。

「アパートにはもう慣れました?」
「え?!ええ、もちろん」

そう言いながらもついさっき、走り去る猫のステアに腰を抜かしたところであったが、尾谷津はあえてそれを飲み込んだ。

「ねえ、オヤツ君。来週は何がお買い得なのかしら」

尾谷津は小さな声で来週は、ジャガイモですよ、と告げる。少し不機嫌そうな表情で。

けれども、じゃあ、来週はポテトグラタンを持ってくるわね、と千鳥が言うと、尾谷津は反射的に笑顔になってしまった。