窓円アパート : 1F > 窓円バー
ここはメリィの小さなバー。
だけどメリィ、今日も寝てる。
メリィは眠るのが大好きなの。
カクテルが欲しいなら、ご自分でどうぞ。
どうしてもメリィを起こしたいならこう言ったら良いわ。
「メリィ、羊が転んだ」
* * *
3.
目を開けたら、カウンタに男がひとり座っていた。黒いスーツを着た長身の男。目の下に深い影を落としている。酷く疲れた顔をしていた。男は、あたしが起きたことに驚いたのか、少し慌てた様子だった。
「失礼、起こしてしまいましたか」
男は思ったより低い声で言った。しんと静まり返った廊下によく響いた。
「誰?」
「音井と申します。あなたは」
「メリィよ」
言いながら、あたしはグラスをカウンタに置く。
「なにか、飲む?」
「いえ、わたしは‥‥」
音井は不思議そうにあたしの顔を見てる。
「なに?」
「いえ、いつも眠っていらっしゃるので」
「そうよ、あたしはいつも眠いのよ」
あたしはグラスをもう一つ取り出した。そして棚からリキュール瓶を数本並べて、それぞれを適量注ぐ。グラスの片方を彼の前へと差し出す。
少しためらった後、音井はグラスを手に取った。
すると透明だったカクテルが、みるみるうちに黒ずんでいった。
「それは、飲まない方がいいわね」
「‥‥‥」
「そんな、なんで、って顔されても、困るわ。あたしのせいじゃないもの」
あたしは自分のグラスを持ち上げる。透明な液体は、あまったるいピンク色へ変化した。眠そうな、べったりとしたピンク。
「もともと同じなのよ、中身は」
「わたしの、心の色だと?」
「さあ」
あたしは肩をすくめて、彼のグラスを取り上げる。
「わからないけど、でも、とりあえずグラスへと移ったのよ。少しは」
「ええ、そうかもしれません」
「捨てとくわ、それ。あんたはもう、部屋へ戻りなさい」
「それがよさそうですね」
「寝たら、よくなるわよ」
「ええ」
音井は礼儀正しく頭を下げると、バーを出て行った。
あたしはピンク色の飲み物をゆっくりと時間をかけて飲み干した。甘ったるい眠気におそわれて、あたしはまた、眠りにおちた。
* * *
2.
ある日、めずらしくすっきりと目覚めた。
窓から差し込む光がオレンジ色で、ああ夕方なんだろうなと思った。
あたりを見渡すとホコリを被っていたはずのカウンタはきれいに掃除されていて、雑然と転がってたはずのリキュール瓶がきちっと整列されていた。
あたしはひとりの少女の顔を思い出す。こないだやってきた新しい管理人。あの子がやったんだろうか。
あたしはせっかくだから起きることにする。
立ち上がったところで服に積もったホコリがおちた。
さすがにここまで掃除されていないようだ。あたしは思わず笑った。
奥のシャワー室で体のホコリを落として、水色のワンピースに着替えてくると、カウンタに客が座っている。
「こんばんわ」
管理人のマドカリチドリだ。
「おはよう」
あたしはにっこりと答える。
「通りがかったらメリィが居ないから」
「あたしもたまには動くのよ」
マドカリチドリは笑った。
「せっかくだから、一杯いかが?管理人さん」
「ええ、頂くわ」
マドカリチドリは素直にあたしの誘いを受け入れた。
あたしはぴかぴかに磨かれたグラスを取り出し、彼女のためのカクテルの準備を始める。
その一部始終を、彼女は興味深そうに見つめていた。
「これは、なあに?」
差し出したグラスを、彼女は不思議そうに見つめて言った。
グラスの中は水色の海。白い雲が浮かび、カラフルな魚たちが泳いでいる。
「カクテルよ。あんたのための」
「素敵だわ」
マドカリチドリは両手でグラスを包み込み、ゆっくりとカクテルに口を付ける。
水色の海が口の中に広がり、白い雲がふわふわとそれに溶けた。
それから、小さな魚たちが甘く弾ける。海を飛んでいるような、空を泳いでいるような、そんな気分だ。
「不思議な味ね」
「そう?」
「でも、おいしいわ」
「そう」
満足そうな彼女の表情を確認してから、あたしは自分のためのカクテルを作りはじめた。
空を浸食してゆく夜みたいに、カクテルはゆっくりと体の中に流れていった。
* * *
1.
眠いわ。
眠い。
あたしはいつも眠いの。
だからあたしは、いつものように眠っていた。
だけどそんなある朝、いえ、昼かしら?それとも真夜中?
そんなこと、わからない。だってあたしはいつも眠っているもの。
とにかく眠っていたある日のある時、いつもと違うリズムの空気が流れて、あたしは目を覚ました。
目を開けるとそこに映ったのは小柄な少女。
黒髪の、黒い瞳の。
ああ、この子が。
あたしは一目見て、彼女を一目見て、すぐにわかった。
彼女は少々驚いたようすで、だけど落ち着いた瞳でこう言った。
「あなたは、だれ?」
「あたしはメリィ」
「いつからいたの」
「さあ。ずっとよ。ずっとここで、眠っているの」
あたしは、重い腰をあげて、ゆっくりとからだを起こす。
そしてまだ眩しい目をこすって、目の前の少女を見つめる。
「もしかして、あんたが新しい?」
「ええ、わたしが、新しいここの管理人です。名前は」
「ああ、だいじょうぶ。知ってるわ。マドカリチカリ」
「‥チドリです」
「ああ、そうね、でもどっちでもいいわ。だって」
ぼんやりと右手を出そうとしたところで、急に力が抜けた。
ああ、もうだめ。おしゃべりが過ぎたわ。
「眠いの」
そう言ってあたしは再び眠りに落ちた。
意識が遠のく中、ゆっくりと遠慮がちにその場を去る足音が聞こえた。
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