音訳奉仕歴
熊本友の会で出会った山崎さんの紹介で始めた視覚障害者へのテープによる音訳の奉仕ははじめ、近くの盲人図書館へ子どもの本を中心に読んでいました。(昭和58年頃)
大阪に移って、千里中央の豊中図書館で活動していた大阪声の会で少し勉強しましたが(昭和59年)春日丘教会の井関京子さんの紹介で東京早稲田奉仕団の仕事をさせていただいてきました。(昭和60年ー平成2年)
母が東京の人で小さいころから標準語のアクセントで本を読み聞かせられていたのでアクセントはほぼ大丈夫でしたが、発声など1から勉強しようと大阪YWCAの朗読の講座に半年通い、関西芸術座の道井先生夫妻の指導を受けました。その後、その受講生で作った「アイ」というグループに属して、目の不自由な神学生の勉強のお手伝いを少しさせていただいていましたが、(平成3年ー6年)ここ5年ほどは他のことで忙しく中断していました。
今していること
近所に区の障害者の長をしておられる方が住んでおられることから話す機会があり、ここは 高齢者の多く住む地域でもあるので、そういった方を対象に音読してテープを作り、回覧していこうと、この春にグループを作りました。読み手は朗読が初めての人ばかり3人と私です。 婦人之友社から隔月に出ている「明日の友」という雑誌のなかの医学特集を読んでいるほか20-30年前の漫才や浪曲、ジャズなどの録音が好きな人がそういったテープも作っており、ぼつぼつですが聞き手は区内の視覚障害の方の中で本などが好きな方(いまのところ12-3人)です。
CDコンポの説明書や高血圧の食事のパンフレットも依頼され。一日本当に少しずつしか読めませんが必要とされることを音訳していきたいと思います。
留学生の里親運動
大阪YWCAと大阪商工会議所が20年前に始めた留学生の日本でのお母さんになる
というサポートです。私は5年前から関わらせてもらっています。現在里子は4人。
皆中国の女性です。初めてのYさんは上海出身。阪大基礎工学部の院生で、日本の
企業にうまく就職できたのに、アメリカのコンピューター関係の会社に移ってサンジェゴ
に行ってしまいました。Zさんは杭州出身。神戸にいてあの震災にあっています。
震災で経済的にも苦しくなったので、私学から公立大学に移り、堺の寮に移り住んで
いたけれど、管理人の人からの女性ゆえの嫌がらせもあって、好きな神戸に移り、被災者
の住宅補助を少しもらって、現在週末はアルバイト、勉学もがんばっています。でも今は
就職活動に頭を痛めています。
Sさんは内モンゴル出身。オバサン2人も日本に留学の経験を持つ。彼女は平日アルバイ
トを頑張り、週末は勉学と休息。
留学生はアルバイトで忙しく、勉強も日本の学生の何倍も時間がかかる。せっかく
日本の大学に入っても、サークルに入る時間もなく、日本人の友達も思うほどできない
ことが多い。彼らはいう。日本の学生(主に文系)は余り勉強しないので、国で
そういった噂が流れ、自分の大学の評価が低くなるから困ると。
Cさんは日本語学校で日本語と日本の大学を受けるため猛勉強し、阪大は残念だったが
関大と大阪府大に合格し、今は府大の経済学部の2回生。
Tくんはマレーシアからの留学生。去年岡山理科大学に行っている。橋が大好きで
休みにお金と時間が許せば瀬戸内の橋をみて回っているようだ。夏休みも工場での
アルバイトにいそしむ。
わたしは彼らの日本でのおかあさん。試験中に差し入れしたり手紙や電話などで励ます。
我が家に来て、娘達と話したり、カラオケに行ったり、YWCAでする交流会にでたりし
ている。
また委員会のニューズレターを受け持ちパソコンで年に三回作ったりもしています。
大阪に住む外国人との交流活動
昨年秋、区役所の「異文化ふれあい講座」を受講した人たちのなかの有志で、区内に
住む外国人のサロンとなる場を提供しようということになり、1999年2月から毎土曜日
「ふれ愛日本語サークル」を作り、交流しています。参加は日本人七人、外国人六人。
日本人と結婚したけれど、きっちりと文法から日本語を学びたいという人や子どもが学校
からもらってくる手紙を自分で読みたいという人、また普段仕事以外は日本人と会わない
ので日本人の考えを知りたいという人など、です。まだ参加を呼びかける範囲に
限りがあるので少人数ですが、小さい活動ですが地道に続けたいと思っています。
9月から場所代が要らないところをかりることができるようになって、毎週土曜の午後集
まりをもつことになりました。参加者募集もあわせておこないます。
今は、区役所のバックアップがないので、そこも交渉を続けています。
同じ大阪に住む者として、日本語がネックになって、損したりいやな思いをすることの
ないよう、また国際結婚の難しさを応援するためにも、お互いの国の考え方、習慣の
違いを学びあいたいと思っています。
あしながさんとしてのサポート
15年位前から細々と(少額)災害遺児を支えさせていただいていました。最近は交通遺児・ 病気遺児などはっきり区別していないように思います。お父さんがいなくても、元気に 明るく頑張っているこどもたちにこちらが励まされます。毎年夏と冬にアットランダム に送っているのだと思われるが毎回その返事を出している。去年夏に出した人から この夏手紙が来て、私が書いたことですごく励まされた、あしながさんに感謝している 自分も子供たちに夢を与える仕事をしたい! とあった。こちらが励まされた思いだ。
ワールドチャイルドセンターを通じてのタイの子に
5年前から、フォスターチャイルドに登録しています。月々4500円でもそれでその家庭
をサポートしてその子が働く時間を学校に行く時間に変えても支障がないようにしてい
るそうです。年に1回、その家族の写真やその子(今は9才の女の子)の成長記録が
送られてきます。私もクリスマスカードとバースディカードを送ったりします。品物は
ほかの子と比べることも時としてあるので禁止になっています。
地域の高齢者への喫茶室
連合福祉会館で社会福祉協議会の推進委員とボランテイアネットワークの人たちが
65才以上のお年よりの交流の場を提供。毎月第二水曜の午前9時半より11時半まで
トーストと飲み物を100円で。毎回60-80人の利用者があります。私はパン係り。
厚切りの食パンを半分に切って、オーブント−スターで焼いてマーガリンをぬって
お皿にのせる、という単純作業。足の悪い私にはこれくらいしか無理。でも皆さん
三々五々集まっては、喫茶店でのように軽食とおしゃべりを楽しんで行かれます。私
の住む区は高齢者(65才以上)の割合が約12%なのですが、うちの校区、特に
旧街道筋にあたる当町会は25%という高齢者の町です。一人暮らしの人も多いの
ですが、そういう人こそ来てほしいのに、男の人など特に億劫らしくわりと、元気な
おばさん(この頃の人は70代でも若く見えますから・・・)が友だちと来て喫茶店
がわりに話していかれます。それはそれで意味のあることですけれど。
1995年阪神淡路大震災の時
その時、我が家は熟睡のなか。震度5だから、神戸や大阪北摂地域とは比べ物になら
ないけれど、あの揺れは初体験。私は動揺してしまって、電気がついたのに停電したと思
いこみしかもぱっと起きた方向が斜めだったらしく方向がわからなくなってしまい、よつ
んばいになってぐるぐると懐中電灯を探していた・・というぶざまな有り様。あの20秒
ほどが1分ほどにも感じた。幸い、大した被害もなく、あとから次々報道される画像に
驚愕するばかりだった。
当時私は大阪友の会という、婦人団体に入っていてそこの委員をしていた。
大阪府下に会員は1800名ほど。当日午後すぐに委員会が開かれ、何ができるかを相談。
とりあえずは神戸友の会や西宮友の会からの要求に応えることから始めた。
冬物の下着・粉ミルク・紙おむつ・青いグランドシート、など皆で安い物を買い集め
バイクを会員で提供してくれる人を探して、交代でバイクで運ぶ。
そのうち、全国友の会(各地)から続々救援物資や働き手への差し入れや手縫いの
スモックエプロン等がどんどんが送られてきた。また東京の婦人の友社や、自由学園
高等部の男子学生らが駆けつけてくれて、大阪市内の南に位置する杉本町の友の家から、
トラックで神戸まで毎日物資を運んでくれることになり、活動がひろがった。
府下の30ほどの方面、150ほどのもよりの皆が分担して毎日250食分程のおかずを
交代で作り、この定期便に毎日のせる。全国から来る救援物資の中のものも、シーツを
洗濯して糊つけしたり、汚れているものも洗濯したりしてから届けた。
ある体育の先生がもうすぐ卒業する生徒ら100人ほどの体育館シューズと体操服
上下を送ってきて下さったのだが、体操服にはいっているネームを丁寧にこばさみで
とったり、靴もきちんとペアにして送ったり、仕事はいくらでもあった。
座布団や防災ずきんを皆で作ったり、高年の野の花グループは針箱セットを作ったり
日頃の会員活動の延長線ではあったが、きめ細かく活動した。
子どもたちも何かしたいという、声があったので、私の提案で、子どもたちが
福袋の要領で、使わなくなった辞書とか、たくさんある文房具、また小さな子には
おもちゃなど、心のままに、袋を作って送ることにした。全部で袋は100個ほど集まり
神戸友の会の子どもたちから西宮友の会にも届けられた。
ご意見・ご感想をお寄せ下さい。 ChicoH@aol.com.