過去の文章

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 ○自分が文章を書くということ

  <過去の文章 浪人時代の日記を主に>

時の流れと人の別れ 中学の卒業文集に書いた文章。完成度は低いが、それなりの一般性を保つように思う。
僕がはじめてそばを「知った」日 日記から。2000年の六月上旬、帯広の手打ちそば屋に足を運んだ僕は一期一会の邂逅に恵まれる。現在、帯広に帰る際には、きっとそのそば屋に行くことにしている。
『潮騒』旅行 日記から。題は大層なものだが、その内容は日帰りの徒歩の旅。花時計で有名な「ハナック」まで三島由紀夫の『潮騒』一冊を携えて歩いた。
多重人格ということ 日記から。冬の深夜、あるテレビ番組におそろしいほどの衝撃を受けた。その感想。
合格体験記 大学合格後、学校に依頼されて書いたものだが、以前からその構想は出来ていた。とにかく新しい合格体験記を求めていた僕は、受験の自己満足的な総決算の意味を含めて書いた。

  <大学において 2001年9月〜2002年5月>

人の「哀しみ」 大学に入学後、はじめて書いた文章。抽象的な文章だが、この思いは現在も変わらない。
ある日ピアノがくれたもの 夜、自分の部屋で発作的に書いた文章。
空への憧憬 日記から。ある日北大構内でふと思ったことを書き散らしたもの。
“Nowhere Man”日記 今年の北大祭の中で見聞きしたことを記した、もっとも私的な文章。まだ北大やサークルに通じていない時期、愚直なまでに素の文章のため、われながら少し恥ずかしい思いがする。
郷愁 サークル会館でドラを弾いている最中に、突然文章が涌き出てきて手帳に記した。
初夏の演奏会、その後 アウロラの一年目ノートに載せた文章。
日本人のこころ 2001年8月7日、日本文化紹介のプレゼンテーションを行なった。その際に発表した文章。陳腐だが切実な思い。
生と死 夏の夜、一つの死と追憶の中で。
煽動者と私 大学へ来て、僕はしばらくテレビのない生活を送った。テレビを買ったあとにふと感じたことを記した短い文章。
日本語について ごく個人的な日本語への愛着。
中島公園にて 2001年10月16日昼、ピックを買いに行った僕は帰り道に、ふらりと中島公園に寄ることになる。自分の文学的表現における実験的文章。
二つの存在価値 「哀しみ」に通じる文章。思うままに、不親切に書いたので、抽象的で読みにくいかもしれません。
変化ということ 成人式に出た際に考えた文章。自分の内面にひどく入り込んでいるので、非常に狂おしく、抽象的な文章です。
記憶の場所 2002年、三月中旬の帰省の際に、僕は新築された母校に寄った。追憶と喪失感の内に僕は再び「変化」というものの意味を思った。
正誤からの目覚め 自分が携帯電話を持つに至った経緯と、あらゆる判断の相対性の中で抱く「個人」と「全体」に対する意識に関する文章。
開かれた内向 「彼」の独白の内に、ある特異な生き方を虚実を交えて描く。私の過去の思想の総決算的作品。

 

  <大学生時代のレポートより>

携帯・メールの先にあるもの 大学一年生の後期に、コミュニケーション論の講義で提出したレポート。論題はたしか「携帯電話の功罪について」。私は「罪」について書いたのだろうと思う。若かったなぁ、と思わず苦笑が出る。こういう文章を読むと、今の自分がどれだけ社会的、解放的に変われたかということが実感できる気がする。夏目漱石に傾倒していた時期。漱石のもとに訪れる弟子たちとのやり取りを読んで、こういうシチュエーションにあこがれていたんだろうと思う。ある意味「開かれた内向」に通じているかもしれない。
偶像(アイドル)化された身体 大学三年生の時に、集中講義の半分以上を睡眠に費やし、午前中は決して出席せず、唯一出席を取った最終日に偶然居合わせ、翌日にレポートを書き上げて単位をゲットした時の代物。たぶん犯罪だと思う。「川上弘美『蛇を踏む』における身体の表象」だそうだが、自分でも何を書いているのか良く分からないが、人を煙に巻くような言葉遊びが、読んでいて少しアホ気持ちいい。内容もたいしたことないし、ばかだなぁ、とこれもまた苦笑を禁じえない。

 

 

批判・感想

「二つの存在価値」批判 S氏からメールによって批判をいただきました。