「歎異抄」第八章は、念仏は称える者にとって、修行でもなく、善行でもない
(非行非善)と述べられています。我がはからいで称えるのではないので非行
と言います。我がはからいで善いことをしようととなえるのではないので非善
と言います。まったく、弥陀の他力によるものであって、自力を超えているので、
称える者にとっては修行でもなく、善行でもない、と説かれています。前回、取り
上げた清沢満之の「何事でも、私はただ気の向かう所、心に欲する所にしたがうて
これを行うて差し支えはない。その行が過失であろうと、罪悪であろうと、少しも
懸念することはいらない。」という言葉は、我がはからいを超えた他力の世界から
述べられた言葉であると言えます。
今回は、仏について考えてみたいと思います。歎異抄の中には、しばしば弥陀
(阿弥陀如来の略称)という仏が出てきます。また、真宗では阿弥陀仏を本尊と
しています。仏教では、いろんな仏がいるにも関わらず、なぜ阿弥陀仏を本尊と
するのでしょうか。
本来、仏には三つのタイプがあり、まず仏教を広めた釈迦仏があります。
釈迦は二十九才で出家して、三十五才で仏になりました。そして、八十才で
入滅しています。仏の誕生(始め)と入滅(終わり)があり、私たち人間の
人生におうじて表れているので応身仏(おうじんぶつ)と言います。しかし、
そもそも真理は普遍なものであり、始めと終わりがあるのはおかしなことです。
真理なら永遠にあるものでなくてはなりません。
そのような意味で、永遠に続いている始めも終わりもない法身仏(ほっしんぶつ)が
二番目のタイプの仏になります。この仏は、東大寺の大仏に代表されます。
そして、三番目のタイプが阿弥陀仏です。大経の中に書かれている物語をみると、
国王が出家して法蔵菩薩となり、四十八の願いを立てて阿弥陀仏に
なったと説かれています。これは、釈迦の人生に似ていますが阿弥陀仏は仏と
しての誕生(始め)はありますが、仏になってから永遠に我々衆生を救う仏に
なりました。つまり、入滅(終わり)はなく、理想的な仏を報身仏(ほうじんぶつ)と
言います。
仏教のあるところには、必ず三宝(仏・法・僧)が存在し、三宝に帰依することが
仏教徒にとっては不可欠なことでした。釈迦がいた頃は、仏は釈迦で、法は釈迦の
教えで、僧は出家した釈迦の弟子たちの教団でした。しかし、釈迦滅後の仏教は、
大乗仏教と言われ出家できない(在家)の人々の仏教なので、三宝の中の僧(教団)
をもつことができませんでした。
いろんな教典の誕生から三宝も時代の流れとともに変わっていきました。
三宝の仏は阿弥陀仏となり、法の中に釈迦(応身仏)や法身仏が入り、永遠の真理
として位置づけられていったのです。
そして、僧の中に阿弥陀仏の世界(浄土)が位置づけられたのです。この世の中で戒を
守れない在家の人々も、浄土に生まれるべき身と定まることによって、理想の教団を
浄土(僧)に託したのです。このような三宝のとらえ方は正法、像法、末法という仏教の
時代の流れにも影響を受けています。正法は釈迦滅後五百年をさし、教えも行も証りも
ある時代でした。しかし、それから千年の間は像法になり教えや行はあっても証りを得る
ことはできなくなりました。さらに、それから万年は末法で1052年、藤原頼道が宇治の
平等院を立てた頃、末法に入り現在に至っています。末法は教えだけ残り、修行を積む
ことも証りを得ることもできない時代となったのです。正しく末法の世の救世主が阿弥陀仏
だつたのです。
話がそれてしまいましたが、念仏の教えは「わがはからい」を超えた、わかる必要もない
教えです。わかろうわかろうとする心すら自力なのです。そして、「わかった」とうなずいた
ときこそいちばん危険なのかもしれません。
蓮如上人は、「心得たと思うは心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり」という金言を
述べられましたが、その言葉を味わいながら第八章を読んでいきたいものです。
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