真宗学とは何か
平成17年 4月 29日 清沢先生と暁烏先生との違い
無限大悲の如来は、如何にして私に此の平安を得しめたまふか。外ではない、一切の責任を引き受けて下さるる
ことによりて、私を救済したまふことである。如何なる罪悪も、如来の前には毫も障りにはならぬことである。
私は善悪邪正の何たるを弁ずる必要はない。何事でも、私は只だ自分の気の向ふ所、心の欲する所に順従ふて
之を行ふて差支はない。其の行が過失であらうと、罪悪であらうと、少しも懸念することはいらない。如来は私の
一切の行為に就いて、責任を負ふて下さるることである。 (『わが信念』 清沢 満之)
暁烏敏の愛人(原谷とよ子)に宛てた手紙
苦しうても切なうても、このままに恋うて恋はれて進むのが一番楽しい道である。私の心がわからん、どうしたのだ。
私は妻をすてて全身をあなたにささげる事ができないのは、お身をすてて全身を妻にささげる事ができぬのと同様である。
私は自分が大切です。誰にもささげられません。愛し合う事を欲します。所有しあふ事を厭ひます。
私の愛に不満ですか。お身が心一ぱいに私を愛してくれる事は知っている。うれしいと思うている。同時に妻も全身を
私に奉仕している事も知っている私は、いづれにも奉仕できぬ私である。それで愛想つかすか。それはいやぢや。
我侭なやうぢやが私はさうなんぢや。 (『地獄は一定すみかぞかし』小説暁烏敏 石和鷹著 新潮社)
●わがままな自分を肯定してしまっている所に、暁烏は自己弁護の言葉としてまちがった使い方をしている。
「恋は善悪を超え、何がなんでも好きなんだ」、と『わが信念』の言葉を誤解して使っている。
あんまりおまへが苦しがるとどうしてよいやらわからなくなる。一層思ひきつた方がおまへがよい人と結婚して幸福になる
もしれんと思ふが、どんなにおまへがなやんでも、私が切なうても別れられぬのです。互になやみつつもかうして忍び逢ふ恋に
生きてゆくのが互の幸福と信じます。
とよ子と関係してから二人(妻ととよ子)に対する愛の重みを比べてみたが、どちらもすてられぬ自分がわかった。
● 何をしてもよいのだろうか? (歎異抄 第十三章)
「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」
↑
「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず」
親鸞は、一人も人を殺すことはできないという唯円に説く
●元々、善人に思っていても、何をしでかすかわからない存在と自己否定として使われている。
★ 清沢満之の人生を見ても、禁欲生活を送った人の言葉
暁烏は不倫を肯定しているのではないか?本来、清沢の「わが信念」の言葉は、自己否定として使われている。
清沢自体、善悪に縛られていた人。「わが信念」て善悪に縛られていた自分自身の解放があったのではないか?
暁烏には「世をいとうしるし」(聖典P567)があるか? 不倫を肯定している所に真宗の教えはない。
「私は、このようなわがままな男なんだ。愛想をつかされても仕方ないかもしれない。
でも、私を見捨てないでほしい。私はお前が好きなんだ」、と書かれていたら納得できたかもしれない。
この暁烏の恋文は、明らかに真宗の教えから逸脱している。この考えが都合のよい現在安住主義を
生み出している。もともと、昭和二十六年、本山の負債三千万円を一年で返済したバイタリティーある
暁烏には現在安住主義は似合わない。清沢は、不治の病である結核にかかり、結核を引き受けていく
現在安住主義にならざるを得なかった。清沢の人生を見れば、仕方のないことであったのではないか?
それが、清沢の人生における限界であり、偏りのある人生において、人それぞれの思想は生まれて
くるのかもしれない。その人の人生をトータルで見ながら、思想を考えていくことも大切なのではないか。
平成16年 9月 1日 真宗学とは何か
大学の三回生を迎える春休みに、伝道部の巡回伝道で富山に出かけた時に、『観無量寿経』の
中の「五体投地・求哀懺悔」という言葉に出遇い、イダイケ夫人が釈尊の教えに出遇った経験を
わが身で強く実感しました。(圓光寺HP参照) これが私にとっての回心(えしん)であったといっても
よいのかもしれません。それからの私は、日曜日には専修学院の講演会にも出席するようになり
ました。しかし、自分ではうぬぼれてはいけないとわかっていても、真宗の教えに出遇ったという
自負心を抑えることができなくなり、「教えに出遇わずして学んでいてはダメだ」と他の部員までも
批判するようになり、伝道部を去ることになりました。イダイケと同じように「懺悔したから浄土を
観せて下さい」と、回心を一つの条件にしてしまい、感動の私有化に陥ってしまったのです。
振り返れば、末那識(まなしき)[自己執着心・自己肯定心]に覆われているわが身が浮き彫りに
なったのです。
訓覇信雄氏は、「回心なくして真宗なし」と唱えられましたが、現代における回心とは宗祖(親鸞
聖人)の「雑行を棄てて本願に帰す」といった力強いものではなく、真宗の教えを学ぶ出発点に
立ったということではないでしょうか。そこに力みのある限り自力の執着心を離れることはできない
のです。宗祖自身も、さらに人生を振り返ったとき、「ひとたびの回心は本願に帰したことであった」
と、後々になって初めて自覚できたことであったかもしれません。
また、研究ということを考えてみても、知的関心を満たす研究心だけでは、それを得るための
エクスタシーに埋没してしまって、本来の悟りを求めようとする求道心、もしくは信仰心と、時には
相反し合うものとなりかねません。
真宗学とは、一般の人々が読まれても感銘を受け、なおかつ専門家が目を通しても魅力的な
論文を目指す学問でなくてはならないのです。これは非常に難解なことですが、様々な大学で
仏教学を学んでいるエリートたちが陥りやすい観念の世界から、仏道といういのちを呼び覚まさせ
ようという願い(本願)に基づいた学問でなくてはならないのです。私にその眼を与えて下さったのが、
法性法身より形を表した法蔵菩薩だったのです。真宗における求道心とは、法蔵菩薩と共に生き、
『大無量寿経』の中の仏道を求める法蔵菩薩道を歩むことであるといえます。個人個人の中で
法蔵菩薩道を歩むということが明らかにならなくては真宗とはいえないのではないでしょうか。
そこにこそ、「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」という宗祖の精神が
あるのです。
曾我量深先生は、米寿記念の講演会で「法蔵菩薩はアラヤ識である」と発表されました。その
心の奥底には「真宗学とは何か、法蔵菩薩をわが身に明らかにすることである」という問いかけが
含まれているように思います。その問いかけに関して、四つの例を出してみましょう。
清沢満之先生は、「わが信念」の中で
この自力の無効なることを信ずるには、私の智慧や思索の有りったけを尽くして、
その頭の挙げようのないようになることが必要である。・・・・・・・・・・論理や研究で
宗教を建立しようとしている間はこの難(宗教的信念が後から後から打ち壊わされる
こと)を免れませぬ ( )は筆者
と、単なる研究心ではだめであると述べられています。
また、正親含英先生は、「真宗学をやる人間は、田舎の人々の中に身をおくことを忘れると、
必ず失敗する」(『観経四帖疏講義』定善V 広瀬杲著 法蔵館)と指摘され、田舎の人々とは
一般の方々を指しています。真宗学とは「よしあしの文字をもしらぬひと」も学べる学問でなくては
なりません。
第三に、山折哲雄氏は『仏教とは何か』(中公新書)の中で、
若きアーナンダの徒よ。大学の仏教学の門を出たあとは、当の仏教学をあっさり宙空に
放り投げたらよいのだ。わずか数年の間にからだに侵みこんだ仏教学の幻影にこだわる
必要など毛頭ないのである。その幻影から真に解放されたとき、アーナンダの徒は
俗人シャカが立ったであろうスタートラインにはじめてつくことができるにちがいない。
と、大学の学問としての仏教学を棄てて、生身の問題解決に目を向けることを勧めています。そこに
こそ真宗学の原点があると感じます。
最後に、恩師である幡谷明先生も、大学を退官されるとき、「大学の真宗学の連中は観念的で、
わかりきったことばかり言っているので困る」と、今の真宗学の現状を歎かれていた姿が印象的
でした。山口益氏の影響を受けて仏教学の観点から真宗学を明らかにしようとされた師の功績が
真宗学ではあまり認められていないことを残念に思います。
私なりに、観念的とはどのようなことか考えてみますと、たとえば真宗では、自己・根源・要求・
願いという言葉を組み合わせれば、わかっていなくても説明できるのです。「自己の根源的な
要求に目覚めるのが、願いに生きることだ」と説明できても、自己とは何か、根源とは何か、
その要求とは何か、何も答えられない人も多いのです。真宗用語を説明する言葉だけが
先走っていて、わかっていないのにわかったつもりになっているという危険性があります。特に
根源ということも、人間のどこに根源があるのか、わかっていなくてもこの言葉を使うとわかった
ような気になるところに落とし穴があるように思います。西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」と
いう言葉もすごく都合のよい言葉で、矛盾しているものを勝手に一つにしてしまう魔法の言葉の
ように使われています。機の深信(救われるはずのない罪深きわが身)と法の深信(阿弥陀仏が
すべてを救う)、「救われないはずの私が救われる」これに西田哲学の絶対矛盾的自己同一を
持ってきて、機法一体を説明していますが、絶対矛盾的自己同一は悟りの世界から感得された
世界ではないかと思います。機の深信は、私自身が自覚できると錯覚しているようにも思います。
私が自分で機の深信をしたら、生きていくことは不可能であると思います。すべては、如来回向
より与えられたものだという自覚が必要です。そこまで来ると、自分が自分で理解するのではない、
「声なき声に耳を傾ける」「宗祖のおこころのみ知る」「それが世間的にまちがっていてもいただいた
ものは揺るがされることはない」という従来の学問を超えるところに真宗学はあるのかもしれません。
曾我先生が独自に「法蔵菩薩はアラヤ識である」と奇抜なことを言われました。「サンスクリットの
原語では、法蔵はアーカラで鉱脈という意味があり如来蔵思想に結びつけて考えることはできても、
妄識といわれるアラヤ識に結びつけて考えることはできない」と平川修氏の批判は有名です。
しかし、曾我量深選集を読んでいくと、「このアラヤ識はアマラ識でありアリヤ識でもある」と唯識
思想でも如来蔵思想を認めた唯識に基づいています。「法蔵菩薩アラヤ識論」には『大乗起信論』
が原点にあることは幡谷先生にも認めていただきました。
唯識のアラヤ識と言っても、私はどこでアラヤ識を知ることができるのかは疑問です。記憶の
総合体(総報の果体)があるという教えはすばらしいのですが、なぜそれを発見できたのでしょうか。
末那識というのは自分がかわいいのでよくわかります。アラヤ識というのは、仮に立てられたもので
あったのかもしれません。真宗において、それを自覚するには法蔵菩薩を立てることがわかりやすい
ということではないかと思います。真宗学において、曾我先生のような奇抜な発想が生まれて、
従来の仏教学を驚かすような独自の見解を楽しみにしているのは私だけでしょうか。
平成16年9月4日 真宗学について思うこと
金子大栄先生は、『真宗学序説』の中で、「真宗学は親鸞の学び方を学ぶ」と言われたのは非常に有名な
ことです。『教行信証』は、いろいろな経典の引用文から成り立ち、親鸞が自分で記された箇所(御自釈)は
引用文に比べたら非常に短いことに気づきます。私は、今「真仏土巻」を読んでいますが、『涅槃経』の引用が
たくさん出てきます。私は、親鸞が引用した箇所だけではなく、『涅槃経』そのものに触れたく、引用された文の
前後を注意深く読んでいます。そのような作業をしながら気づいたことは、『涅槃経』は、行巻、信巻、化身土巻に
も引用されて、信巻と化身土巻には、重複している文が引用されています。また、信巻の後半には『涅槃経』の
アジャセの物語がたくさん引用されていますから、『涅槃経』のアジャセの救いに注目しているのは重要なことです。
真宗学で問題になってくることは、親鸞はどのように『涅槃経』を読んだか、親鸞はどのように『華厳経』を
読んだか、という親鸞の視点に立つことだと思います。『涅槃経』『華厳経』に関しては、様々な仏教学者が研究さ
れていますが、親鸞はどのような視点で読んだのか、『教行信証』の引用文の中から親鸞のこころを探っていくと
いうのが真宗学ではないかと思います。金子先生の「親鸞の学び方を学ぶ」というのは、親鸞は様々な経典を
どのように読んでいったのか、探っていく必要があるという意味ではないでしょうか。
親鸞の学び方だけに固執するのは、了見が狭いのではないか、という疑問も生じてくるかもしれません。
しかし、『涅槃経』の引用文だけを探っていっても、的確に『教行信証』に引用されてあり、『涅槃経』の言わんと
していることをまとめあげてあるのではないか、という驚きすら感じます。元々、親鸞は「大乗の至極」を目指して
いるわけですから、仏教のエッセンスをすべて『教行信証』におさめようとしているのではないかとも感じます。
親鸞は自分の言葉だけでなく、様々な経・論・釈からの引用に心掛けたのは、仏説顕浄土真実教行信証文類・
仏説教行信証として表現したかったのではないかと思います。
曽我先生は「『法華経』『華厳経』『涅槃経』を素読でいいから読みなさい」と言われました。素読という中に
「経典の解釈書ではなく、原文を読みながら、親鸞はどのように感じられたのだろうか、いただきなさい」という
意味が込められていたと思います。そして、曽我先生は「最後には念仏しか残らないでしょう」と締めくくられました。
私たちは、どうしても念仏という答えのようなものを初めから想定してしまいますが、親鸞はどのような気持ちで
経典を読んでいったか、そのこころを探っていけば、仏教が伝えたかったことは何なのか、真摯な親鸞の姿勢の
中から答えは必ず返ってくる。それが、真宗学ではないかと思います。
平成16年9月16日 真宗学における問題点
『教行信証』の真仏土巻を読んでいくと、まず『涅槃経』の引用文が出てきます。最初、親鸞は順番に『涅槃経』を
引用して下さったと安心していました。ところが、四相品、四依品、聖行品、梵行品、徳王品まではよかったのですが、
師子吼品、迦葉品と来るところを、真仏土巻では、迦葉品、師子吼品と順番を逆に引用しているのです。早速、
幡谷先生にもお便りしたのですが、「横超慧日先生の本を読んでも書いてなかった。しばらく時間がかかりそうです」
と言われました。親鸞が、何故ここでは『涅槃経』の順番を逆にしたのか?問題が残ります。不思議なことに、
信巻の三一問答の信楽釈には、師子吼品、迦葉品と順番通り引用されています。しかも、この迦葉品の引用は
化身土巻にも重複して引用されてます。ただ、信巻の引用文は短いにも関わらず、化身土巻では迦葉品の引用は
長いのです。真仏土巻では、何故順番を逆にしたか、私は一つの答えを見つけました。ただ、ネットでは公表するのを
控えさせていただきたいと思います。
このような問題点を探ってくると、親鸞の『涅槃経』の読み方は少し変わっていると言えるのではないでしょうか?
曇鸞の書かれた『浄土論註』には、涅槃という言葉はありません。後の道綽、善導は『涅槃経』を大切にされています。
真仏土巻の最後の方には、善導の『観経疏』『法事讃』の引用で涅槃という言葉を表現されています。親鸞は、
『浄土論註』と『涅槃経』を結びつけて読もうとしているのです。証巻から真仏土巻の流れが一つになってきます。
真仏土巻の『涅槃経』の引用を基に、証巻の一番初めの御自釈を書かれているという発見をしました。
さらに、親鸞は単に涅槃ではなく、善導の「弥陀の妙果をば号して無上涅槃と曰う」(聖P321)と書かれた無上涅槃と
いう言葉を大切にされているのです。無上涅槃とは、「涅槃としての用(はたら)き」という意味を込めています。
「あえて涅槃に入っても、涅槃にとどまらない用き」法蔵菩薩としての還相としての用きを示していると言えます。
親鸞は『涅槃経』や『華厳経』の中にも法蔵菩薩としての用きを読み取ったのです。だからこそ、真宗は
「大乗の至極」と言われるのです。親鸞には「『大無量寿経』は一切の経典を宣暢し演説す」(聖典P5参照)という
感動があり、それを受けて「それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」と教巻の宣言に
なっていったと思います。親鸞の学び方を学ぶということは、親鸞の心を知るということではないでしょうか。
親鸞の読みの鋭さに感銘を受けないお方は、真宗学ということはわからないかもしれません。仏教学では、
問題にならないことが『涅槃経』一つとっても、引用の順番の逆ということで問題になってくるのです。
私の驚くことは、証巻の『浄土論註』の引用もしかり、真仏土巻の『涅槃経』の引用もしかり、親鸞の引用文を
読んでいくと、釈尊が『涅槃経』を説かれた真意がそれだけでよくわかってくる。『浄土論註』の心も自然とよく
わかってくるところに不思議な力があるのです。まさに横超と言えるかもしれません。
平成16年9月19日 親鸞における仏性とは
真宗では、「信心仏性」と言われています。これは、『教行信証』信巻の三一問答と言われる信楽釈の
『涅槃経』の引用文が基になっています。前回お話した師子吼品・迦葉品という順番で引用された師子吼品が
決め手になっているようです。「信心仏性」とは「信心そのものが仏性である」という意味で、詳しく記せば
「信心という用きそのものが仏の性(質)である」といただくべきです。仏性とは、仏になる可能性ではなく、
仏の用きそのもの(性質)なのです。道元は「一切衆生悉有仏性」という『涅槃経』のお言葉を「悉有は仏性なり」
と読まれました。では、親鸞はどう読んだのでしょうか?真宗学において、独自の読み替えで親鸞の真意を
表現していく必要があります。「一切衆生に悉く有るのが仏の性(質)である」と読み替えるのはどうでしょうか。
仏は、本来有るとか無いとか言うべきものではなく、有無を離れたものです。しかし、私たちが仏の願いを
感じる時、その用きは有るという認識の基に表現されなくてはなりません。如来の用きを感じる時には、
用きがあると感じる自分がいるわけです。その用きから出てきた言葉が、曽我量深先生の「如来我なり」と
いう自覚です。「如来は用きとなって我に表れる」という意味を含んでいると思います。しかし、如来の存在自体は
有無を離れているので「されど我は如来にあらず」と続いていくわけです。如来の用きを感じる自分とは何か、
それが法蔵菩薩であったのです。「如来我となるというは法蔵菩薩降誕のことなり」と、如来の用きを法蔵菩薩の
ご苦労に感じ取られた時、このような結論になったのでしょう。曽我先生がこのことに気づかれた原点には、
清沢満之先生の「絶対無限の妙用に乗託する」妙用というお言葉が頭に残っていたと思われます。
これらのことをふまえて、、
如来我を悲しみたまいて法蔵菩薩となりて出現せり
と噛み砕いていくのはいかがでしょうか。『教行信証』教巻には、『大無量寿経』の引用文があり、
如来、無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまう。世に出興するゆえは・・・・・・・・
如来に常に悲しまれている私がいる、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が
ためなりけり」(歎異抄 後序) 親鸞も法蔵菩薩のご苦労を感じられたお方であったわけです。この「親鸞一人が
ためなりけり」というお言葉の中から、親鸞独自の読み替えが行われて、私たち真宗門徒も、今親鸞が生きていたら
このように現代語で読み替えたであろうという精神を学んでいくのが真宗学ではないでしょうか。
平成十六年十月二十九日 仏性をわかりやすくすると
仏性は、男性とか女性と性が使われるように仏性(ぶっせい)と読むとわかりやすいかもしれません。
仏としての性質は、仏とは程遠い凡夫にはなかなか理解できないものです。それが、如来の願いとして
私に明らかになってくる。前回も引用したように「親鸞一人がためなりけり」といういただき方ができるか
どうかということでしょう。池山栄吉氏はよく「池山一人がためなりけり」と読まれました。皆様の苗字を
入れられると味わい深くなるかもしれません。
『涅槃経』は、対機説法として、広・略を巧みに使い、人によって説くことが違ってくることを問題とされて
います。釈尊は、「私はうそをついているように思われるかもしれないが、うそをついているのではない」とも
おっしゃられています。「ある」と言ったり「ない」と言ったりもしています。よく釈尊の心を知らなくては、何が
本当であるかはわからなくなってきます。
親鸞の『涅槃経』の読み方は独特です。真仏土巻の引用の最初の方に梵行品というのがあるのですが、
それから徳王品、迦葉品を引用してきて、また梵行品を引用しているのです。
「世尊、第一義諦をまた名づけて道とす、また菩提と名づく、また涅槃と名づく」と。(岩波P299・聖典P311)
この引用は、「善男子、道に二種あり。一つには常、二つには無常なり。・・・・・」(岩波P288・聖典P305)の
引用よりも、涅槃経では前の文をさらに『教行信証』で引用しなおしています。その意図は何故でしょうか?
それは、梵行品にも広(世諦)・略(第一義諦)について説かれているので、二度めの梵行品の引用の前に
ある迦葉品の
善男子、如来世尊、衆生のためのゆえに、広の中に略を説く、略の中に広を説く。第一義諦を説きて
世諦とす。世諦の法を説きて第一義諦とす、と。 (岩波P299・聖典P311)
から引き続いていると考えられます。つまり、迦葉品の広・略の書かれている文と梵行品の広・略の書かれた
文とを掛け合わせているのです。たぶん親鸞にとっては、梵行品と迦葉品が対応していると読まれたと思います。
このような読み方は、親鸞の読みの深さではないでしょうか?全然違う文章が対応していると読んでいるわけ
ですから、『涅槃経』を深くまで読み込まれている驚きを感じました。