序・歎異の精神
日本の仏教は、日本民族にそくした仏教であり、インドで釈迦が説いた仏教をあてはめることは少し無理があるように思います。日本では、原始時代から霊信仰(アニミズム)やおつげの宗教(シャーマニズム)に基づく神信仰が広まり、これは今日の死霊崇拝、祖先崇拝を生み出しています。
もともと仏教は、自然霊信仰であるアニミズムを否定していますが、日本の仏教はアニミズム化した仏教を受け継いでいます。そんな中で、親鸞は本来の釈迦の仏教に戻すために霊信仰を否定し、念仏に帰したといえます。
しかし、親鸞の教えを残すには民間信仰に迎合するしかなく、日本人の先祖供養という意識を認める中で法事や葬式を行うようになったといえます。親鸞の死後、寺を建て血縁相続を行い、親族間で争いが起こったりしたことは誠に歎かわしい限りであります。
そんな出来事を予言するかのように、本来の親鸞の教えと異なることを歎く歎異抄が書かれたのは、親鸞の死後、二十六年後ぐらいであると推定されます。作者は唯円ですが、この書物は「私が書いた」と名のりでるような一般的な書物ではなく、唯円自身も親鸞の心と異なることを歎き、泣く泣く筆をそめたものであります。そういう意味で私利私欲を越えた純粋な信仰書であり、なかなか作者が判明しませんでした。
歎異抄の根底には「歎異の精神」が流れており、他人を批判するのではなく、自らの信心が異なることを歎いた精神は、現代に生きる我々にとって、最も必要とされる精神なのではないでしょうか。自らの信心を常に見つめ直していこうとする精神は、私たちが自惚れることをどこまでも許さない精神であり、親鸞の求めた信心に近づこうと聞法し続ける力を与えるものであります。「歎異会」はこの「歎異の精神」に基づいて開かれた会なのです。
「歎異会」は、親鸞聖人の教えを聞こうと集まって下さった人全てを会員とします。それは、一度でも親鸞聖人の教えを聞こうという気持ちをおこして下さったことを大切にしたいからです。私の話を聞いて、つまらないから来なくなってしまったとしても、それは私に親鸞聖人の教えを伝える能力が無かったからであり、他に親鸞聖人の教えを求める縁を見つけていただきたいと思います。そういう気持ちも含めて、来てくださった方全てを会員としたいのです。「歎異の精神」に基づかなくては真宗の教えを明らかにすることはできませんし、そういう意味で「歎異抄」は貴重な書物であると思います。
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