2002年6月7月

 


 2002年7月30日 (火)  31日(水)

 

 私の通う図書館は、濃い藍色のタイルに覆われている。

 茶色黄色
のなまぬるい味のする冷たい飲み物を飲んだあと、

 本の詰まった箱のなかをゆらりと漂う。

 外は相変わらずの灼熱地獄だが、

 箱のなかはタイルの色と同じ温度である。

 みな上流階級の紳士淑女のように、もの言わず足音立てず、次第に色をなくして
透明
になる。

 彼らクラゲはいずれ陽光に溶けて消える運命にあった。

 軽やかな合図を聞くと箱を飛び出し、タコの内部に導く。

 青い青い
タコである。

 私は彼と、物心ついた頃からの深い仲にある。

 日が沈む
藍色
の空気に溶け込む色をした軟体動物は、その粘着質の吸盤で、ヒトの形を覆い隠す。

 「タコの内部はお気に召されましたか」

 「     」

 



 お望みならば、ご案内して差し上げましょう。

 私はただの案内人に過ぎません。

 

 久し振りに多くのひとと静かに楽しく呑めたのが素直に嬉しい。

 チョコレットとケエキをアリガトウ。

 にほひ袋をアリガトウ。



 私は最初から、尻尾を振り腹を見せているのですよ。

 

 


 2002年7月29日 (月)  次郎会と万年筆

 

 「万年筆が要りようだ」

 という話をしたら、

 今日次郎会(後ほど説明)から帰ったらお父さんが万年筆を買って来てくれていた。

 軸が紺と濃紺のマーブル模様に、金の留め金。学生らしい色の組み合わせ。

 お父さんから見るわたしのイメージなんだろうか。

 敬意を表して、今日の日記は万年筆色。

 ロイヤルブルーのインクが、きれい。

 「ムスメの最初の万年筆は、チチからのプレゼント。」

 なかなか粋です。

 何だか、万年筆で書いた文字は、線描に濃淡があって、文字ひとつで絵のよう。

 言い過ぎですか。

 大事にします、ありがとう

 

 「次郎会」とは「次郎亭」で飲む会です。

 一年ぶりくらいに行きましたが、次郎さんは私の顔を覚えていて声をかけてくれました。

 そして浴衣で行きました。

 スーツに着られないよう日常的にスーツを着て体に馴染ませようとしているひともいますが、

 浴衣も万年筆も日常的に身につけることが大事だと思う。

 その点浴衣は、かつて
着物を着て仕事していた
ので、

 着慣れしていると思う。今年はたくさん着ます。

 友人の、大変興味深い話を聞いた。

 おんなの子と数人でお酒飲むなんて久し振り、というよりほとんどない機会でした。

 沖縄ヤキソバ(塩ヤキソバ)が美味しい。

 太目の縮れ麺が美味しい。

 グワバジュースの泡盛割も美味しい。

 会いたい人に会えないのは残念ですが、楽しかったし、また会えます。

 ね。

 

 

 昨日のはなし。

 四、郎池で瞑想すると、赤と黒の鯉が跳ねる。

 
三、↑↓


 二、匹の亀が水面に浮いたり沈んだりしながら回遊する。

   鮮やかな色の羽をしたアヒルが

 一、直線にこちらに向かって泳いで来た。

 蝉しぐれ。


 

 


 2002年7月26日 (金)  



 これは生きている黒猫。

 私がしゃがむと近づいて来、立ちあがるとお座りする。

 礼儀正しい。

 老齢で、顎にぽつりと白い点がある。


 歩行者用通路、白線の上、アスファルトに背中を丸め横たわる黒猫を見かけた。

 近づくと黒ではなくこげ茶で、赤い首輪をしている。

 更に近づいてみれば、黒猫は人の気配にも耳動かさず、周囲には蝿が飛び回っていて、

 本当に眠っているような格好で、暑さのために、

 死んでいるのだった。

 猫は普通人気のない場所で死ぬものだけれど、彼自身にも全く予期できなかったらしい。

 避けもせず、死んでいる猫の脇を通り過ぎた。

 
 それから普段行かない図書館に行こうとした。

 散歩がてら。

 練馬区と中野区のふたつの、相反する方向に位置する図書館に行った。

 けれどどちらも休館日だった。

 ガッカリ。



 ケセラン・パサランを見かけた。

 もしかしたら植物の種かもしれないけれど、

 確認しようと思ったらコンタクトレンズにゴミがはいって痛かったので、

 痛みで追いかけることを忘れた。

 私はむかしケセラン・パサランを捕らえたことがある。

 それは確かに植物の種などではなかった。

 けれど、私はそれを引き千切った。

 麻糸のように強い繊維だった。



 麦藁帽子のおばあさんが自転車をこいでいた。

 子供らが八百屋の前で騒いでいた。

 おじいさんがオンナノコを抱いて散歩していた。

 とにかく暑かった。

 

 


 2002年7月25日 (木)  

 

 エミリ・ブロンテ「嵐が丘」読了。

 東京を一周する道路を、救急車の膨張したサイレンが通り抜けていく。

 昨日一昨日雨が降り、暑さが身を潜めている。

 風呂あがりの濡れた髪とTシャツと短パンの格好で

 近所のコンビニエンス・ストアまで買いに出かけた、チョコミントアイス。

 舌に残る、牛乳の腐ったような後味の悪さと、奇妙な爽快感。

 扇風機はかたちのない家族に風を送る。

 テレビ画面では、閉じられたバスの狭い空間で静かな殺し合い、女達の黄色い叫び声。



 今度ジブリ祭をする予定。

 「千と千尋の神隠し」「耳をすませば」必須、

 「紅の豚」

 「もののけ姫」

 「魔女の宅急便」



 ナウシカとトトロとラピュタは、小さい頃繰り返し見たので、後回し。

 それから「平成たぬき合戦ぽんぽこ」ってどうなんだろう?

 「海が聞こえる」は?

 ひとの意見も聞きたいところです。
 



 日本唯一のイスラエル料理の店を見つけたから今度食べに行きたい。

 


 2002年7月20日 (土)  

 

 寝転がって見上げる空の青さが、目に染みた。

 シェルターは薄い膜だから、指先で突つけば簡単に破れるほど頼りない。

 それでも警報が不快なサイレンを鳴らすたび、私は他人のシェルターにもぐりこむ。

 外から内に逃げ込んだが、今度は内が外になり新たに内が生じて延々内部に折り込まれていく。

 限りなく折り込まれて気がついたが、中身はからっぽである。

 南極2号か3号か、決して1号にはなり得ないが名前があるだけ良いと思う。

 少なくとも地面はあるから溶けたあとでダマサレタと憤慨されることもない。

 

 髪の毛を切ってみた。

 自分で切ったから鋏の入れ方も梳き方もかなりいい加減な、

 何の工夫もない、普通のおかっぱ。

 部屋にはまだ切り落とされた髪の毛が黒々と散乱していて、

 ひとつかみもない痛んだ毛髪に、私は一体何を期待していたのかしらと疑問に思う。

 アゴタ・クリストフ「悪童日記」読了。

 昨日は語学のクラスコンパで、4年間変わらない関係に安心して、懐かしく思った。

 


 2002年7月16日 (火)  みたままつり

 

 都会の巨大ビルオフィスに足を運び無機質な室内で検査されるが、泣きたくなる。

 カルテを書き込む女に「困りますよね」と呟かれても、

 自分だって自分は他人なのだ、と言い返したくなる。

 確かにほとんどの事情を把握しているのは事実だけれど、

 私のからだの中に私のなかみがあるというだけで、全てを正確に言い当てることなどできるはずがない。

 私について考えれば考えるほど、

 あのコズルイ女は指の隙間をすり抜け逃げてしまう。

 一向に先が見えずうんざりした気分でビルを出ると、外は灼熱地獄だった。

 黒い雨が激しく振り続いたあとは、火照りになり地面が干上がると何かの本に書かれていた。

 それでも蟻みたいに誰かの家の台所を這い回って、スリッパの角で叩き潰されるのを待つ。

 一週間前彼の手によって潰された蟻は、実はホームから線路に飛び降りた彼女だったかもしれない。

 私の蟻は今頃隠れて溶けかけたシャーベットの甘い汁を吸っている。

 蟻に盗られたたましいを取り戻さねばなるまい。

 だから火玉の連なる闇夜に歩みを向けた。

 揺れる火玉、照らす三日月、国歌敬唱、靖国参拝。

 あの見世物小屋には、まま母となるべき蛇女が鱗をぎらつかせて待っているのだろうか。

 だが私に新しい母は必要ないし、私も新しい母になる気は毛頭ない。

 血と一緒に蛇のタマゴも流れる。

 私の体には毒が充満しているから、いっそ全部下水に流してしまえばいいのに。

 身辺整理はまだ終わらない。

 古い屋敷の屋上で、真新しい眼球レンズに光のくずが反射する。

 悲しくなるほどきらきらしていた。

 


 2002年7月10日 (水)  台風

 

 目が覚めかけたとき、一間ほどの狭い庭に激しい雨音を聞いた。

 起きてしまおうかとも思ったが、

 
自律神経失調気味のわたしは、くもりか雨の日には体調がすぐれない。

 ほとんど醒めているけれど頭の芯が眠気を引き摺っているから、

 抗うこともせず睡魔のまえに体を投げ出している。

 台風の合間に授業があるに違いないから、時間になるまで何度でも睡魔に殺された。

 楽しんでいるわけでもないのだが、投げやりな気分であるのは確実である。

 トマトと茄子とひき肉とクリームチーズのパスタ。

 なぜパスタの長さが半分なのか、解せない。

 半分の時間を、わたしは眠って過ごしてしまったのかもしれない。

 あと二倍眠りつづけたらパスタはきっと燃え尽きて、

 運動会のおおだま送りに使う厚いビニル製の球に似た、大きな赤い爆弾に点火してしまうに違いない。

 そのときは睡魔も道連れにしてしまおう。

 

 近頃、よく食べます。

 いつからか、少なくとも不健康ダイエットを実行したころには、

 既に「楽しく食べる」ことに抵抗がありました。ひとくち何グラムを何円で買うのか、なんて考えた。

 お店で飲んだり食べたりする習慣がなかったからかしら、

 敢えて美味しい料理を金を出して食べたい、とも思いませんでした。

 ところが、近頃よく食べる。

 食事以上にお金を費やすべき対象が、なくなったからかな。

 昨日の夕食は、南欧料理屋に行きました。

 お洒落で若者向き。

 個人的には大衆的で古くて歴史ある由緒あるお店の方が好まいのですが。

 でもこれ、美味しかった。コースだったの。

 鯛のハーブ焼きが美味しかった。

 デザートなんてわたしひとりでほとんど食べてしまいました。

 うれしい。

 台風凄いです。

 台所でアイスコーヒー用のコーヒーを淹れているところに、

 開け放した窓から雨粒がぶわっと吹き込んでくる。

 化粧水のかわりにスプレー式の水を使っていますが、それと似た気分です。

 


 2002年7月7日 (日)  七夕かざり

 

 ソフトなのに4年使い続けいい加減視力矯正の機能を果たしていないコンタクトレンズを買い換えに

 池袋まで行き、赤いメガネの常盤貴子似の店員さんに接客してもらう。

 (今度はハードだから、目にも優しく、ケアも楽。落っことす危険度は増しますけれども)

 メガネ屋さんはメガネを商品と扱うためメガネ装着率が高い。

 メガネをかけていない店員さんはメガネのかわりにコンタクトレンズ装着が義務づけられているのかしら?

 と、「紅の豚」のビデオが繰り返し回されている待合室でうすぼんやり考えた。

 メガネ、優しく見えるメガネが欲しい。私メガネかけるとどうしても教育ママになるから。


 そのあと、ジュンク堂書店にて吉野朔実サイン会の様子を眺める。

 それから本屋をはしご。

 ☆☆★

 夜は夜で、あと数時間で七月七日も終わりだというのに笹を飾る。

 折り紙をはさみで切って、のりでわっかを繋げて、久し振りの工作。

 七夕を祝うなんて、小学校以来だ。

 友人の方々やおばあちゃんのお願いごとを短冊に代筆したりする。

 今日は風が強いので外に出したら飾りだけ飛んでいきそうだし、人様のお願い事を預かる以上

 無責任なこともできませんから、室内で飾ります。

 
★☆☆

 でも七夕って本当は恋人どうしのための日なのでしょうね。再会の日ですから。

 クリスマスより余程大切にすべき日かもしれませんね、世のカップルのためには。

 だから祝いましょう。

 


 2002年7月6日 (土)  朝顔市

 

 入谷鬼子母神の朝顔市に、朝六時起きして行って来ました。

 鶯谷から徒歩5分。歩く道すがら朝顔の鉢を提げた方々とすれ違う。

 即席アーケードの下には、六十件ほどの朝顔農家が鉢を所狭しと並べてイモ洗いの如く行き交う客に、

 自分の育てた朝顔をアピールしている訳で、

 朝顔は素直にきれいとは言い難く、弱弱しくてすぐに萎んでしまうのだけれど、

 薄青いのや薄いえんじ色みたいな微妙な色合いのは、いいものです。

 朝顔の良さというのは、

  自分で育てて一日一日ツルが伸びていくのを見る様子や、蕾を見て明日咲くか明日咲くか?

 と胸躍らせて観察するところにあり、(朝顔は咲いたらその日の午前中しか楽しめませんし、

 一斉に花開くわけでもなく、ツルは日々伸び続け変化しますから)

 すでに花咲かせたものを買って愛でるものでもないなあ、と思います。

 でも写真見るときれいに写っていますね。

 それから上野に移動して、「シャガール展」か「韓国の秘宝展」かどちらか見ましょうか、となりましたが、

 どちらも特別見たいというほどのものではない、という結論に達し、

 国際こども図書館で、絵本をめくることになった。

 幼い頃読む絵本や児童文学というのは幾らか共通するもので、楽しい。

 それになぜだか記憶に残っているのは登場するたべものばかりで、その美味しそうな場面ばかり追う。

 「百万回いきたねこ」と「おじさんの傘」を書いたのは、同じひとでした。

 不忍池をふらふらと散歩して、いろいろ食べた。


 朝早く起きると一日が長い、当たり前のことですけれど。出不精なのですが偶に外出も、良いものです。

 読みかけの本を早く読みたかったのだけれど、疲れてそれどころではありませんでした。

 


 2002年7月5日 (金)  

 

 今日は久し振りに学校へ行く。夏の匂いがした。

 財布を家に忘れて、最寄駅から自宅まで一度引き帰す。習慣が薄れている。

 なぜものを書くか?私の場合は@とAで、足してももの書きひとりに足らないくらい。

 ヘアサロンの前にポスターの出ていた古道具屋を探したけれど、記憶の地図が曖昧で、みつからず。

 幼い頃頻繁に通った手芸品店が潰れたとばかり思っていたのに

  近所に移転していたことを知ったのはごく最近で、

 10年以上の空白ののち、初めて足を運んだ。

 品揃えもディスプレイも思い出す限りほとんど変わりないが、

 昔は背の丈ほどあると感じた棚も、胸の高さにも達しなかった。

 切り売りの綿プリント地と、フェルトを二枚買った。

 帰り道、母親の運転する自転車の後ろに乗った幼稚園児が小さな笹を手にしているのをみて、

 もうすぐ七夕だったと気づく。そういえば小学生以来七夕など遠かった。

 花屋を覗くも葉もまばらな惨めな様子の笹が一本450円で、

 浴室にあるユッカエレファンティぺスに飾りつけするのでもいいか、と思って歩いていたら、

 小料理屋の脇に立派な笹が何本も立て掛けてあり、

 「ご自由にお持ち下さい」の札がある。

 なんとも粋なサービスだと、ゆさゆさ揺らして家に帰る。

 居間に置いてあるのだけれど、天井に届くほど大きい。

 明日、時間のあるときに飾りを作ろうと思う。けれど「天の川」以外の飾りってどう作るのだっけ?

 夜は買った布でブックカバーを縫った。

 ちくちくと刺し子みたいに縫うのが楽しい。手芸するのは久方振り。

 むかし作ったものはもう手元にないけれど、何やら不要なものをたくさん作ったものだった。

 それから箪笥に仕舞いこんでいたらたぶん面倒臭がって着ないだろうと、浴衣を出しておく。

 母の浴衣を譲り受けた。祖母が縫ったもの。おろしたてで藍が濃い。そして黄色い帯と、鼻緒の赤い下駄と。

 巾着が欲しいのだけど、明日もしきちんと起きられて出かけることができたら、見てこようと思う。

 


 2002年7月2日 (火)  さくらんぼについて

 

 限りなく昼に近い朝ごはんと、カクテル。

 さくらんぼがたくさん。

 ちょうど季節なのですね。

 自分用ではない、ひとにあげるためのさくらんぼは、ふつうに甘いだけではなく、

 つややかで、可愛らしい。

 そんな綺麗なさくらんぼが器に山盛りですから、嬉しいものでした。

 カクテルはパイナップルジュースと、マイヤーズのラム。

 砂糖漬けではない、なまのさくらんぼを沈める。

 綺麗な赤色でした。

 


 2002年6月29日 (土) 〜 6月30日 (日)  靴とばらの花

 

 靴を購入しました。

 ヒールの華奢な、黒い牛革の、細い紐で足首を留める、すこしおとなな様子の靴です。

 今まで持ったことのない類の靴。

 踵がなく疲れず履きやすい靴・着心地が良くシンプルで着ていることに捕われない服

 無理なく着こなせる、体と一体化する等身大の服・靴

 服も靴も無理のないものが良いですが、気楽すぎて輪郭がぼやけるのは避けたいものです。

 一緒に買物に出掛けた母は、大変仕立ての良い靴を奮発して購入。

 足の大きさが同じならいずれ母の靴たちを譲り受けたいのですが、無理です。履けません。

 江古田に、大変良い鞄屋があります。

 街に不釣合いなほど良い店です。鞄も、靴も、小物も、洋服も、素敵です。仕立てもデザインも文句ありません。

 百貨店中捜して寄せ集めた自分の好みのものが、凝縮されているような品揃え。

 心が豊かになりますが、静まったはずの物欲が刺激されて、参ります。


 ☆☆☆



 「すごいこと、するよ」

 電話の向こうで声が誘うから、私は大久保駅終着の地下鉄に飛び乗った。

 
いよいよパン屋襲撃かと胸を膨らませ時間通り指定場所に辿り着いたが、

 腕時計も携帯時計も体内時計もくるった彼らは、およそ四十三分過ぎたころ私を迎えに来た。

 私は待つことにはいい加減疲れていたから、そのときチキンの骨をしゃぶっていた。

 彼らは大勢で寄り集まって手のひら大のテレビ画面を見つめる。

 蹴り合う玉は、楊枝の先ほど小さいのに。

 ココナッツの麺やアンチョビーと海老ソースの生野菜、ビーフンなどを口に運び、ビールを飲む。

 五粒の豆がひとつづつ網にかかるたび沸きあがる異国の言葉の歓声を聞きながら、

 私は頭のなかの取るに足らない、たすきに短い物思いの糸屑を掃除した。

 それから歌う。

 神秘的なふりをした壁が四面を囲う密室で、夜が明けるまで歌を歌う。

 肩を組んで謳歌する。

 電話の声が言った「すごいこと」は、気づかぬうちに終わってしまったのだろうか?

 兎角そんなものだろう。

 小雨の降りしきるなか、ばらの花が、丸く透明な雫を花びらのあいだに溜めている。

 ときどき重さに耐えられずに、雫の玉が零れ落ちた。

 それらはきっと塩辛い味がする。

 時雨の曖昧な天気のしたでは、日曜日の朝の舗道にはもの言わぬ影がいくつか通り過ぎるだけで、

 ひとはみな紫陽花の薄青い花に姿を変えて私を見送るのだった。

 飽和状態に水を含んだ空気が、木の葉や苔や、寝起きのあとに似た懐かしい優しい匂いを運んでくる。

 傘の重みや乾いた皮膚の感触や、転がり落ちるとめどない会話の切れ端や、方向性のない霧雨や、

 頭のすみの糸屑が繋がりそうで繋がらずに絡み合っていた。

 梔子の甘い甘い香に、いささか酔ったのかもしれない。

 いつもの部屋に帰り着いたら、きちんとした生活をしたいと考えていた。

 さしあたり昨日の朝抜け出したままのベッドと、こんがり焼いたトーストと、香ばしいコーヒーを、

 自分のために用意しよう。

 ひとりぶん。


 ★★★


 目覚めたら遅い夕方で、少しもったいない気がしました。

 高田馬場では器量の良い黒猫を、落合の住宅のベランダに灰黒のトラ猫を、野方では用を足している最中の

 不細工なブチ猫を見つけた猫日和。