2002年12月
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●20021231 大晦日 一年前に感じたり考えたことが、これほど明確に思い出せる年は、なかった。 無意識な時間の長さに、圧倒される。 新しい物事の可能性を、たくさん探して、見て、聞いて、試して、 今後もしばらく試験紙のような時期は続くだろうと思いながら、 意識して過ごす時間を、去年より今年、今年よりは来年、 できる範囲で、能力を過信することなく、増やしていければ良い。とか。ほんと。 一年前始めた慣れなかったものに馴染んできた最近。 毎年の大晦日のように、 お風呂を水浸しにして洗い流して、 意味もなく紅白歌合戦を見て、 行く年来る年を見て、 蕎麦食べて、 温かい居間で読み途中の本を読みながら、 気配を感じる。 明確でないものが望むものだったり 憂いる原因だったり とか、 かたちないなかの分散した粒子のようなものごとを 重ねていけばなにか見つかるだろうと そんな楽天的のような考えかたも それだからおまえは駄目なんだよとまた誰かに言われそうな。 取り敢えずは目先のことで、 あとからなにかかたちを与えられることも確かにあった。 ある意味なにがあるのか良くわからない宝箱みたいなのも、それはいい。 つぎはぎみたいに。それは、それなりの秩序がある。 その時々したいことをできるならいいと思い、 続かないからやめなさいといって出鼻を挫くのはやめて欲しいものです。 ホームページもなんだかんだきれぎれに続いているわけです。 たぶんなにかを期待し過ぎることがないから、今のかたちが、いちばんしっくりくる。 2002年はお世話になったひともならなかったひとも 迷惑をかけたひとも傷つけたひとも傷つけられたひとも 楽しい時間を過ごせたひとやいま一歩踏みこめずにいたひとや 着実に一歩づつ近づいているひとや一段二段上に昇ってしまったひとや 来年どこかに一緒に行くひととか、 ありがとうございました。 2003年もよろしくお願い致します。 ●20021230 ロシアの哀愁 レニングラード国立歌劇場管弦楽団によオーケストラ、「ロシアの哀愁」を聴きに渋谷文化村へ。誘ってくれてほんとうにありがとう。なかなかない、良い機会でした。しかもS席だなんて。演奏も素敵でした。感覚的なことしか言えないのが勿体ないような。音の粒子が細かくて、細かな砂粒で描く絵のように、隙間がない。揃えた紙の縁のように、滑らかに、揃う。最初はうまいこと音が体に溶け込んでこないのだけれど、次第に、音楽自体も鮮明になっていき、こころの隙間に、差し込まれるような、呑まれるような感覚を覚える。好きだったのは第1部のラフマニノフとボロディン、特に第二部はじめのハチャトリアン。普段聴かないタイプのクラシック、動きのある音楽で、面白かったです。あっという間の2時間でした。 アンドレイ・アニハーノフ指揮 第1部 グリンカ:「ルスランとリュドミラ」より序曲 チャイコフスキー:「冬の日の幻想」op.13-2 ラフマニノフ:交響曲第2番より〜第3楽章〜 ボロディン:ダッタン人の踊り
(歌劇「イーゴリ公」より) 第二部 ハチャトリアン:「仮面舞踏会」よりワルツ ハチャトリアン:「ガヤネー」より 〜若い娘たちの踊り、子守歌、剣の舞〜 スヴィリドフ:組曲「吹雪」より 〜トロイカ、ロマンス、ワルツ〜 チャイコフスキー:スラブ行進曲 その後ドゥ・マゴにてお茶、ブックファーストにてジョルジュ・バタイユ「マダムエドワルダ」角川文庫、「マンスフィールド短編集」ちくま文庫を購入。バタイユはジュンク堂でもリブロでも品切れだったのに大量に入荷してた。 去年に劣らず、素敵な年末。 明日はもう大晦日。 ●20021229 BookReviewと銘打ちながら本の話がありません。今更ですが「罪と罰」読み途中です。文芸専修四年目にして。 ラナンキュラスの、炎のかたちをした球根を、ビニル袋の中で湿らせている。植木鉢に土を盛ったので、ニ、三日中に植えつけ。小学校六年間毎年菊の花を育てていたのを思い出し、やはり花は良い。とか思う。 ●20021228 午前中病院に行く。土曜日の午前中で今年最後の診療日とあれば混むのも当たり前で、一時間半の待ち時間に対し診察自体は十分で、まあ仕方無いか。なんとも皮膚が弱くて困る。ひどいかぶれ。見えないところで、トラブルが多い。日常生活に支障はないのだけれど、処方された薬が足りなさそうで、しかもなんだか効いていないようで、また高い診察料払うのも嫌だなとか。 夜、針金を曲げながら「赤ひげ」見ていた。身体的なものより精神的なものに重点を置き、ひとの生きかただとか、なかなか良い企画だな、と思いつつ、よかった。そのあとNHKで途中から見たサスペンス「青き復讐の花」、これはまた映像が凝っている。乱れ編みの鳥篭、新聞紙の菱形の穴から覗く女の顔、青い花のふぶき、廃船のなかで網に絡まる怪我をした男と、波打ち際の網に絡まる怪我した鳥の対比、とか。男が自分の罪を告白するとき、 男「僕はひとを殺した」 女「髪が伸びたね」 台詞の対比、あるいは愛した男への、女の最後の復讐が、自分がいなくなることだったとか。サスペンスだから題材はいただけず、ラストシーンの青い花びらもつくり過ぎだけど、小道具のいちいちが、良い。 ●20021227 昼過ぎに飯田橋のJTBに行き、申し込み。昼食は紀の善にて。 その後仕事。シャンパンとチョコレートケーキを賜る。撮影で使用した花をいただく。小さな幸せが多い日でした。
昨日十二年越しの版木で刷った年賀状。 昔は毎年版画をする習慣があり、なんとなく、今年は復活させてみる。中学の時彫った版木は、一枚完成させるのになんと8枚刷らねばならない。美術(工芸)の時間のたび、難儀なことをする。いまは週二時間の習慣もなくなってしまったな。 今日午前中にパスポートの申請に行き、そのあと仕事。 途中花の種、球根のような、種のような、を買う。 ラナンキュラス。 お茶の水で骨董屋を見つけ、仕事までの間物色、来月閉店ゆえセールといえど、値段変わらず、オンナノコ向けの品が多いので、また誕生日にでも、奮発してもいいかもしれないと、思ったりした。 ●20021223〜24 夜半過ぎ某家にて、日本酒(中)持参。 翌朝某家から凍てつく空気のなか仕事に出掛け、撮影補佐。雑用。 スタジオからは東京タワーが見えた。 「ビルに点滅する赤いひかりは、クリスマス・イルミネーションなの?」 「いや…ある程度高い建物には、飛行機が突っ込まないように、ひかりで合図することを義務付けられているんだよ。」 そっか…。 社員の方やカメラマンさんやスタジオのひとたちの優しさが、心にひどく染みる一日であります。帰り道、懐が温かくなったので、なにか良いものを買って帰ろうかとお茶の水の、角の花屋に立ち寄ったら、バラの花束を作って貰っている男のひとを見た。やるなあオイ。口笛吹きたい気分ね。池袋でジュンク堂に寄り、藤田嗣治の画集のパンフだけ貰う。パンフだからといって、侮ってはいけないよ。 種から育ててきれいな花を咲かせたいものでした。 あなたには無理よと言われても。まずは植物から…。 ●20021223 「オーランドー ある伝記」 ヴァージニア・ウルフ みすず書房 伝記として読み始めてはいけないです。著者は一貫して伝記を書く姿勢を示しているけれど、現在から俯瞰して見た過去の事実だけでなく、オーランドーの意識深くまで、潜り込んでいく。16世紀から20世紀までの三百年間、オーランドーの16歳から39歳に至るまで。なお彼は、彼女は、中途意識の狭間で男性から女性に性転換する。幾つかの文脈で、女性性、男性性に言及する場面も、多い。 詩人と成ることを夢見ながら、挫折を味わい、冒険を繰り返して、書いては消し、草稿を重ね、三百年の月日をかけて描いたもの。トルコの大自然の中で、ジプシーの頭領が語ったことば、削り落とされた、余分なものもの、最終的に手に入れた名声など、財産など、樫の木の下に埋葬する儀式すら、詩の価値にはなんら関わりがないのだという姿勢。 「実際、私たちのもっとも激しい情熱のすべてや、芸術や宗教は、現象の世界がしばし暗くなるとき、頭のうしろの暗い繁みに見える映像だ、というひとたちがいる。」
●20021222 色とりどりのガラス玉を針金で繋いで、ランプシェードを作る。重みのために多少歪みが目立つけれど、光を灯すと、万華鏡のようになる。それは、たいそう綺麗。 バルテュスのカレンダーを作りました。プリントアウトするだけで使えます。昨年亡くなった二十世紀を代表するフランスの具象画家。画集が欲しいのですがお目にかかれず。第一スキャナーもないのでネット上で画像を探しまわりました。ゆえに不都合もあるかもしれない。
●20021219〜20 温泉ツアー@那須高原 パーキングから見上げた紺碧の夜空には、満月、周りには月輪が、完璧なまるさで、はかない、おぼろげな曲線を描いていた。血管が、茹で過ぎた素麺のようにぶちぶち切れて、「どんなにうるさくしても構わない」一軒家の中で、それはひとの声でもない、それは獣に限りなく近い、騒音ともいいがたいメッセージのある、ことばを音符にのせて、発する。 Glenfidich、Ezra12year、ゆとり。 キャノンボール 「僕は死ぬように生きていたくはない」 「そこで愛が待つゆえに。」
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12月6日(金)
日本語のはなし 澄、住、済、炭
繋がる
澄明な世界、住処、文学
金パチが泣いてる
創
つくるだけでない傷のはなし
満身創痍、判創膏
きずのあるひとがものをつくる
机のうえを飛び跳ねる蜘蛛が越えていった。
12月5日(木)
昨夜は海亀塾の総合忘年会@ナガニ
兼 宮内勝典先生「金色の虎」出版記念
集団で話すのは苦手といいながらメコンはおいしくてタイ産ウィスキーもまたおいしくて
気づいたら12時だった。
久し振りにかなり酔ったなあ。これは人酔い。
なぜ何者かになろうとするかの核の部分という話をしたようなしないような。
酔っ払った時に真剣な話は無理です。みんな凄いな。と脇にいて思いました。思考が回転しません。ふだんからしてません。
平凡からの脱却のためと申しておく。
みんななんのために小説を書いているのだろう。
個人主義街道をひた走る私は自分のため以外の何でもなかった。
ただ気持ち良いから書く。
これではマスターベーションと同じですが、オナニーショウぐらいに、他者のための役割もあるわけで。
客観性はなくしていないはず。
でも書いていて一貫したメモがあり、それが言いたいことなのかと思えばそれも曖昧で。
ただ主張はある。いろいろうるさい。
空気の狭間に感じるような、そんなもの。
均衡の崩れたもの。
某家もまたカオスというかひとりカオスというか日本語を理解するレベルではなかったので音楽を奏でて綺麗に伸ばした爪を折ったり。
朝七時ごろフォークソング(島唄)を奏でるなか某家を出たのち空いた大江戸線と西武線を乗り継ぎ友人宅へ行く。
初訪問。
うどんを囲む。
ウッドベース本物はじめて見た。あれ使いこなせたらバンドとしてかなり格好よい。
やはり低音で響きをだすにはあの大きさが最低必要なんだなあと奏でる様子を眺めて思った。
ソファによい具合におさまって睡眠。中途移動。さらに眠る。
ひとは追いつめられるほどに隅に行く。卒論はウナギの寝床で書くしベテラン作家は〆切間際ではトイレで書くとか。
夜まで寝ていた。
鏡を見たら肌荒れがひどかった。
血が赤黒い。
話した言葉の断片。
零れ落ちる感じ。
昨日も今日も書いてない。困った。まったく自制がない。いろいろのことに。
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12月3日(火)
焼き直しにはいる。
趣味と題材に新しい本を買った。
「人形作家」四谷シモン 講談社現代新書。
優しい本だからすぐ読める。
なにかをつくるために専門的技術を習うということを今だかつて実感とともに経験したことがなく、
かれの死ぬ前に習いに行きたいということを考えており、
でももう卒業だった。
後回しにしたら結局しないということを喋っていたけれど後回しにできるということは結局それほど重要でないわけで、
たまたまいま書いているからという理由で盛りあがっているだけだろうと考えるのも淋しく、
一度いってみようと考えている。考えているだけ。
みんな死んでしまったか、手が届かないかどちらかで、門戸が解放されているならね。
大おじのアトリエも行っておきたい。
日展の絵は、木で、わたしはそれがどこの木だかも知らない。
リアルとアンリアルのはなし
スクリーンに泣く女のリアリティ
男女 cf.荷物
ジンロ、メコン@ナガニ
作った人形(ハダカ)の国籍というのはどう判断するんだろうとかいうことを考えてた。
白人の場合チェコとかドイツとか。
イメージなのかなあ。
「ドイツの少年」はあれど、「アメリカ人の少年」はなかなかない。
「日本の少年」よりは「中国の少年」のほうがありうる。
アメリカ人という人種への憧れが、文明を生み出す役割を担う先進国間には薄いからかしら、とか。
かれの人形は普通曖昧にされる性器があって、特に男の人形にあるのね。
マネキンなんかも一時期流行したリアルマネキンでも、いくら乳頭はリアルにつくられたとはいえ、やはり自粛されたのだと思う。
自分と同型の性器が氾濫するのは怖いだろう。生殖能力がないとはいえ。
だから曖昧な膨らみでごまかすわけ。
掘佳子とか写真集出している人形作家も男の人形はなくて、女人形には乳頭も性器もある。
形状が秘められているから、女性の場合作りやすいのかもしれない、作る段階で恥、照れがない。
一般に話題として男性性器というのはとかく多くを語られがちなんだけど
実際に形を模造する場合、独立した器官ではなく体の一部とされる場合、どうしてかくも省略されがちなんだろう。
突出しているからか。
切り落とす。
切り落とされる。
肉体関係は絶対の信頼関係で成り立っているなということは今日の批評で考えていて、
愛しながら殺せるな。
狂気・狂喜・凶器