2003年1月

●20030131
 原宿は東郷神社近くのマタニティーウェア「アンジェリーベ」のお店「アンジェ」にて。
 妊婦さんの撮影会。
 おそい昼食と夕食は「アジアンカフェ」にてホットワインとおじや。
 今とてもワタリウム美術館に行きたいのですが、今日は無理でした。


●20030127
 昨日の誕生日にメールをくださった方々、どうもありがとうございます。
 日々精進です。今年も、どうぞよろしくお願い致します。(新年の挨拶みたいね)
 だれかの特別な日を祝ったり祝われたりするのは、嬉しい。

 ドイツ語のクラスの友達と、久し振りにお酒を汲み交わす。四年の付き合いは、なんとも気安くて、楽しい。花の鉢植えをいただきました。つぼみがたくさんついています。ピンク色の。(名前捜索中)予期せぬことに、自分でも驚くほど嬉しかったです。

 あと1週間だから、行きたいところをまとめてますが、墓ばっかりです。公園とか。河とか。寺とか。古本屋とか。食べ物もパンとチーズとワインとコーヒーだけで良いし、滞在中花を飾っておきたい。古城に行きたいんだが、車ないとむつかしいかな。
 寒いから帽子も編んだし、暖かい洋服も購入して、どういった時間を過ごしたいか、ということに思案して計画を立てるのは嬉しい。と、始めて気づく旅行前の楽しさよ。要は金、ついで時間なので、両方都合のよい時期などなかなか少ない。

●20030125
 大層な洋服持ちになる。
 コートなんかニ着も。若草色。めづらしく着て嬉しい洋服がたくさん。
 天気も良くてどうしても食べたかったから久し振りにホットケーキを焼いたのに、父、弟の分は上手にできて自分のだけ失敗した。こんなのホットケーキぢゃないと結局食べずに父に押しつけて、大人気なさとか、幼さとか思いながら、母が黙って焼いてくれたクレープに、嬉しいやらで、悲しくなったりとか。土曜日です。
 こちこち鉤針編みで帽子など編んでいる。
 白金台とか行こうかなと思ったのだけれど、北風がひどく冷たかった。


●20030123
 芝生って、重い。
 撮影で使用した芝生はわざわざ神戸から取り寄せたらしい。湿気を含んで、両腕でも持ち上げられない。腰、死ぬ。口を閉じたビニル袋の内側は、白く曇っていた。呼吸しているのです。
 昨日出窓の鉢植えの花が芽を出した。
 ひどかった鼻は、だいぶ調子を取り戻した。


●20030121 ひとりごと(大衆向け)
 ひとと一緒にいたくないのにいないともったいないと思ったりするときは誰にでもあることで、いつでも一緒に誰かがいないとイヤとかのたまう女とか信用できないのだが、ひとりの時間大切よねとか当たり前のことを諭す女はなおさら鼻持ちならないのだが、今日なんか勝手に端っこで読んでいたり(@高田馬場ミャンマー料理屋ナガニ)中途抜け出したり(@早稲田通りベローチェ)、ふたつに分裂してしまいたいなあとか思っていた。それはたぶん寒かったから。勝手でごめんね。接待のための飲み会とか耐えられないかも。
 飲み会といえば昔から夜あるいは夜中出歩くのが怖くてというより言いようのない不安があって、気分が悪くなったりするのだった。それがここしばらく落ち着いてきたと思ったらまた再発。痩せている時期はわりと平気だったのだけれど、胃の中にものがある状態が怖いのかも知れぬ。駅のトイレから出られなくなったりするので困る。夜遅い終電間近の満員電車とか怖い。吐くかもしれないというのが怖くて、怖いと思うから気分が悪いような気がしてくる。飛行機での長旅が怖いというのも同様の理由からで、閉塞空間でパニック起こしたらどうしようとか。狭い場所が落ち着くくせに怖いというのは未熟児時代にガラスの保育器に二ヶ月弱いたことの(これこそ本物の)トラウマかも知れぬ(記憶にあるものごとは正式にはトラウマとは言わないのですよアナタ)。そのほかもろもろの発作的な不安を、根本から支えてくれというのではなくて、一言「へいきへいき」と言って貰うだけで「へいきかも」と安心できるような揺るぎない信頼関係を築けるひとが脇にいたらいいのに、とか、思うのよね近頃。
 今日は自分のことでした。

 日常のしあわせと世界のしあわせが同レベルにあると良い。

 
●20030120 金子國義展 メトロポリタン展
 金子國義展「絵画の彼方へ」は22日が最終日なので、勇んで渋谷は文化村へ。文化村ギャラリーにて入場無料。新作以外にも過去の油彩が多く展示されていて、「ヘアーカット」「花咲く乙女たち」などなど、実物を見たい見たいと思っていた作品を見られたので良かった。20×30くらいの小さな額が欲しいと思ったけれど如何せん桁が違う。そのうち。次回は稲垣足穂の挿絵を描いた大月雄二郎展。でもきっと行けない。
 そしてこちらも行こうと思っていたメトロポリタン展「ピカソとエコール・ド・パリ」。
 目的はバルテュス「山」「テレーズ」。「山」は終盤、壁一面を占める大作。ほかアンリ・ルソー「ライオンの食事」。マティス、ピカソ、ブラック、モディリアーニ。シャガール「恋人たち」とローランサンが並んで一点づつ、色調の強い作品のなか目をひかれる。ただ思うのは美術館所蔵の絵画展というのは、展示作品の統一感に欠けるから、会場のひとつの雰囲気のようなもの、まとまった空気が形作られていない。その意味でサルガド展は印象に残るものだったと思う。それが展覧会の成功とか失敗を判断するのか。ただ本物を見るということ自体は大事だし、その点見たい絵を見られたから良かった。
 文化村の展覧会は、広さの問題もあるのだけれど、「手におえない」ということがない。大抵残さず吸収できるくらいの、適度な匙加減がうれしい。
 


 有田焼の皿が安かったので5枚買って帰る。普段使いにちょうど良い。舶来風で、パイプを吹かしている間抜けな道化師と大型船の縁模様。
 昨日編んだピンク色の毛糸の、バラの花のコサージュをマフラーに留めて。


●20030117 
 高橋たか子「誘惑者」、講談社
 大島弓子「バナナブレッドのプティング」、白泉社
 読了。

 高校時代の友人と早稲田のカフェ・ゴトウにて久方振りに会う。当然チーズケーキもいただく。帰りにインクとペンを買う。たまには色物が良かろうと、みどり色。透き通るような。 


 ●20030115 巴有吾有(パウアウ) 泣く
 海亀塾も残すところ一日。
 昼過ぎに旅行代理店に行き、保険などの手続き。昨日の疲れから待ち合わせを一時間遅らせてもらう始末。昨日は少々貧血の気があった。
 飯田橋にある喫茶店、巴有吾有(パウアウ)にてコーヒーをいただく。マンダリン。椿屋と同じく、一杯づつサイフォンで淹れ、目前でカップに注がれる。種類が豊富。良いお店を教えてもらいました。ありがとう。内装がすてき。座ったテーブルには足踏みミシンがあった。照明が薄暗く、一つ一つ違う。昼なのに隠れ屋風。おすすめ。今度はギンレイホールも行く。
 その後学校に行き講義を受け、試験。一度も参加したことのない講義で、プリントもノートもないまま問題を解く。日本語文章の読み解きを説明するのがこれほど難儀とは思わなかった。それでも書く。
 閉店までベローチェにて話をする。さまざま。文学全般及びエロティシズムについて。
 先生からうちの父に署名本を賜る。
 少々疲れて授業中に涙が零れたりとか。
 男性における生理現象みたいに、涙とは定期的に排泄しないといけないものかも知れぬ。夜布団の中で泣いたりするときがあるけれど、まさに。ある男の子は「泣く時はひとりで押入れの中で。」といっていたが、隠された行為ということ、ある種の感情の開放(爆発)であること、意思と関わりなく定期的に強い衝動が訪れること、快楽であること、などなど、共通点が多い、とかぼんやり思う。すると女の武器であるところの涙は、男に対する性的なアピールであるのに間違いないわけで。涙は最後の手段というけれど、最後の手段が肉体ともいう。すなわち涙=肉体。とか。云々。では涙もろい私とかその他の婦女子は乙女にはなり得ないのでしょうか。
 

●20030114 健康診断とイスラエル料理屋「シャマイム」
 入社前の健康診断で、会社に行く。血をとられる。
 血管見えないのねえ、と右腕左腕と擦ったり揉んだりされて焦らされたあげく「平気かな…」などと呟きながら注射器を刺すものだから、こちらは気が気ではないのです。こわかった。
 その後学校へ行き、毎日新聞社の方のお話を聞く。遅刻したので殆ど聞けなかったのが残念。話に思考が追いつくだけの時間もなく。
 引き続きカフェ、ベローチェでも話をしたものの、眠い。
 これは血をとられたからに他ならないのです。
 解散後、さらにファーストフード店でカフェラテを飲みながら話す。
 それから江古田にある、日本にひとつしかないというイスラエル料理屋「シャマイム」で夕食をいただく。以前より目につけていたお店です。ディスカウントショップの二階、雑然とした界隈にあるけれど、店内は整然として雰囲気もあります。
 お誕生日おめでとう。(二日遅れ)
 ということでワイン。
 イスラエル産の赤ワインは、酸味が強くて、深みがあり、香りがきつい。マトンのシシケバブ、チキンのごまフライ、トマトに酢をからめたもの、キュウリと松の実とトマトのサラダ(→アテネフランセの地下にあるフランス系サンドイッチ屋のミニサラダと同じ味がするの)、フライドポテト、獅子唐ペーストはお好みで。薄いピタパンにひよこ豆のペーストをバターがわりに塗り、具を挟んでいただく。主に肉にスパイスが使われているので、たくさん挟まないと味が薄め。かなりのボリュウムで、残してしまいました。でもおいしかったです。ごちそうさま。
 環状七号線脇にある昭和的集落を教えてもらったので、ちかいうち写真におさめておきたいところです。


●20030113 首巻き
 買物日和。
 マフラーを色違いで三本購入。黒、紺、グレー。
 とてもうれしい。
 肌触りがすてき。
 セーターとシャツとズボンとTシャツとスカートと靴と靴下の気に入った型を三色+白色またはベージュ色で揃えて、コサージュとか小物が幾つかあったら他に要らないかも。
 黒のスカートも購入。


●20030112 墓参り
 14日が祖母の命日。本日七回忌の法要で八王子、上川霊園に赴く。
 小高い丘ひとつがまるまるお墓の集合住宅で、おざき家の墓は一番高い場所にある。年明けに降った雪がまだ残っていて、割れたすりガラスのように、道の脇に重なっている。
 さくさくと終了。
 八王子の墓は、新しく、整然として、近年濫立する都心及び新興住宅街のビル群に似て無機質で、たとえばセンターで調理される餌みたいな給食のような味気なさがあるわけで、やけに色あざやかな造花の花束が供えられているのも、またわびしさが増す。なんだか間違っているような。良いお墓のある家に嫁ごうとか、思ったりした。


●20030111 自由学園明日館〜目白庭園〜志むら
 散歩日和。
 計画は計画倒れしがちのため、午後思いつくまま家を出る。
 池袋西口から目白方面へ。フランス人の姉妹が言葉を啄ばみながら自転車で走り抜けていくと思えば、黒光りするハーレーが冬の沈んだ空気を劈いて追い抜いていく、薄みどり色の煉瓦道。
 住宅街の只中にある平屋の洋館。緑色。「自由学園明日館」。背後にはサンシャイン60とホテルロンドン。なんだか。左右対象、窓の木枠が幾何学模様を描く。近年重要文化財に指定された建築物(F.L.ライト氏による)ということです。本当は内部の見学をしたかったけれど、結婚式の披露宴が催されており、外部のみの見学。芝生で記念撮影する新郎新婦を遠巻きに眺める。今は東久留米にある自由学園、今日とは大分違う教育方針を八十年余り貫いているが、大学まであると知り、その徹底振りに些か驚く。表面的な方針を打ち出すことはどの学校でも行われることだけれども、実際にひとつの理念に従い、実現することは相当の覚悟や犠牲が必要とされるかもしれない。とか。こういう学園がもっと増えればいいのに、と、思い出せば私の小学校時代も似たようなもので、山羊を世話したり菊を育てたり箱根街道を草鞋で歩いたりなどなど。今から考えると理想と現実の狭間に揺られて、小学校から中学校へ進学した際にひどく味気ないような違和感を感じたものだった。むつかしいものだ。
 その後目白に向かって歩き、目白庭園に立ち寄る。純和風庭園の脇に立つのは雑誌「赤い鳥」に因んだ数奇屋造りの「赤鳥庵」。なかを覗くとお茶の会が催されている。中央にある池の水は透明で、気だるげに漂う鯉が見える。山茶花の赤い蕾のほかは彩りがなく、さみしい。
 いい加減寒いので、目白通り沿いにある「志むら」にて汁粉をいただく。餅が溶けるほど柔らかく、甘さ控えめで、おいしい。夏場に食べた氷いちごは、苺の原型をとどめるジャム状のシロップで、またおいしかったのです。
 ブックオフ目白店→池袋リブロ→ブックオフ江古田店→落穂舎(古書店)
 本屋をはしごして帰りました。


●20030110 小笠原伯爵邸
 以前より気にかけていた若松河田駅脇の「小笠原伯爵邸」。カフェ&バーの看板を確認して侵入するが出口がふたつあるので戸惑う。大きい玄関を通るとクロークと受付があるのにひとがいない。なんなのかしらとおずおずと入りこむ。床を鳴らす、自分のヒールの音におびえる。廊下を進む。ガラス越しに見えるのはパティオ、更に進む。開け放したドアを抜けると瀟洒な調度品の置かれたラウンジ、奥には半円形の、日当たりの良さそうなシガールーム。ガラス越しに庭に点灯するイルミネーションが見える。閉じられたドアの向こう側から聞こえるひとの声。見知らぬ洋館に迷いこんだ黒猫(というのは黒尽くめの格好をしていた)のような気分に陥り、怖くなる。タイムスリップしたような。慌ててひとを探して歩き回ると、受付の男性に出会う。よかった、ひとがいた。
「あの、ここはなんなのですか?」
 異空間の空気にすっかり戸惑っていたため、よくわからぬ質問を発する。
「ここは、レストランですよ。」
 微笑んで答えてくださる黒ネクタイの男性。なかは見られないんですかと訊くとレストラン利用以外の方には屋敷内の見学をご遠慮いただいているとのこと。それならばと隣のカフェでコーヒーをいただくことにする。
 カウンターバーのあるメインルームは満員だったので、隣にある個室に案内される。六畳ほどの広さにテーブルがふたつ。天井には小さなシャンデリア。頼んだコーヒーは、熱いのにグラスに注がれて、銀の皿に置かれ、湯気をたてる。添えられたスプーンも銀、陶器のミルクピッチャー。熱いのでどこを持てばいいのかしらとお猪口を摘むように持ってみるも、窓ガラスに映った自分の姿があまりに貧乏くさいので、冷めるまでしばし待つ。
 調べてみるともともと東京都所有の廃屋だったのを、民間企業が買い取り、改修して、昨年6月にレストランとしてオープンさせたとのこと。そういえば五月頃は鉄壁に囲まれて、工事もしていたような。いつか正式にディナーに訪れたいと思う場所でした。


  口頭試験なるもの(卒業論文の講評)が行われた。指導担当の先生に本を賜る。「読書のたのしみ」岩波文庫別冊。指導担当の先生のほか、二年生のときお世話になった先生も執筆されている。帰りの地下鉄で、楽しむ。


●20030107
 大きい赤ちゃんの撮影。
 ハーフの赤ちゃんがふたり。ラスベガス出身のパパと片言の日本語と英語とで話す。以外と通じるもので盛り上がる。やはり他言語は取得しておくべきだ実感を伴って思う。
 遅い昼食を山の上ホテル一階の中華料理屋でいただく。
 山の上ホテルも明治大学のリバティタワーが間近に聳え立っては日当たりが悪くてかなわないだろう。良いホテルなのに。


●20030104〜5
  M女史、我が宅訪問ゆえ、酒豪共による、乱痴気騒ぎ、とは言いませんが、楽しく良い酒を呑み、本の話など。背痛腰痛胃痛ゆえあまり呑めずにいたのが残念。バレンタインの17年なんか家にあったのね。ケーキなど、ありがとう。
 翌日は銀座へ、鳩居堂、プランタン、伊東屋、椿屋珈琲店など。久しい買物、靴を買う。素敵なの。輸入物らしいドイツ圏。月光荘は、まだ正月休みだった。
 ひとの見方とか、判断とか、それぞれで、洞察力と、表現できる言語力を、日常のレベルで身につけたいものだ。
 銀座の街を歩いて、最近眺める外国の街の風景とくらべ日本は駄目ね、と思っていたが、幾らか捨て難いところもあるものだ。とは思えど、安い居酒屋チェーンはどんどん進出してくるし、高級クラブは潰れるし、渋谷原宿に続いて次第に大人の街ではなくなるだろうし、それはヴィトンやエルメスや、一流メーカーの店内の客層を見れば、日本の消費のあり方はやはり奇妙だなあとしか思われず。品物に、買い手がそぐわない。シャネルのカメリアひとつを買って、それにふさわしい女性になるべく努力を重ねる、奥床しさや慎み深さというものが、なぜないのかと。元を正せば良くないのは無駄に情報を氾濫させて闇雲に消費を促すメディアの責任かも知れぬと思われ、テレビや雑誌の安易のメディアからひとびとを離すものは書物以外にないかもしれないけれど、「俗物をひとは好む」から、もはや最下流に流れ落ちた文化を今更再び持ち上げることも難しい。
 「将来は、情報を選べる、自然の多い場所に住んで、こどもとかと、自分たちの王国のなかで、独自の規則のなかで、本読んだり、映画を見たり、料理したり、静かに丁寧に生活してみたい。」という密やかなささやかな、例えばタマノコシニノリタイとなんら変わりのないような夢のひとつは、責任逃れで個人主義的な考えなんだなあ。ないエネルギーを、なにか目的あることに使うこと、そんな類の目的を考えたことなどほとんどなかったのだけれど、手に負えないほどのこの問題だけは、解決できるなら、解決してみたいと思ったりする。といって、広告代理店にエントリーシートで落とされたのね。気になるけど放って置きっぱなしの、窓枠にこびりついて剥がれない黴の塊のような。目に入らないようにしているものごと。
 
 

●20030102

 あけましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願い致します。



 1日は親戚の家に。
 2日は初詣に。
 折角の正月だから、小紋をきちんと着て、お茶の水は神田明神へ初詣。青空に騙されて外に出てみれば、かまいたちのような寒さ。昨夜は、雨に混じって、雪が降った。着物は寒いんです。
 友人と会うべくお茶の水から新宿に立ち寄り、今年から2日に営業開始となった紀伊国屋書店へ新年のご挨拶。
 その後弥生町にある友人宅へ。高校時代からなんやかや細々と付き合いのある友達。彼の彼女さんともご一緒に鰤大根、干物、金箔入りの日本酒など頂く。デザートにはハーゲンダッツのアイスにカルーアをかけて。メルヴィル「白鯨 上中下」岩波文庫、「フランス語の最初歩」三修社、「学研生物図鑑 昆虫T チョウ」学習研究社などを賜る。どうもありがとう。

 今年の抱負は、

 戯れに読み終えた、サガン「悲しみよこんにちは」新潮文庫。18歳で書かれた文章は、とても平易で、簡潔で、ひとの描写など、分析的で過剰過ぎず適当で、わかりやすい。普通に面白く読める。ジーン・セバーグの、映画を見たいと思いながらまだ見てない。マンスフィールドは綺麗だけれども、主題となるものは、感受性が豊かでなければ理解しづらく、よってつまらなく感じられやすいのではないかと思ったりする。野溝七生子や尾崎翠などもそうだけれど、神経の糸を静めて、僅かに鳴る鈴の音を聞き漏らさずに読む。そんなかんじ。だから丁寧に読もうとする。