2003年3月

3月27日(木)

25日は卒業式でした。



3月23日(日)

虐殺の写真は、それまで風景写真であった。
現在から遠い過去、あるいは遠い場所、現実とかけはなれたできごと、
いちまいの写真は、
あざやかな、そのままの色、
インターネットでみる、現在にちかい現実、いいわけでは逃れられないリアル。
表情がわすれられない。
ぜんぶ見ることはできなくて、
鼓動がはげしく、頭に血がのぼり、頬がほてって、どうしていいものか、
最初のいちまいを、残酷さに目をそむけたいのに、仔細を、見てしまう。
いきいきとなまなましく、ひとつのことしか物語らない正直な写真のパルス、
対峙して、受けとめるということを意識したい。
見ることのできない写真などないと、これまで思っていた。
戦争は、過去の遺物ではなく、いま起こっているということ、
本のなかの物語ではないということ、
想像のなかで戦争のさなかにじぶんを置く、
知っているひとの壊れた胸や腹を、剥製のように見るのだろうか、
夢遊病者のようにもつれた足でいきてはいないひとのあいだを走るだろうか、
消えていくひとの両手を、最後までなでさすることができるだろうか、
ねむれなくなった。
過去のできごとに解決策はあるのだろうか?
かつて使った歴史の本を紐解き、読んではみるけれど、堂々巡りで、
せめて考えるだけでもしようと、
一年前のせりふを今度は色濃く、胸になぞる。



3月21日(金)

家はふだん日中ひとがいないから、目覚めて声がきこえるというのはたいへん嬉しい。
それが三日続くとおもうとなお嬉しい。
なんとなくひとのけはいのするところに集まる。そしてNHKを見ている。
これからあたらしいものが部屋に増える予定だから、棚を買いにでかけることにした。
それと猫のひたいほどに狭くて目の前に壁の迫る机が、書物をするには不便極まりないので、
うえに乗せる板を買った。
建設的な考えをするには環境も整えないといけないのにだいぶながくお座なりにしていたので。
受験勉強すら膝のうえに乗せた画板いちまいでこと足りていたのですが。


3月20日(木)

恵比寿ガーデンプレイスに出向く。
天気は良いのに風がつよい。
去年の今頃スーツを来て五反田周辺を歩き回っていたのを思い出す。
そのときも似たような天気で、マスクして、さきの見えなさに憂鬱だったな。
さきの見えなさはあまり変わらないけれど、
いつから未来が不安だと思いはじめたのか今ではもう忘れてしまった。
恵比寿はけっこう来る機会が多いのに、いつも代官山方面に出て、
ガーデンプレイスに来たのは実はこれがはじめて。
ふしぎな空間。
奇妙な空気のながれ。
お気に入りの新宿パークタワーもふしぎな空間だけれど、
周囲と遮断されていないからなお不調和が気になるのかも。
映画館もギャラリーもブティックもレストランも薬局もレンタルビデオ屋あるのに、本屋がない。
遠くないむかし光が丘でジャンクフードめぐりをしたことがある。
ジャンクへの決別として。ほんとうにあれ以来口にしていない。
光が丘は比較的新しくできた、近代的住宅都市です。
練馬区周辺に住む人はいちどくらいマラソン大会などで出向いたはず。
駅周辺に都市機能が集中していて、周囲には高層マンションが計画的に空をわけている。
たいへんな数のひとが住んでいるはずなのに本屋がみあたらないので、
おかしいねここらの文化指数はどうなっているのだろうと、
そのときの連れ合いと話し合ったのだった。
実際歩き回ると駅ビルのうえのほうに小さな本屋があったのだけど、
文学部の生協よりだんぜん品揃えは良くなくて、積極的に住みたくはない場所だなあと思った。
撮影は順調に、昼過ぎには終了して上海中華料理屋で昼食をいただく。
毛蟹烏龍茶、ジャスミンのような菊のような香りのするお茶をのむ。
香りの良いものはしあわせだな。
映画を見ようかと思ったけれど上映開始30分と微妙なのでつぎの機会に。
帰宅後はずっとNHK見ていた。
これほどながくテレビをつけていることはあまりない。
最低限に終ってほしい。
いまはいぜんよりきもちが真にせまる。



3月17日(月)

天使の羽根をもぎ取られたか?
背中がいたい。肩甲骨のあたり。腰痛が続いたあとは病的な肩こり、ついでこの背痛。血行が悪いのね。それから筋力がない。弛緩してる。凝りは慢性にならないうちに解消しないと後々内臓を傷めるのでやっかい。ツボ押しに御世話になる。
今日は午後から仕事。
まだ陽のあるうちに終わり、夜までかかると思っていたから得した気分がする。新しいCDを3枚買ってローテーションで聴いているのですが、以外と不器用なもので音楽を聴きながら頭を使うことができない、なにかをしながら音楽に集中できない、という理由で画集や雑誌の切抜きなど眺めながら聴いている。
むかし好きで繰り返し読んだ童話作家の本を、最近買った。いま読んだほうが、しっくりする。


3月14日(金)

予定がない日は予定がなく、予定があるときは予定がはいる。
二日でたくさん友達と会って話して満腹感。
久し振りに恵比寿、代官山に行く。
高校のとき毎週二日三日通った塾への道には新しいカフェや店がオープンして、
嬉しいみどり色の花瓶(小)を6本買ったり(おなじ花を飾って出窓に並べる)した。
そのあと大塚にある友人宅でまたおはなし。
今から五年十年後までにかたちにしたいこと。
これは有意義な話し合い。
泊まったあと次の日朝早くから仕事。
疲れぎみ。


3月12日(水)

「就職したら時間なくなるから、いまのうちに遊び貯めておいたほうがいいよ。」
仕事先の社員さんにいわれたことば。
遊ぶっていっても遊びかたが地味なのね。
部屋にいて、きれいにして、本読んで、散歩して、
たまになにか作ったりとか。
どこか呼ばれる場所に行ったりとか。
隠居生活みたい。
仕事だってじゅうぶん遊びの要素があると思うんだが。

どうしたら日本が変わるか?
某新聞社に訊いたところそれぞれが個人の幸せを追求した結果、
全体がしあわせになればいいねとのこと。
価値観が根底から覆されるには革命か戦争しかない。
某作家みたいにベランダで世論に対し演説吹っかけた挙句腹を切っても
たぶん今ではメディアが興味本位で取上げるだけでひとつの流れも産み出せやしない。
それくらい弛緩してる。
とか云々悶々考えていたのですが。
個人の幸せね。
全体のなかの個人だよと思うときりがなくて目を瞑る。

仕事の帰りに神保町に寄ってミロンガでコーヒーを飲んだ。
一緒に行ったひとはひどく気に入ったよう。よかった。
おなじ財布のひとだから気に入るに違いないのだ。
ともだちふたりで湘南まで車を飛ばし騒ぎ遊ぶファンキーなひとだった。
行動のしかたが予測しやすいひとである。
そのあとうらうらと古本屋を巡る。
せっかく良い場所で仕事できたのにとさみしい気分。
次はきっと新宿西口だ。あるいはそのほかオフィス街。

ミモザ=アカシア=ねむの木

春の花が出まわってきた。
すみれの花束を買い、蚤の市で買ったガラス瓶に飾る。


3月9日(日)

エミール・ゾラ「ナナ」上下巻新潮文庫読了。
これは「居酒屋」の続編ですが先に読んでしまった。
貧民窟で生まれ育った美貌の少女が高級娼婦となりその魅力で、
資産家の名士達を次々零落させていく物語。
「居酒屋」の、貧民窟での悲惨な様子を予め読んでおくべきとは思いながら、
冒頭の、劇場の煌びやかな描写に惹かれて読み始めたら面白くて。

3月8日(土)

東京都美術館、ヴェルサイユ展へ。
期待したほど展示品が多くなかったので物足りないような気が。
以前行って感激したアール・ヌーヴォー展は国内の美術館からも展示品を集めたからかなり充実してたけれど、今度のはやはり寄せ集めといった印象がしてしまう。
前評判が凄いのと土曜なのとで待ち時間は三十分。
肖像画が多め。ルイ14・15・16世、マリー・アントワネット、ポンパドゥール夫人。
タペストリー、レース編みなど大作も。
長椅子やデスクなどの調度品は、やはりあの装飾的な部屋全体のうちに見たい。
比較的点数が多かったのは王妃愛用の食器(かの愛人デュ・バリー夫人のものも)、
及び漆塗り金蒔絵の小物など王妃のコレクション品。
古伊万里の見事な絵付けの壷が三つあり、現在まで保存状態も良く残されていたのはきっとフランスだからこそ。

その後、新鶯亭→乱歩(喫茶店)→いせ辰→イリアス(雑貨・アンティーク)ほか

新鶯亭では鶯だんご。白餡・こし餡・茶の三色。
あんと餅がおなじくらいの柔らかさで品良い甘さ。
乱歩ではブレンドとレアチーズケーキ。
コーヒーがほんとうにおいしい。ケーキはかるくてふんわりとける。
値段も手頃、ブレンド¥400、ケーキ¥300(単品¥400)
店内にある張り紙・人前セックスは良し、人前キスは御断り。水ぶっかけます。店主
猫で溢れている。



3月4日(火)

原宿はマタニティウェアのお店エンジェリーべにて仕事。
六時過ぎに終わり、原宿、新宿と店を見てまわる。
消費の現場に立ち会うのはひさしぶり。
これほど商品の氾濫する街というのも珍しいのかしらん、
右も左も服が溢れて、しかもどれも流行に逸れないのは見事と思ったりする。
近頃のファッション誌はもう手に取りたいと思えない。
一時期週に三日くらい通った青山ブックセンター。
澁澤龍彦フェアとか中原淳一フェアとかやってて興奮気味。
手頃な値段のバルテュスの画集(翻訳)が置いてあった。
池袋リブロでも輸入物しか見なかったのに。
しばらく大きい本屋行かないうちにまた欲しい本が増えている。
結局買ったのはゾラの文庫上下巻。

 

3月3日(月)

またも胃を壊して、一週間くらい休養していた。
水を飲んでも、胃のうがい状態。
胃を壊すほどなにをしていたのかといえばひがな本を読んでいたくらい。
あとコーヒー飲み過ぎたかも。
あと不規則なのと。
本は姿勢を正して読むこと。
「朗読者」新潮社、をようやく読み終える。
二年くらい前のベストセラーです。
ひとは後となっては想像もつかないのだけれど、
過去をふりかえったとき、まったく無意識だった時期がある、ということ。
まったく無意識だった時期=無知な時期=残酷だったころ
というのは誰しも過去をふりかえったときに思うことなのかな。
知的レベルと残酷さはイコールではなくて、
ヴァージニア・ウルフが書いていたように、
じぶんの信じる価値を、理解しない相手に理解させようとするほど強い情熱はないから、
強すぎる情熱に視界が煙っているときは、
ほかのものごとに注意を払うこともできなくて、
無知になり、
残酷になる。
それならいっそじぶんの拙い考えなど箱に収めて奥にしまってしまおうと思うのに、
素直でないふうに噴出して、
なおさら煙るときがある。

別冊太陽の、「近代文学百人」を購入した。
1975年発行のもので、作家の原稿や写真、日用品などが紹介され、カラーページが充実している。途中芥川の「鼻」の原稿コピーが折りこまれていたり、佐藤春夫宛ての太宰治のはがきがはさまれていたりと趣向が凝らされて、手が込んでいる。むかしは需要があったのだろうか。
むかしの装丁のきれいさに感嘆する。とくに泉鏡花。あの幻想的な風景によく似合う。
ああ小石川公園でつつじを見たい。

あたらしい歯科医に通っています。
金井美恵子が「歯医者とはもっともエロティックな職業である」と書いてますね。
要は口というのは内臓で、そのなかを弄ることは性交に相通じるものがある、と。
むかしは設備も粗末なおじいちゃん先生になおしてもらっていたのが、
痛いので足が遠のいていました。
それでかえたんです。今度は若い先生だ。
レントゲンとったり、ハイテクなので驚きました。
基本的に医者嫌いなんだけど歯医者はこまめに通わないと、
ほんとたいへんなことになりました。
無意識にはぎしりするとすごく痛い。治療中。

花粉症でつらい季節です。
猫のひたいほどの庭に植えたアカシアが、ようやく地面についたようす。