2003年4月5月6月


 

■6月22日(日)

 死んだように眠る。吐き気がひどい。
 夕方無理矢理目覚めるとなんだか子供に返ったようだった。
 留守にしていた親にまとわりつく、わがままをいう。
 からだがふやけて熱っぽい。
 夜風にあたりに外に出た。
 木々がざわざわ揺れて、懐かしい夜の匂いがした。
 毎日これぐらいの時間に帰宅できれば良いのにな。
 いつも気だるさしか残らない濃淡のない時間帯に家に戻る。
 からだは泥みたいだ。
 食欲がなくて豆腐とトマトしか食べられない。
 アイスを咥えてコンクリートにあぐらをかいた。
 早く夏が過ぎないかな。
 

■6月21日(土)

 25時〜13時、14時〜17時 脅威の睡眠時間。

 先週は土曜出勤だったし寝そびれたりしていたから肉体的に最悪だったかもしれない。
 何しなくても良いから一週間くらいまとめて休みたいよ。
 夢の中に出てくるのは既に友人ではなくお客さんで、仕事がらみの内容ばかりである。
 担当企業の食堂前で大学の友人と遭遇した。
 新宿の雑踏の中でカメラを構える友人と会った。
 渋谷で山手線を待っていると高校時代の友人と隣り合わせた。
 
 赤坂のダイニングバーで同僚とさまざまな話をする金曜日の夜。
 テーブルの蝋燭が壁に不安定な影絵をつくる。
 まるでおとなのようだよ。
 毎日頭の悪い接客ばかりでアタマの回転が鈍ってきているから、
 元来の調子に戻すための関わりは必須。
 話が成立するのが嬉しい。
 最近アタマが悪くなった。

 明日はもっと有意義に過ごそう。


■6月8日(日)

 土曜日と日曜日は仕事がないのだけれど、
 土曜日は体力回復に費やして、日曜日は月曜日から始まる仕事を考えて、
 なんとはなしに物憂い気分のまま過ごしてしまう。

 部屋のなかが乱雑で、時間の隙間を見過ごしがちで、
 ここしばらく本を読めていない。
 爪がことごとく、雲母みたいに割れてマニキュアも塗れないし、
 風呂だってからす並みに早くなって、とにかくむさぼるように眠る日々。
 ひとのこころない言葉やふるまいに哀しくなる。
 向かい合わせの机に座っていた同時入社の友だちは、一ヶ月でふたり辞めた。
 仕事は勉強と違っているから、日々の積み重ねが、
 どのような、目に見える結果を生み出していくのかと、
 いちいち懐疑的になる自分をごまかしている。
 本は読めば読むほど教養になる。
 教養ある人々の会話も、自分を深めていける。
 けれどもそれ以外のひとびととの関わりは。
 磨耗されていくようである。
 


■5月25日(日)

 時間ない。
 週末家に帰らなかったら空いている日は1日しかない。
 今週読んだ本、アナイス・ニン「小鳥たち」新潮社、矢川澄子訳。
 エロティカの短編集。女性が書いたものにしては表現が直接的、
 内容も一部ではなく全体のエロティカ。
 値段は高い。コレクションが出ていたからそちらの方がいいかもしれん。
 ちくまでもなにか出てた気がする。
 昨夜へろへろしながら本屋を回ったのだけれど、
 なんか疲れて見るものが心のなかにはいってこなくて困った。


■5月19日(水)

 いかに世のひとが、生活を大事にしていないか。
 と、お客さまに(さま、と呼ばねばいけないのがなお口惜しい)逃げられたわたしが、
 衛生状態の良くない精神で考えてしまう事柄。
 ひとの良くない部分しか見えない。
 すてばちになる前にきちんとしたひとと出会えますように。


■5月18日(日)

 休み。
 きのうは友人宅でごはんを作ったりして楽しかった。
 はじめて自分の料理を他人に食べさせた。
 「おざきさんは料理ができない」と日頃評判ですが。
 やらないだけです。
 きちんとした食事をつくってだれかと食べるのはすてきだ。
 食後に甘いものやコーヒーがあるのはさらにすてきだ。
 そとはくもり。
 まだ昼前。
 
 先週読んだ本 幸田文「おとうと」宮本輝「錦繍」
 読んでいたけれど中途でどこかに置き忘れた本 コクトー「恐るべき子供たち」

 金曜は新宿パークタワーに行った。
 目当ての会社の担当者が昼休みで席を外していたので、
 うちもカフェでお昼ごはんを食べてしまうことにした。
 さあ食べようとしていると、中年の女性が灰皿とコーヒー片手にうろうろしている。
 もちろん相席いかがですかと声をかけた。
 彼女は本を読んでいた。推理小説である。
 思わず話しかけて、昼休み一時間、まるまる話してしまった。
 本や仕事などなど。
 うちのママとおなじくらいの年齢らしい。
 子供がわたしとおなじ年齢だときく。
 娘さんは、音大を出てピアノをやっているとか。
 4階コンランショップの前にあるインテリアのお店のスタッフだそうな。
 おかげであまりたくさん会社回れなかったけれど、まあこんなのも良いだろう。
 あんまり大声ではいえないけれど。
 こういうことがしたかったのかもしれない。
 わたしが。

 
■5月14日(火)

 効率の悪さに閉口。
 うちは今中小企業に飛びこみというものをしているのだが、
 ビルや地域を指定されることなく闇雲にひとりであたるのである。
 そんなのを毎年毎年営業部設立以来続けており、
 しかも同業他社、及び支社と同時に行っている訳であるから、
 見つかればめっけもの、ほとんどは骨折り損、といった結果になるわけです。
 そして同社他支部の者が来ている会社へは大抵断られるので、
 それと知らず飛込みする確率などは特に高い。
 出入り企業ぐらいは予め端末で見られるようにするとかしておけといいたい。
 
 意味のわからんCMなどでイメージアップを試みているとかいいながら、
 また本社直属の営業部でも新卒募集の段階でかなり虚飾しているが、
 フタをあけてみれば結局古典的手段に頼りきりなのである。
 なんじゃそら。
 本社がこれではセールスレディーはセールスレディーのまま、
 ライフコンサルタントには成り得ないんですね。
 もっと要領良くいかないものかね。
 うちが変えてやる。
 ただしとらばーゆしない限り。
 社会保障制度の補完というなら政府も積極的に支援して欲しいよ。
 まったく消費者に理解のない業種です。
 余程イメージが悪いということなんですね。


■5月12日(月)

 今日は、先週の、怒涛の1週間と比べたら、とても平穏な1日だった。
 歩く場所も、選べばそれほど大変ではない。
 もっとも今日の運が良かったというだけで、明日もおなじでは決してない。
 金曜日は六本木から麻布、広尾へと歩いたのだけれど、まったく効率が悪かった。
 今日は、日本橋。
 日本の場合「メトロ」ではなく「地下鉄」なのだけれど、
 長い間知らずにいた東京の地理に詳しくなっていくのがおもしろい。
 鞄も軽くて使いやすいものに買い換えて、むくんだ足を冷やす冷却シートも購入済。
 1日いちにちをこなしていけば、いずれ何事もなんでもなくなるだろう。
 おにぎりを持参したおかげで昼はこころもちのんびりした。
 とはいえ、たばこ1本吸うだけの時間だけれども。
 砂時計みたいに、小刻みの時間をはかるのには、とても便利。
 先週は、たばこ吸う余裕さえなかった。
 だんだん本数が増えていくのかしらん。

 それはストレスで?

 疲れても優しくしたいものだ。
 おとといは、残酷ないいかたをした。
 電話で謝った。
 きのうは、励ましあったり気を紛らわしたりして、
 元気をもらった。
 ありがとう。
 つぎは家においで。
 ステキにだれかをもてなしたい気分です。
 がんばろうとかがんばってというコトバは確かにお手軽で薄っぺらいのだけれど、
 実際、最終的にはそれしかいいようがないときがある。
 ほかにいうべきどんな助言も、どうすべきなのかは本人がいちばん良くわかっているから、
 全部含めて、がんばって、がんばろう、としか、いえない。
 とかあたりまえのことなんだけどね。
 ね。
 どうせだから楽しくやろう。
 



■5月5日(月)

 三連休が終わる。
 昼間家にいたのだけれど落ちつかなくて、原宿まで出ていった。
 一昨日の晩は家にいなかった。
 昨日の晩も帰ったのは遅かった。帰りにシャクヤクの花を買った。
 店員さんに長持ちしそうなものを選んでもらう、優しいピンク色のふくよかなつぼみ。
 慎ましいのに華やか。
 
 「さようなら、ギャングたち」を読んでいる。借りもの。
 からだは働くのにあたまは鈍い、そういうときには適度な刺激になる読みものがいい。
 スヌーピーの小屋のなかにはゴッホの絵がかかっている。
 
 ここ二年くらいは意識した時間が流れていて、
 一年くらい前に放り出して解決したつもりになっていた問題がまた浮上しはじめて、
 注射で散らされた盲腸が再発したような、
 目を逸らしても気を紛らわせても、ずっとうしろをくっついてくるんだなあと、
 いささか途方に暮れている。
 たぶん五月病と併発したものと思われる。こまった。
 そういうときにわたしから電話を貰う、なんとも迷惑であろうひとがあり、
 なんとなくひとびとのあいだで時間を過ごしていた。暑かった。
 日暮れどきの明治神宮は木々が繁って、
 わたしは東京っ子なのにはじめて訪れる場所で、歩きづらいヒールでじゃりじゃり砂利を踏んだ。
 すこしほっとした。
 夜はひとりがあたりまえで眠るという手段もあるのだけれど、
 昼間のほうがひとりだから活動すべき時間を活動して過ごすのはとてもたいへんだと思うのに、
 なぜひとは夜ばかりをさびしいというのか。
 途中ジーンズから履き替えたさらさらしたスカートは、
 真夏の空の色に白とベージュの葉が型抜きされている。
 仲直りはしましたか。
 


■4月27
日(日)

 
土日こんなに晴れるのは久し振りだな。
 萌出たばかりの浅い緑色は、油絵のようです。
 先週は忙しくして、いささか疲れたけれども、楽しい。
 


■4月21日(月)

 今朝もまた新宿中央公園で炊出しが行われている。
 縦横きちんと整列をして、ほとんど朝礼のようである。
 平日の午後の炊出しでは、音楽が流れていた。
 配られていたのはキャベツなど野菜と豚肉の炒め物であった。
 どういった日程で炊出しが行われるのか数日観察してみよう。
 

■4月20日(日)

 二日間の休みを結構持て余し気味で、読みかけのソドムとかその他、読む気が起こらない。
 雨は降ったり降らなかったりぎりぎりな状態だからこちらも踏ん切りがつかぬ。
 窓越しには黒い枝と洗濯物と灰色の空のモノクローム。
 化粧をすれば気が晴れるかと思えばいまいちで全身黒い洋服で統一したら、
 外出準備のようになったから目的もなく家を出て電車に乗った。
 なにが欲しいわけでもなくさてなにが欲しいのかといえば※※※※※※
 結局2時間あまり文房具売り場で行ったり来たり不審者さながら。
 ノートとペン。(同じノート3冊と同じ種類のペン、青のグラデーション三本+赤)
 なにを書こうかと思ったけれどさっぱりなにもでてきやしない。だからくもり空。
 交換日記とか懐かしいけれど今はできないんでしょうか。
 どうしておとなになるとかんたんに「交換日記しましょう。」といえないんでしょうか。
 毎日毎日友達とあうこども世代より、よほどおとな世代の方が、
 交換日記を必要としている。とか思うんだが。
 わたしだけか。
 あ、間違っている。

 友達が研修中に会社辞めたとかで、
 うちは辞めたらまたまっしろになってお腹一杯でこなれていないような日々が続いて、
 食べ物のおいしさとか食べる悦びとかを一切合財放棄することになるんだなあと思い、
 かれは一度リセットしてすこし時間が経ったらまた順々に物事を積み重ねていく、
 土台をきちんと築けたならより良いモノを得られるのだろうと、
 長い長いあいだのはじめかたをそれぞれさまざまなかたちで模索しているのだなあと感じる。
 わたしの仕事はある一方的な見方でひとのライフ・デザインをする。
 =金。
 そして売る。
 

■4月19日(土)


 土日で連続して家にいるのは仕事はじまってからはじめて。
 すごく寝た。
 夜11時間 + 昼4時間。
 おかげですっきりした。
 夜の風がすずしくてとても気持ちが良い。
 「五月の風をゼリーにして持ってきてください」
 と、立原道造のことばを思い出す。
 まもなく五月。
 そして、仕事がはじまる。
 いったん怖いと思うと進めなくなる性質、これが問題。


■4月18日(金)

 S女史と新宿東口の「El Borracho(エル・ボラッチョ=酔っぱらい)」という、
 メキシコ料理のお店に行ってきた。

 アボガドのサラダ、
 牛肉とサボテンのトルティーア、
 じゃがいものメキシコ風グラタン、
 コロナビール。

 ここは昔長い付き合いの男友達に一度連れてきてもらったことがあって、
 また行きたいなあと思いながら具体的な場所を忘れてそれきりになっていたのだった。
 今回探し当てて入ってみたら、
 色とりどりの電飾が垂れ下がっていて、
 
とても可愛らしいすてきなインテリアになっていた。
 こぢんまりとして、おいしいので、おすすめです。

 本屋のバイトを辞めて一年半経つけれど、話題は次第に現在へと移って、
 等身大のものごとを語れるから、また楽しいと思う。
 年齢が五歳離れているから、結婚の話や、経てきたものごと、
 同年代と変わらないけれど目新しい話題に興奮したりすることしばしば。
 日頃から女友達と会うことはなくてむしろ避けている傾向もあったのだけれど、
 新しい職場に女しかいないこともあり、
 女性との接し方がすこしづつわかってきた、
 というよりかつて接した女性は、私の苦手とするタイプだったのかもしれない。
 普段私は考えることをしなくて、喋り始めると同時に思考回路が回転し始めるから、
 本当にあることないこと機関銃のごとく話して、
 あとから思い返して妙に納得する。
 だからひとと会わないと活性化しないので良くないと最近思います。

 研修も半分過ぎたから、最近の話もしてみようか。
 朝起きて、夜眠るというあたりまえのことがひどく楽しくて、体調が良い。
 ひとは二種類のひとがいますね。
 ある程度の制約の中でこそものごとを器用にこなし、能力を発揮できるひとと、
 まったく自由のなかでしか自分自身の能力を最大限に発することのできないひとと。
 わたしは前者ですから、
 いまあらゆることがありがたい。
 重たいスーツを着こなすことも、
 仕事に関する日々の勉強も、
 朝食を食べながら経済新聞を読むことも、
 きちんとした化粧をほどこすことも、
 髪の毛をまとめあげることも、
 首に巻くスカーフ、シャツのとがった襟、
 ストッキングの感触とか、
 ヒールがアスファルトをこつこつと叩く音、
 自然とはやまる歩み、
 休日の前日の、緊張のほぐれていくかんじ、
 夜寝つきの良いことも、朝目覚めの良いことも、
 新宿中央公園の脇を歩くとき
 (ときどき炊出しに出くわしたりする。よくある対比、ふしぎな光景)、
 都庁はじめ高層ビル群を見上げることも、
 いちいちが楽しい。
 文学や、あいまいさや、かつて好きだった時間、とくべつなときの流れ、感情、
 思いのほかはやく離れてしまったと思うときは、心臓をつかまれたような気分になる。
 それはたいていビルの喫煙室でたばこをくゆらせながら新宿の街を見回すときが多い。
 取るに足りないおんなのこ同士の会話なんか、
 それはそれで楽しいけれどあまりに無為で、つまらないとも思う。ときどき。
 営業に出ていったら、もっとおもしろいひとや出来事に出会えるかな?
 と、
 にわかに湧いてきた積極性に驚いたりするけれど、
 これが自分で思っているわたしの本来の性質なんだよ? とか言ってみたい。
 まだ22歳ですもの。

 いま朝礼で、それまでの社歌に変わって「ひょっこりひょうたん島のテーマ」を歌っている。
 これ選んだ娘、ほめてあげたい。
 厳密には歌いづらくて聴いているだけだけれど、
 歌詞井上ひさしなんだよね。

 「泣く
のはいやだ 笑っちゃおう 進め!!!」

 とかやっぱり良いよね。岡崎京子も書いてるね。走りたくなるよね。
 そんな日々です。