2004年2、3月の日記


 

 

3月7日 日曜日 

 

 花粉が飛ぶ季節になり、片づけ最中の部屋の埃っぽさを何とかしようと窓を開けたら、
 なおくしゃみが連発して涙が出る。
 2月中はかなり消耗していた。
 知らぬ間に抜かれていて、再び充たすのに時間が要った。
 なんやかんやと一冊の本すら読み終えていない。

 洋服を整理して半分くらい処分した。
 棚には黒がほとんどで白とグレー、紺しかない。

  
 

 

2月20日 金曜日 

 

 守られない約束ばかりが連なる、サイコロを転がすような日々。
 
 今日は本社の法人営業部長代理と食事をした。
 姿勢がそもそも異なることに衝撃を受ける。
 個人の営業は水面下のスクリューみたいなものだ。
 

 

 

2月15日 日曜日 

 

 今日もあたたかいな。
 春のにおいがする。
 昨日はパソコンに熱中していたので約束をのばしてもらい、今日弟と帽子を買いに行った。
 池袋の西口にあるトラヤ帽子店は庶民的な店だが古い形の帽子が充実している。
 紙袋に東邦撮影所の指名店とあるけれど衣装関係で提携しているんだろうか。
 弟は黒のボーラーハットを、私は黒のソフト帽を。
 私の半分の金銭感覚である弟のためにラーメンをおごる。
 丸めがねに黒いつば帽子の弟はJTのCMのようだ。

 ひさしぶりに爪の手入れをして、すこし良い気分。
 最近余裕がなく剥げたエナメルをそのままにしていた。
 爪もきれいになったら心安らかになるかと逆説的実験を試みたけれども、
 結局自分で爪を削ってしまうようなストレスは根本から治すのが適切です。

 世界の思想「自由からの闘争」河出書房 入手。
 

 

2月14日 土曜日 

 

 春一番が吹いて、窓ガラスがおおきな音を立てた。

 最近画像をいじるということを覚えたので更新ついでに過去の日記もリンクすることにする。
 公開するというより思い出を整理すると云った方が適切か。
 とぎれとぎれのものを一本に繋げただけですが、振り返るとあまり進歩ないなと。
 尚ふたたびアップするにあたり目に余る表現は削除しました。

 一日中パソコン内のファイルを整理していた。
 書きかけの小説や友達の文章などが秩序なかったのを削除したり新しいファイルにまとめたり。
 今は必要ない諸々の資料も削除した。
 HP作成に用いているのは無料配布のソフト(その時はお金がなかった。不安定だが基本的なことは使える)
 だが、ソフト上で作成できる表現に限界があるので、JavaScriptに手を出してみる。
 細かい作業で出来るまで繰り返し時間がかかるので肩が凝ったが出来あがりは良し。

 

 「かわいい」という心理はどこから来るのだろう。
 現代人の幸せの価値感は消費社会が円滑に進むように「苦痛の排除」から「欲するものを得るための快感」
 へと擦り返られてしまった(E.フロム To have or To be より意訳)

 とあったが、個人の価値観の欠如からくるものではないか、と思った。
 日本人の消費形態は多数派に倣うが、
 個々の好みと思いこんでいるものも本当はメディアに支配される流行として提示された選択肢から
 選んだだけに過ぎないのかもしれない。
 人の好みは変化していくが、あまりに一過性のものは流行に踊らされているとしか思えない。
 さておき「かわいい」という心理はボキャブラリーの欠如とも云い換えられるかもしれないが、
 本来はじぶんの価値観に合致するものではなかったかもしれないのに、
 多数派に好まれるもの=自分の趣味と無意識のうちに摩り替えてしまった結果と云えないか。
 「かわいい」という言葉は、疑問をオブラートに包む。
 好きという感情は理由をつけるたび嘘らしくなるがそれは跡付けだからであって、
 もともとの価値観に合致するものであれば個性を伴う。
 理由のない好きというとりあえずの感情だから、とても薄っぺらい。
 「かわいい」の裏側には適当さがあって、適当さが一時的な消費を促していく。
 結果文化は廃れるのだろう。

 
 

 

2月11日 水曜日 

 

 千日紅を百日紅と思い込んでいたが百日紅はサルスベリでほかに百日草や日々草がある。
 吾亦紅は主役を張る華やかさを持ち合わせないが、
 ハリガネのような細い体の先に実らせる小さい赤の自己主張を部屋のすみに吊るして
 言葉なく対峙してみたりする。
 そんな日々草、引き続き百日千日吾亦紅。

 1ミリのタバコ6本=6ミリのタバコ1本=12ミリのタバコ1/2

 体調悪いのは吸いすぎかと思ったけどやはりそう多く吸ってはない。 

 

2月9日 月曜日 

 

 携帯電話やメールなどメディアを通じたコミュニケーションは
 無機質な文字を媒介とながら感情的になり過ぎて、一方的な非難など受けたりした。
 わからないからそのままにしている。
 
 面人類とはフェース・ツー・フェースコミュニケーション、つまり対面コミュニケーションを
 大切にする人類である。これに対して通信技術の発達によって次第に「線人間」が増えてきた。
 線とは電話線などのネットワークである。線人類とはメディアを通じてしか他人とコミュニケーション
 できない人類を指す。さらにその先にはメディア(たとえばパソコン)としかコミュニケーション
 できない「点人類」がある。
 人類はもともとスキンシップコミュニケーションが中心の「体人間」であった。
 それが言語というメディアを獲得することにより対面するだけで互いに意思を通じられる「面人間」
 になった。ところが通信技術の発達は次第に「線人類」「点人間」という形で、
 逆に人と人とを離している。
          
             
                   原島博 話せばわかるは本当か

 いろいろ多面的に調べたい物事がでてきて、書物を徐々に紐解いていく。

 

2月3日 火曜日 

 

 降ったり晴れたり。引き潮満ち潮。泣いたり笑ったり。移ろいやすい日々。
 ひとは1日7回心が変わるって云ったのはうちの上司だったけれども、
 (鬱→)躁→鬱→躁→鬱→躁→鬱(→躁)
 って降り出しに戻るじゃん。

 最近夕訪先が近いので帰りが早くて大変嬉しい。とはいえ8時過ぎるけれども。
 帰りに粗大ゴミが大量にあったので良さげな引出しを拾ってきてはみたものの、
 明るいライトの下でみると合板が剥がれかけたりしてちょっと拾い損な気がしないでもない。
 けれどもディテールが古くて今にないデザインだったから修復してみる。
 天板に穴がふたつあってもとは鏡台だったのだろう。
 引出しをあけたら髪の毛用お洒落ネットが六個くらい引出しの奥に落っこちていて(新品含む)、
 持ち主であるところのみつを(薬袋があった)おばあちゃんはないないと思って買いだめしたにも関わらず
 ないないと思ってまた買うというのを繰り返していたのだろうなと思った。
 そしてたぶんこれらの品々もおばあちゃんが亡くなった後の始末だったんだろうな、とも。
 重たい営業鞄を持ったまま引出しを抱えてよちよち歩いた帰り道はすこし辛かった。