2004年5、6月の日記

6月23日 水曜日 

 

 なりゆきで靴を3足も買っちゃった。
 しかもカードで。
 最近の金銭感覚はルーズ過ぎて、良くない。
 でも、良い靴だ。

 黒いカルーアと透明なウォッカを混ぜて、ブラック・ルシアン。
 すごく甘くて黒いカクテル。
 でもアルコールくさくないから、強いのにデザート感覚でのめる。
 それでいま頭がぼんやりしている。


 ぼくはくたばりたくない

 たぶんみんなそう思う。
 

 

 

6月13日 日曜日 

 

 今日は午後から久し振りに晴れて、散歩したら気持ち良かった。
 江古田の普段の散歩コースから逸れて東長崎、旭町、小竹町界隈とまだ昭和の雰囲気を残している界隈を歩いて、
 
淡い空色に染まったあじさいを失敬しようと思ったがやめておいた。
 街灯のあいだに釣り下がっているビニールの花々とか、雑草の繁るまま手付かずの空き地とか、
 幼い頃に見たものたちはまだ残っている。
 大泉学園にある付属小学校中学校と通っていたが、電車に乗って通う道々にまだ空き地はたくさんあり、
 すこし足を伸ばせばキャベツ畑とか野菜園があり、学校ではヤギを飼っていたりして周囲に自然はあったが、
 二十歳を過ぎたころにはへーベルハウスが軒を連ねてキャベツ畑は見なくなった。
 小学校も校門を厳重に閉ざすふつうの小学校になった。
 「耳をすませば」みたいな見知らぬ坂道を見つけてつい昇ったり降りたりしたら疲れた。

 いぜん目白通り沿いに「新宿広場」というガラクタ屋があって、庄野潤三氏の家にありそうなソファとか
 ワープロとかリーバイスの良い具合に色落ちしたジーンズとか(今も愛用している)、
 破格の値段のガラクタのなかから掘り出し物を探すのが楽しかったのだが一年足らずでなくなって寂しかった。
 それが今日東長崎の方面に似たようなガラクタ屋を見つけて再会に小躍りした。
 わけのわからないものがたくさんある。鹿の角とか木彫りの観音像とかスノードームとか変な香水とか
 金ぴかのアクセサリーとか。
 普段仕事などでは女だけだから気合が入らずけっこうどうでもいい格好をしているけれども
 (ムラがあるのは良くない)、
 自分なりにお洒落するときの信念というのがだいたい確立してきた。
 買物ではたくさん失敗してきたからお洒落にかけるお金の使い方が上手になってきたと思う。
 今日は良いものを手に入れた。

 ところで私にとって雑誌から抜け出てきたようなコンサバスタイル一辺倒というのは好ましくない。
 可もなく不可もなく失敗はしないし奇抜ではないからある意味好感は持てるが、
 面白味に欠けるし印象に残らないし「これ着ていれば安心」的な受身の都合の良さとかが伺えて
 いやらしいというのは云い過ぎだけれど、いわば制服みたいなものだと思われる。
 価値規準を他人に委ねているような気がする。
 たぶんそういうひとたちにとっては学歴とか居住地区とかが人間的な価値を左右するんだろう。
 云い返れば自信のなさに起因しているともいえる。
 ある程度異性の視線を集める上で品の良さなどのコンサバティブな要素を取り入れるのは大事だけれど、
 細かな部分できちんと自分自身の個性を活かすものを身につけている女性に思わずはっとする。
 色とか袖丈とか胸のあきとかシルエットとかスカート丈とかアクセサリーの使い方だとか。
 自分の個性がわからなかったら他人の個性もわからないだろうし、
 そういう意味では深い人間関係を築くこともできないんじゃないか?と思った昨今。
 服装は大事。
 自分にすなおに生きたい。


 

 

6月6日 日曜日 

 

 朝から雨が降っていたようで、空気がしんなりしている。
 学校は肌に合わないな。
 授業は効率が悪くて、良くないと思いながらつい教室を出てきてしまう。
 大学も語学以外はキセル出席で、高校なんかはよく毎日通えたものだと思う。
 好きな男の子がいたからだけど、今では考えられん。

 さいきんは暇潰しのような読書で、エンターテイメント性を重視してその時々の気分に合う本を選ぶ。
 多くはない時間だから、忍耐して読むようなものは避けて。
 いままでちょっとバカにしてたけれど、ベストセラーも売れる要素があるものだ。
 けっこうおもしろくて夢中になる。
 楽しめる読書こそ本物、というより私の読解力が拙いだけか…。
 頭のわるさを実感するこのごろ。
 話の大枠やより立体的な人間像、あるいは明確なテーマなどで惹きこまれる。
 言葉と言葉の連なりを楽しむ読書とは違いどちらが高度な文学かといえば意見はひとつだろうが、
 それでもベストセラーになるような本は、ある文学体系の頂点にある。
 もっとも日本国内だけにおけるベストセラーはあまり信頼出来ないけど。

 あーようやく部屋かたづいた。
 以前と雰囲気は変わらないけど、カフェ・ゴトー(早稲田)からラドリオ(神保町)へ、
 ぐらいの変化はあるか?
 先日仕事の合間にしろたえ(赤坂)に行った。
 小さいケーキにエレガンスを感じる。
 江古田のレコード店にFRENCHの棚がなくなってしまった。それも二軒とも。
 シャンソン名盤のレコードが105円。安いな。
 骨董市に行こうか。骨董でなくて古道具でも良い。いい灰皿がないものか。
 麻布十番は高いな。東郷神社の蚤の市かな。

 さてそろそろ勉強しよう。


 

 

5月30日 日曜日 

 

 今日から毎週日曜は資格の学校で、けれども部屋の片づけが終わりそうになかったので
 午前中だけで帰ってきた。
 まだ暦のうえでは五月だが夏のある日をありありと思い出す温度。
 内容は生保の一般、専門、応用過程試験が少し細かくなったくらいなので、一回くらい聴かなくても
 大丈夫だろう。それよりは部屋をきちんとすることのほうが優先順位として先。

 今週は飲み会が二回あって、二回ともちょうど良いくらいにストレスを発散する。
 こういう飲み会に求めるのは純粋な楽しさで、身にならなくても良い。
 
 洋服を30リットルのゴミ袋2つ、そのほか3つ分くらいの不用品を捨てると、
 だいぶ整然とした様子になってウォークインクローゼットが出現した。
 冬物もぜんぶ洗いなおして覆いをかけてしまった。
 服なんかは着る着ないで判断がつくが、みんな本はどのように処分しているのだろう。
 読んだけど読み返したい本や読んでいないけど読むべき本、内容はともかく見た目に良い本がほとんどで、
 取っておくに値しないような本は最初から買わないのでほとんどない。
 本棚の下にタイヤをつけたが重くて動かないのであまり意味なかった。
 
 来週はカーテンをつくったり小物を揃えたりする。


 

 

5月25日 火曜日 

 

 手押し車なしには歩けなかった祖母がさいきん毎日杖で歩く練習をしている。
 家の前には私立大学があり、周囲は緑が多く車の往来が少ない。
 大学の敷地の周りを散歩するのだが、一昨日は一時間、昨日は45分、今日は30分で歩けたと、
 嬉しそうに報告するので私をはじめ家族が誉める。
 きっと明日はもっと早く歩くだろう。
 老人はこどもだ。
 でもこどもではないからやるせなくて腹が立つと、
 ひとりで母親の面倒を看ている上司のことばを思い出す。
 歳を重ねるにつれひとは子どもに戻り、いやな思い出もよい思い出もどんどん薄れていくものらしいと
 祖母を見ていて思う。
 祖父の介護をしていた日々も兄嫁とうまくいかなかった日々もしだいに話題にのぼらなくなり、
 食べ物の話や、天気の話や、バレーボールの話題がもっぱらである。
 あるいは母や私、弟の幼いころの話など。
 祖父の話をしていたときに、
 
祖母は「死んで生まれ変わっても、やっぱりあの人と結婚したいね」とぽつりといった。


 

 

5月23日 日曜日 

 

 先週つくりかけたタンスにニスを塗る。
 L字型の部屋の奥まった部分は天井が斜めでそこを寝床兼クロゼットに使っていたのだが、
 なにせん狭くて頭をぶつけてしまい、ものを仕舞うのが億劫で部屋は乱雑極まりない様相をしている。
 ようは片づけるのが面倒くさい。
 収納具の壁を作って、普段使わないものを奥に隠そうというわけです。

 思い立ったらすぐやりたい質だけど仕事行っているあいだに熱が冷めてきたので、
 ただでさえ汚い部屋は一層汚くなって作業は中断したまま。
 シンナーには酔うし。
 天気悪いのはいやだな。


 

 

5月22日 土曜日 

 

 無理をしなくてもいいと思ってから日々落ち着いている。
 理想と現実が違うと思っていたから気分が落ちこんだりしていたけれども、
 結局のところ理想はないものねだりで、自分を知ればおのずと方向性が見える。
 ほかの可能性を認めて広げる努力はすべきだけれど、強制しなくてもいい。
 気持ちがとても楽だ。
 
 二週間前から祖母が同居して、にぎやかになった家に帰るのが嬉しい。
 祖母はいま83歳だが、7年間の窮屈な暮らしでかなりストレスを溜めていた。
 歩くこと、おいしく食べること、空や緑を見ること、眠ること、前向きさを取り戻すこと、
 あたりまえな彼女のしあわせを家族みんなで支えている。
 食べたいものをおいしく食べて、眠いときに眠り、ときどきおしゃれをしたり、逢いたい人に逢ったり、
 したいことを素直にしてみて楽しいと思えるのは健やかで良い。
 こころとからだが健康な証拠だ。
 本当は仕事は好きだ。
 営業は決して向かないけれども、仕事に関わる知識やその他作業はおもしろい。
 それに気分さえ良ければ比較的有意義な暇潰しだと思う。
 次は営業ではないその筋の仕事に就くだろう。

 しばらく欠けた自分を100%に戻すことに集中していて、あまり動いたりしていなかった。
 年明けごろにある男性と個人的に逢ったりしていたが、あまりに消耗してしまって辛かった。
 さいきんようやく偶然は別として半永久的に見なかったことにできる立場になったので、
 過ぎていった嵐を見送っている。
 興味本位の人選ミスで、深入りせずに済んだものの思い出すたび胃がキリキリする。
 しばしば言葉=気持ちの通じない人と関わる。
 好かれても好きでないなら近寄らなければ良いのに見る目がない。
 余裕のないうちはだれかと深く関わらない方が相手と自分のために宜しい。
 強烈な依存心というか執念を恋と混同しているらしいこともあり、
 識別できるくらいには成長したかもしれないがバランスの崩れたときが恐ろしい。
 普段は10ある識別能力が1くらいに低下して、不毛な争いを巻き起こしてしまうから。
 50%くらいのときは足りない50%を誰かに依存してして、どんどん自分がなくなる。
 自己再生能力はだれにでもあるというのに。
 というようなことを最近似たような理由で失恋してしまった同僚に、励ましのようなかたちで力説した。