blue heaven――多分、天国――#1

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 窓から外をのぞく、腕時計で時刻を確かめる、壁の時計でも確かめる、部屋の中を歩き回る、組んだ腕の指を小刻みに動かす。二十分も前から高階敦子(たかしな あつこ)はそれらを繰り返している。
「座ったらどうです、敦子さん」 声をかけた鈴木文哉(すずき ふみや)は対照的に、ソファにどっかりと腰を下ろしている。童顔で二十歳くらいにしか見えないが、実際には二十六歳。愛らしい顔立ちに似合わず、シニカルな雰囲気を漂わせている。
「だって、文哉君」
「赤ん坊じゃないんだから、何かあったら連絡してきますよ」
 敦子は反論しかけて口を閉じ、再び口を開いた。
「私、電話してくるわ。もしかしたら、家を出るのが遅かったのかもしれないし」
「その必要はありませんよ」
「どうして?」
「来ましたから」
 敦子は弾かれたように、窓に飛びついた。が、待ちわびている人影はどこにも見当たらない。
「どこ? 今、どの辺?」
「坂の下。角を曲がったところ」
 文哉が、中空を見つめたまま実況中継する。 
 敦子が息を詰めて凝視していると、敷地と道路を隔てた門の向こうに小さな人影が現れた。


 静かだった。不安を覚えるほど。鳥の鳴き声と風に揺れる葉音以外は何も聞こえない。藤枝深雪(ふじえだ みゆき)は門から二、三歩中に入ったところで立ち止まった。目の前にそびえる、五階建ての無機質な四角い建物。だいぶ年月を経て、くすんでしまった白い壁。手前の駐車場――といっても雑草もまばらなただの空き地なのだが――に、職員の通勤用と思われる乗用車が数台。
(静かだね、姉さん……)
 かつては姉が、そしてこれからは自分が生活するこの場を、深雪は見上げ続けた。わずかでも姉の痕跡を感じられないかと期待したが、人里離れた山奥は沈黙を守るのみである。
(姉さん、ごめんね。約束破って……)
 ふいに、建物から白衣の裾をひるがえして女性が一人走り出てきた。何かに追われているような勢いで、まっすぐ深雪に向かってくる。
「深雪君っ、深雪くーんっ」
 名を呼び続けなければ、彼が消えてしまうとでも思っているのだろうか。必死の形相である。
「み、深雪君っ……」
 敦子は肩で大きく息をしている。ハアハアと苦しそうにあえぐ胸に揺れる、A.Takanashiのプレートを深雪は見つめていた。
「はぁ……待って……たのよ。遅いか……ら、しんぱ、心配して……」
「あ……その……」
「バスは? 乗らなかったの?」
 敦子の後ろからやってきた文哉が、切口上で問いかけた。私服だが、胸には同じくF.Suzukiの文字。
(この人が鈴木さん……)
「深雪君? 聞いてるの?」
「あ、はい……あの、天気が良かったんで、歩いてみようかって思って、それで……」
 体型にふさわしい小さな声。文哉の顔をチラッと見ただけで、あとは視線をあちこちにさまよわせている。
「もう……いいでしょ。ちゃんと……無事に……着いたんだから」
 まだ敦子は息が整わない。
「乗らないなら乗らないで、電話ぐらいできなかったの? 待ってる人が心配するって考えない?」
 深雪はハッとした。指摘されるまで、全く気づかなかった。
「あ、あの、すいません。ごめんなさい……」
 小柄な体を、なおいっそう縮ませる。
「自分勝手なのは姉さん譲りってわけ」
 その言葉に深雪の体は硬直した。
「文哉君っ!」
 敦子の叱責をものともせず、文哉はくるりときびすを返した。
「ごめんなさい、気にしないでね。さあ、行きましょ」
 敦子は笑顔で深雪を促した。


 遡る事、三十年前。最初はぽつりぽつりと。ある報告がもたらされた。
『うちの子の様子が、ちょっとおかしいんですが……』
『おかしいって、どんなふうに?』
『どんなふうって言われても……』
 小児科で交わされる、医師と歯切れの悪い親との会話。曰く、うちの子は手を使わないで物を動かす。曰く、うちの子は行ったこともない場所の絵を正確に書く。曰く、うちの子は隣家の会話を聞き取る。曰く……。
 症例も一つ二つなら何かの間違いでしょう、となる。しかし十、二十、それも全世界的な現象となればただ事ではない。
 事実、当時の騒動はすさまじいものだった。人類進化論、その逆の終末論、環境汚染の影響、どこかの軍が秘密裏に細菌兵器の実験を行った、宇宙人による人類改造計画……。ありとあらゆる風聞、流説が連日ニュースを賑わせていた。
 あれから三十年。高名な学者が手を尽くしても、今なおこれといった原因を見出せずにいる。あれから三十年。変わったのはそれらが“特殊能力”と呼ばれるようになり、専門の研究機関ができたことぐらいだろうか。
 まだ誰も答えを知らない。音も立てずに忍び寄ってきたそれは、人類をどこへ連れて行こうとしているのだろうか――。

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