博晴です。

めくらの猫が啼く夜は


いつもの様に、源博雅は一条戻り橋を歩いていた。
ここで一つ独り言でも呟けば、安倍晴明は酒を用意してくれる事だろう。
もしかしたら今そう思っている事さえ、晴明にはお見通しかも知れない。
そう思いながら一つ咳払いをした時、黒い陰が博雅の視界に入り込んだ。
「?」
雑草の中で何やらうごめくその陰の正体を、
一目見てみようと目を凝らした。
がさがさと草を揺らし、不規則に動いている。
博雅は恐ろしい気持ちになったものの、気になって仕方ない。
思い切って近付くと、陰の正体も博雅に驚いて動きを止めた。
「…はぁ。」
猫だった。
真っ黒の毛色。
手足も尾もすらりと長く、細い。
一見仔猫なのかと思う位に、身体を縮めると小さな猫だった。
溜息を付いたところで、博雅はその猫が普通の猫とは違う事に気付いた。
目が、開いていなかった。
いくら小さく見えるからとは言え、仔猫ではない。
産まれたばかりという訳ではない。
「お前…。」
その猫は、盲なのだ。
博雅がそっと手を延ばすと、その猫は警戒して身を縮めた。
優しく抱き上げる。
「どうしたのだ?この様なところで。お前、帰るところはあるのか?」
頭を撫でて、そう言った。
勿論返事を欲した訳ではないが、めくらの猫をここに置いて歩き出すのには抵抗があった。
この猫をどうしようか。
晴明の家に連れて行くべきだろうか。
そう考えていると、猫は博雅の腕を擦り抜け、地面に飛び降りた。
「おい。」
もう一度抱き上げようとしたが、猫はそのまま走り去った。
一度も、振り返る事なく。
博雅はしばらくその場に立ち尽くしていたが、
帰る場所があるのならそれで良いと思う事にして、晴明宅へ向かった。

「来たか。博雅。」
珍しく、晴明本人が出迎えてくれた。
「珍しいな。お前が出迎えるとは。」
そう言いながらいつもの場所まで歩く。
濡れ縁である。
「そうか?」
博雅が腰を降ろしてから間も無くして、晴明が酒を用意してきた。
「今日は式は使わんのか?」
いつもなら、この様な事は晴明の式神にやらせている筈だ。
「ああ。」
晴明は短く返事をすると、博雅が持った盃に酒を注いだ。
「蜜虫にでもやらせればよいだろう。」
「博雅、お前蜜虫の名前しか覚えておらんのか?」
笑みを浮かべて、博雅を見た。
「そ、そんな事はない。」
馬鹿にされたような気がして、注がれた酒を一口で飲み干した。
「俺は、蜜虫の事を気に入っているのだ。」
「そうか。お前はああいう女が好みか。成程。」
さっきとはまた別の笑みを浮かべて酒を注ぐ。
「そういう訳ではない。」
「…お前は時々おかしな事を言うな。」
一瞬驚いた表情をして、そう言った。
「おかしな事など言ってはいない。俺はいつだって真剣だ。」
「分かっているさ。真剣におかしな事を言っている事くらい。」
「晴明!」
困った顔をした博雅を声に出して小さく笑い、いつもの様に柱に背を預けた。
自分の盃に自分で酒を注いで、それを飲む。
「偶には二人きりというのも良いものだろう。」
「う、うむ。」
それは、博雅にとっては嬉しい事だった。
だが、いざ二人きりになると何を話せばいいものか分からなくなってしまう。
今日は酒の肴になる様な話は持ち合わせていない。
ふと、先程の猫の事が気になった。
あの猫、めくらの割には機敏に動いていた。
まるでちゃんと見えているみたいに。
現に、博雅が手を延ばした時に警戒して見せた。
見えていないのに、気配だけでそうしたというのだろうか。
「なぁ、晴明。」
「何だ?」
「目が見えていなくても、手を差し伸ばしてきた気配を感じ取る事は出来るのか?」
「出来るさ。」
「それは、お前だからではないのか?」
博雅は、酒を飲む手を止めている。
何時になく熱く語る博雅を不思議に思ったのか、晴明もまた酒を飲む手を休めた。
「俺でなくとも、出来る人間は沢山いるだろう。」
「…そうか。」
博雅は、続きを聞くのを止めた。
人間だけではなく、猫でもそうなるのか?
と聞きたい気もしたけれど。
「どうかしたのか?」
突然また酒を飲みだした博雅にそう聞く。
「いや。少し、気になる事があっただけだ。」
「…そうか。」
それから先、晴明は追求しては来なかった。
あの猫の事は、秘密にしておこう。
そう思った。
これといって当てはまる理由が見付からないのだが、
何となく、そう思った。




続く。