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ここに積み上がるであろう文の山の根幹。 色々なものに感動して生きてきました。 神業とも言える人間の技術や、神業としか言いようの無い自然の摂理や不思議。小説、漫画、ドラマ、アニメ、紙芝居、CM、誰かの一言、俺の一言。視線…。 大なり小なり色々なものに感動して生きてきたんです。誰でもそうです。世の中はスゲェんですよ。 俺は、寂しいものに一番感動します。そして、寂しいことは、辛い事です。そして、生きてることは寂しい事だと思います。だから俺は、生きることが人より刺激的なんじゃないだろうか? でも、人より辛そうにしたりしてるつもりも無いですし…そうなってくると俺は人より鈍感になってるのかなぁ。となって、それもまた寂しいなぁって思えてくる訳です。 人にはあまり言わないんですが、俺はちょっとでも寂しげなものに触れたとき泣けそうになります。幸せそうなものを見た時より揺さぶられるんです。 例えば、皆で何か目標に向かって努力して、それが成し遂げられた時、達成感よりもあぁ、これでもうこのメンバーでこうすることは無いんだな。という思いで胸が一杯になります。それはなにも成し遂げた時だけじゃなく、練習をしている時も、友達と歩いている時も、ふと込み上げて来る感情なんです。 こうしてずっと歩いていたい。こいつらとずっと一緒に居たい。俺とくだらない会話をして、俺に笑いかけてくれるなら、俺はずっと話し掛けるよ。そう思えてくる訳です。あれ?これって…恋じゃん? つまり、俺は依存気味なのかもしれない。人一倍全ての人やモノに永遠を求めてるんだ。だから無常を恐れる。多分、これを読んだ俺の周囲の人は驚きながらも、『あぁ、そうかも。』って思うんじゃないだろうか。 俺の安定を簡単に崩す寂しさ。だから、俺はこの寂しさが大嫌いなんだ。寂しさが弱点になる。寂しいということを思っただけで全てものが大切に、愛しく見えてくるし、寂しいって感情が押し寄せただけで、もう俺は何も出来なくなっちまう。でも、あらゆる作品に、寂しい が意図的に挿入されてないと俺は認める気にならない。最低限、風化や消失を納得している寂しさが必要だ。 だから、人間誰もがいつか死ぬつもりでいるこの様が嫌で嫌でしょうがない。いつか死ぬつもりでいるってのは、消失の納得じゃなくて、諦めだ。誰もいつまでも一緒にはいてくれない。 でも、いつか死ぬって事だけで尊い存在になる。ずるい。大切にしたくなっちゃうだろ、そんなの。 庭の樹を切り倒すだけ、引っ越すだけ、電話を切るだけ、さよならって言うだけ、死んじゃっただけ。 俺が寂しいだけ。 庭木が芽吹いた、引っ越してきた、電話をかけた、おはようって言った、生まれた。 全部、寂しい。センチメンタリズムの塊が、突風の様に俺を揺らす。 時には、泣けなくなったってことが寂しくて、泣きたくなることだってある。無くしたことを実感した時、寂しさを感じる。そして、そういったことの意味を考えると、死ぬまで一緒にいてくれると誓い合う結婚のなんと素晴らしいことか、なんと虚しい事か。 多くを手に入れようとする人の、なんと当然な事か、なんと不自然な事か。 自らに五感があることが天国にも地獄にも思えてくる。 全ては二つに一つで、結局最後は1つで、そして有るか無いかなら、何にも無いような気もしてくる。 ↓そんな涙の無い叫びが文の山。
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