残 り 物 の 英 雄
雷禅王の統べる五大王国の東にある樹海の中に、ストックホルムという独立
国家がある。
その昔、勇者が現れた地として、昔から神聖な伝統を保ってきた。
五大王国がそこに手を出さなかったのは、その曰くがあるためと、ストック
ホルムの伝説が、五大王国を守るという契りがあるからだ。
それ以外にこれと言った特色もない、言わば田舎の王国だったが。
そのストックホルムに、今、危急の事態が迫っていた。
「うむ…………?」
一人の壮年の男が、エメラルドの鎧を着て、一つの部屋で佇んでいた。
その男は、何か合点が行かない様子で、目の前の男を見下していた。見下し
ているのは、相手が地に蹲っているからだ。
彼はひとしきりに唸った後、首を捻り、背後を目だけで見遣った。
赤い。そして黒い。そんな揺らめきが、『壊れた』ドアの向こうの景色を蝕
んでいるようだ。
『焔(ほのお)』。
炎だ。
炎が全てを、蝕み、壊していく。全てが、存在しなかったというように。
全ては無かったかの様──
「ふん」
─それは、違う。
彼は笑みを浮かべた。ゆっくりと、至極緩慢な早さで、体の隅々に、自分は
今『成就』しているのだと伝達しているように、彼には思えた。
「もう、満足でしょう」
聞こえたのは。
女の声だ。こんな状況でさえ、その声には感情が失われていないのに、彼は
称賛を表した。感情というよりは、どちらかといえば意思の光か。
どんな顔で自分を見ているのだろうと、彼はその欲求に逆らわず、振り向い
ていた首を元に戻し、彼女に視線を移した。
「そろそろ。お帰りなさい」
驚愕すべきことだが。彼女は優しげに微笑んでいた。
が、その感情には、彼は従おうとせず、逆に目付きを厳しくすることで押え
つけようとした。
「ご自分の城を燃やされながら微笑むとは、薄情な女王もいたものだ」
「薄情なのは、生まれ付きなので。
それに、私の唯一の心配である国民達の無事を確認された今、私が落胆する
事実はありません」
燃えている。
二人と、この国の兵がいる部屋の、真っ白な純潔を表す白い壁が。
燃えているのだ。
この女が守った、全てをなげうって守り抜いた城が。
燃やしているのだぞ。
女に裏切られ、自暴自棄になった賊の集まりが、あんたの息子であるこの俺
がっ!
「そんなちっぽけな者共のために、俺は、捨てられたというのか!?」
「あら」
彼女は、もう五十も過ぎるはずだが、昔から変わらず、その落ち着いた清楚
な物腰、そして妖艶な魅力は衰えない。もしくは、止まっているのかもしれな
い、この国を思うあまり、自分の時間が。
「おかしなことを言うのね。私たちは初対面のはずだけれど」
「…………っく!」
火は、既に熱を遮断するはずの鎧を通じて熱を感じるほどにあった。
女王は、もはや肌を焼くほどの暑さを感じているはずだ。
しかし、彼女は優しく微笑むのみ。辛さ、焦燥など、微塵も感じさせはしな
い。
─意地だというのか、国を失う者の。
「あなた達の目的は、果たされたはずね。もう、ここには用はないんじゃなく
て?」
「あるさ」
彼はにやりと笑いつけた。
その微笑みを、崩してやる奥の手を思い出したからだ。
「あんたは、まだお孫さんの居場所を告げていない」
「……………」
「もう、全てを失ったろう? 何を迷う? 言ってしまえば、失ったはずのも
のが帰る。 国も、城も、土地も、地位も、そして、命がな」
崩した。
微笑みは崩れた。
が──
次に現れたのは、哀れみという感情だ。
「あなたには、それしか見えないのかしら。困った子ね」
「息子のように叱るのはやめてくれないか、女王よ!」
激昂する彼に、彼女は、やはり母親のするような含むような笑いを漏らした。
それだけ見れば、ただの親子にも見える。
「あら、ごめんなさい。気にしてたのね」
「言え!」
「駄目です」
「何故だ!」
「彼らは、私の孫ですもの」
燃え落ちる。
それは肖像画だ。女王と、王、そして五人の子供たちが、玉座の前で整列
している。
それぞれに、性格の出た動きが捕らえられている。右端の男の子は、人見
知りをする子なのだろう、少し集団から外れたところで何処ともないところ
を見て、立っている。
彼は訝しる。この子供は、左手に何を握っているのかと。
「気になるのかしら?」
知らぬ間に、燃え落ちようとする肖像画に魅入っている自分に気づいて、
彼は再び女王に向き直った。
「黙れ。もうよい、この国と一緒に、朽ちるがいい」
「ええ、そうするわ」
彼女は、最後まで笑顔だ。
とうとう、それを崩すことは儘ならなかった。
近くで見ても、遠くから見ても、始終、彼女はその笑顔を絶やさなかった。
何故自分がこれほど彼女の笑顔にこだわるのかがわからない。
彼は、彼女を残し、部下を引き上げさせた。
「ガキ共を捜せ! シャルム姫とアルゲイン王子だ!
でなければ報酬はでんぞ!」
「ごめんねシャルム、アルゲイン。おばあちゃまは、あなた達を守り切るこ
ともできなかった。
どうか、無事に、平穏に生きてちょうだい」
─どうか、あの『放蕩息子』の様にならないでアルゲイン。私のような、
母親にならないで、シャルム。
崩れ落ちる城。燃え落ちる国。しかし、国民は変わらず強く、生きていく
だろう。
荷が、今全て降りた心地で、彼女は天井を見上げた。
─もしかしたら、あの子は、私からこの荷を取り上げたかったのかもし
れないわね。
おかしかった。あまりにも自分本位な考え方が。
きれいだった、燃え上がる焔は。昔、こんな光景を、何処かで見た気がす
る。
肖像画は、今や殆どの部分が焼け爛れていた。が、彼女の目についた部
分――最も見たかった部分は、まだ残っていた。右端の男の子は、左の手に
何かを握りしめていた。
それは、女王のドレスの裾だった。それを、強く握りしめていた。
─駄目ね。私は。結局間違っていたなんて、今更思うなんて。
彼女は思う。この国のことを。そして何よりも、今は自分のことを考えた。
精一杯この国を守り、愛した。そしてこの国で生きた。
充分だ。私の一生は、どうやら、報われる程度には、なるらしい。
─そして、国は堕ちた。
